5-26 :I Witnessedーこの目で確かめたことー

 手頃な茂みの中へ潜った私は、その場に座り込む。

 近くに人が来てもバレないように、カティーアから教わった気配を誤魔化す魔法を使う。

 すぐに気配を隠すための薄暗い魔法の幕を妖精たちが持ってきてくれたので、私は少し汗ばんだ手で魔石を握りしめた。

 耳を澄ませながら、ひたすら人が来るのを待つ。

 遠くで聞き覚えのない動物の鳴き声が響いてくるし、周りにいる妖精たちには気配を消す魔法が通じないので、チラチラと私を見つけては近付いてくる。

 普段は妖精たちが話しかけてくることなんてない。

 カティーアがいないから?それとも、今が神代の時代だから?彼らは、まるで古くからの友人みたいに親しげに私に話しかけてくる。


「地味な花の妖精さんね?ねえねえ一緒に踊りましょうよ」

「素敵な森色の瞳ね。一緒に唄いましょうよ」


「ごめんなさい、今は忙しいの」


 妖精からのお誘いを何度か断りながら、街の方へ視線を向けた。

 セルセラの気配がする。それはつまり、彼がいるということ。

 足音が聞こえて、思わず身構える。踵を引きずるように歩く、少し独特な彼の足音はこの頃から変わらないみたい。

 緊張をして、握った手に力が入る。甘い薔薇の香りが漂ってきたので、そっと視線をそちらに向けた。


「あら……気配が近いなと思っていたけれど、ジュジわたしがいたのね。魔法院のお使い、かしら?」


 セルセラが、私の頭にそっと触れた。彼女は私の記憶を受け取ったみたいでそっとウインクをして微笑む。

 無言のまま頷くと、セルセラは私の頬をそっと撫でて指をふわっと動かした。


「仕方ないわね。わたしも、ここにいてあげるわ」


 薔薇の茨を生やして、茂みの中にいる私を更に隠してくれた。声を出すわけにはいかないので心の中で彼女にお礼を言って、近付いてくる足音の主に目を向ける。

 魔法で気配と匂いを隠しているし、セルセラも私に協力してくれている。だから大丈夫と自分に言い聞かせながら、魔石を握りしめた。


 歩いてきた彼が、すぐ目の前に立つ。


 今よりも細くて折れそうな手首、薄い胸板。艶もなく、色あせてくすんだ金色の髪は、肩につきそうなくらい伸びている。それに……ゆったりとした白いローブを身に纏っているからか、身体が華奢に見える。何も知らなければ、女性だと言われても信じてしまいそう。

 チラリと見えたつり上がった切れ長の目には光がないし、信じられないことに、彼の目の下には隈が出来ている。カティーアとはそれなりに長く一緒にいるけれど、今の彼が隈を作るなんてことはない。


「……来たか」


 かすれているけれど、少し瑞々しさの残る声で、少年のカティーアが呟いた。

 どことなくあどけなさを残した神経質そうな少年……神話として読んだ彼の実際の姿を見て感動している自分と、痛々しい恋人の姿に胸が締め付けられる自分との板挟みで苦しくなる。


「言い難い話か?」


 思い詰めた顔をして、木の陰から姿を現したヘニオに、少年カティーアは声をかける。

 小動物めいた顔をして口ごもっていた彼女は、大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。

 それから、目の前にいる少年へ真剣な表情で話し始める。

 ヘニオは、アルカは自分が作り出したと言った。

 そして……いつかアルカが彼の呪いを解くかもしれないという希望も。

 少しだけ、少年カティーアの眉間に刻まれた皺が和らぐ。でも、それはすぐに取り出されたアルカたちを見た嫌悪の表情で塗りつぶされた。


 アルカの一つを手に乗せて、険しい浮かべた彼は、唇の片側を引きつらせるようにして無理矢理笑う。


「なるほど……それでこのネーミングか。最悪ないい趣味してるねぇ……」


 吐き捨てるように言いながらも、虚勢のような表情を浮かべたかつての彼は、懸命に話を続けるヘニオを見て眉尻を下げた。

 ああ……変わらない。こういう親しい相手にだけ見せる優しさも、自分をすぐ犠牲にしようとするところも。

 セルセラの記憶で見たからうっすらと知っているこのやりとりも、自分の目で見た方がずっと拾える情報が多い。


「魔法院からの指示だろ。お前に罪があるわけでもない」


 加工されたアルカの使用方法を伝えながら震えるヘニオの肩を、少年カティーアはそっと抱いた。

 どことなくぎこちないその動きに、ヘニオは言葉を止めて彼の顔を見上げる。


「俺は、他人を犠牲にしてもなんとも思わない。生きたヒトを喰らわなければ生きられない、醜い化け物だ。俺の魔力のために、世界の平和のために、お前はしたくもないことをしている。だから、お前は悪くないし、イガーサにも何も言わなくて良い。化け物は、俺だけで十分だ」


 化け物という言葉を聞いて、私まで胸が痛む。視線を少し上へ向けると、悲しそうな顔をしているセルセラと目が合った。

 彼女はこの頃からずっと、彼の呪いを解いて一緒に歩んでくれる人がいないか、探していたのかもしれない。


「でも……あなたは、イガーサさんのためになるべくホムンクルスですら使わないように……」


「……俺はこうして生きてきた。今更キレイになんてなれると思ってない」


 少年カティーアは、ヘニオの言葉に肩を竦めてみせると自嘲的に笑った。

 ヘニオの返事を待たないまま、彼は背を向けて歩き出す。

 彼女は一歩踏み出して、彼の手を取ろうとしたけれど、伸ばした手をすぐに自分の胸元へ戻してうつむいた。

 ここで任務はおしまい。待っているカティーアに魔石を渡して、戻るだけ。

 だけど、どうしても一人で歩いて行った少年時代の彼が心配で、気が付くと私はそのまま茂みから抜け出していた。

 距離を開けて、悟られないように後を付ける。すぐに街があるはずだから、多分、姿を見られてもそこまで怪しまれないはずだけど……。


 息を潜めながら、距離を保って街の中へ入っていく。

 彼は周囲のものよりも、少しだけ小綺麗な建物の扉を乱暴に開いた。

 中にまで追っていくのは辞めた方がいい……でも……。

 ここまで来たなら見届けよう。彼が出てこないのを確認した私は、少年カティーアが入っていった建物まで駆け寄ってしゃがみこむ。

 そして、茨のツルを壁沿いに伸ばして中の様子を探ることにした。

 

「……っくそ」


 独り言を言いながら、少年カティーアが寝具のシーツを乱暴に捲った。

 捲ったシーツを持ったままの彼の手を、誰かがそっと握ったのが見える。後ろを振り向いた彼が、手を握った女性をじっと見つけて言葉を失う。


 琥珀色の瞳。滑らかな赤銅色の肌。私と同じ黒い髪は後頭部でひとつにまとめられている。

 そして……耳には見覚えがある蝶の耳飾り。

 彼女の長くてしなやかな腕が、少年カティーアの背中に回った。


「イガーサ……」


 彼女の名前を呼ぶ掠れた彼の声に、少しだけ熱が籠もる。

 今にも泣き出しそうな、転んだ後に母親に甘える子供のような表情をした彼は、イガーサさんの胸に顔を埋めて押し黙った。

 しっかりと抱きしめ立った二人が、どちらからともなく寝具へしなだれ込むのを見届けて、やっと私は我に返る。

 ツルを自分に戻そうとしたその時、彼女の身体が橙色の光を帯びた。その穏やかな輝きに、思わず目を奪われる。


 寝具で抱き合っている二人は、小さな声で言葉を交わしている。イガーサさんの身体から出る光なんて見えてないみたいに……。

 橙色の光は、女性の腰から上を模した形になり、イガーサさんの上にのしかかるような姿勢になると、ゆっくりと明滅を繰り返した。

 女神レスカテ...その名前が頭に浮かんだ。捧げられた命という言葉を思い出して頭の芯が冷たくなる。

 自分の命を捧げて……イガーサさんは弟を? 


「もし私が死んでも……弟だけは……よろしくね」


「……ん」


 イガーサさんの手が、カティーアの耳に伸ばされる。さっきまで彼女の耳に付いていた蝶の耳飾りが、彼の耳に付けられていた。


――契約が交わされたわ。


 女神レスカテの身体が輝きを増す。やっと欲しかった宝石が手に入った時の少女みたいに、無邪気に喜んでいる声が、頭に直接響いてくる。

 そのままうとうととしているカティーアとは対照的に、イガーサさんが顔を少し曇らせた。


「約束、守れるようにおまじない」


――ああ……ああ……。可愛い我が子。契約は果たされたわ。貴女の弟を、この男が救うように仕向けましょう。


 知らない甘い花の香りが漂ってくる。不快ではなくて、どこか懐かしさを感じる香りに頭がぼーっとする。

 イガーサさんがこちらを向いた。合うはずのない私と、彼女の目が合う。


 橙色の光を放つナニカがツルを付かんで微笑んだ。しまったと思う前に目の前がまばゆい光一色に染められる。


――のぞき見なんていけない子ね。貴女おまえわたしの血を引いていなければその両目を奪ってしまっていたところよ。


 無邪気な少女のように笑いを含んだ声でレスカテはそう言うと、いつのまにかイガーサさんの前に立たされていた私の頬をそっと撫でる。


――可愛い可愛いわたしの子。いけないことをした罰は……そうね、少しだけねんねしてもらうことにしましょうか


 甘い花の香りのせいなのか、思考がまとまらない。琥珀色の瞳で私を心配そうに見ているイガーサさんに、何か言おうとする。でも、言葉が出てこない。どうすればいいかわからない。

 力が入らなくなって、床に座り込んでしまう私を、不思議な光の粒子が包んでいく。


――可愛いわたしの子……弟がその男に助けられたとき、貴女の魂を捧げてもらうこと、忘れないでね


 瞼が開けていられなくなった私の耳に、女神レスカテの楽しそうな声だけが響いた。

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