5-9:Outlive Its Timeー時を越えるー

「ヘニオ?」


 思わず頭に浮かんだ名前を口にする。

 少し遅れて、知っている姿が目に入る。

 小柄な少女が目の前に立っていた。

 魔法院マギカ=マギステルの統括としての彼女ではない。俺がかつて共に旅をしたときの姿のままでいるその少女は、長い銀髪をかき上げて微笑んだ。


「どういうことだ?この可愛らしい女の子が、お前がいってたお偉いさんってことか?」


 俺の背後から顔をぬっと出してきたジェミトが、彼女を指さして首を捻る。


「少し違います。私は、ヘニオ・マゴスモナルヒスではありません。ホムンクルスにかつて存在したヘニオという少女の魂……その欠片を憑依インストールさせた再現体です」


 空色の瞳をしたその少女は、大きな黒いローブを身に付けている。

 彼女は微笑みながらジェミトを見上げた。

 眉尻を下げて困ったように笑う彼女の仕草が、あの時のヘニオそのもので俺は言葉を失ったまま動けない。


「一度だけ……こうして本来の私のまま貴方と話したかった。その思いが私という存在を作り出しました」


 敵意は感じない。

 魔法を阻害する類いの罠や、精神操作の術式も展開されているようには思えない。

 無防備に俺たちへ背を向けて部屋の奥へ入っていくヘニオを信じて、彼女の後を追う。


「今の本体ヘニオは、始祖の六角の器です。魔法院マギカ=マギステルの機能を保持するためのシステムといえばいいでしょうか……」


「始祖の六角ってなんなんだ?」

 

 道すがらに話し始めたヘニオの話を聞いて、ジェミトが疑問を口にする。

 ずっと敵対していたらしいが、始祖の六角は内部の者しか知らないので当然の疑問と言ったところだ。


「カガチに従いアルパガスを裏切った氷輪の民……ええと、氷輪の民とは額に角の残っている耳長族のことなんですけど、その角持ちの五人と、それとは別に大きな功績を挙げたプネブマという耳長族の女性を合わせた六人を始祖の六角と呼んでいます」


「……つまりふるくて偉い耳長族の六人って事か?難しくてこんがらがっちまうな」


 首をかしげるシャンテに、ヘニオは眉尻を下げて困ったような顔をして弱々しく笑う。

 その困ったような笑顔と、かつて加工済みのアルカについて話してくれた彼女が重なって、少しだけ胸が痛む。


「彼ら始祖の六角の持つ様々な記憶や知識、人格はヘニオの魂によって繋ぎ止められ……そして魔法院長となる人間へと埋め込まれるのです」


「埋め込まれた人間の魂は……」


 俺が思わず口にしたその言葉に、立ち止まって振り向いたヘニオは力なく首を横に振って見せた。


「魔法院の長になるということは……自分の人格を捨て、命が尽きるまで魔法院の機能を保持するシステムになるということです。魂を埋め込む儀式は……肉体の持ち主が了承をしてはじめて行われるものですが……」


 ヘニオは言葉を詰まらせる。

 こうして、誰かを犠牲にすることに胸を痛めているのに、それを誰にも吐き出さずに一人で懸命に耐えている。

 このヘニオの再現体は、とてもよく出来ている。まるで、あの時にいたヘニオがそのまま目の前に現れたみたいだ。

 彼女の、空から抜き出したような青い瞳は、今にもこぼれそうなくらいの涙を湛えている。


「かつての私は……こうして魂の一部を切り離し、当時の人格を眠らせました。先ほど目覚めた時に記憶は最新のものを受け取りましたが、あちらのヘニオと私は別の個体です」


「じゃあ、あんたは」


 ジェミトは驚いたような表情でヘニオを見つめ、それから俺を見た。

 俺は黙ったままただ首を横に振る。


「私は、かつて英雄と旅をした戦士の一人です。……一度起動して再び永遠の眠りにつくことが決まっている亡霊のようなものですが……」


「ヘニオの予備の個体ではないってことか……」


 なんのためにそんなことをする?と言葉を続けようとした俺の口元にヘニオの細い人差し指がそっと当てられた。


「約束をしたんです。私の果たすべきことは、イガーサさんとの約束したこの行動。そして貴方が再び戻るのを待つこと」


 唇に触れていた手が伸びてきて、俺の右耳に触れる。

 鋭い針で刺したような痛みが一瞬走り、耳元で金具の擦れる音がした。


「意図的に本体のヘニオからは、この記憶を抜いてあります。始祖の六角に取り込まれる前に切り離された私のすべきことは……彼女イガーサさんがした最期の頼みを果たすこと……」


 耳が熱くなる。両耳にぶら下がっている蝶の耳飾りが熱を持っているんだと言うことに気がつく。

 ヘニオの手が耳飾りから離れた。

 いきなりうずくまった俺にジュジが駆け寄って来る。慌てたジェミトたちが、武器を構えてヘニオを睨む。

 体中から炎が吹き出しているみたいに熱いのに、手の甲だけやけに冷たい。ジュジに握られていない方の手にヘニオが触れたからだとわかる。


「イガーサさんと約束したんです。カティーアさんがお墓参りに来たら……その耳飾りを付けてくれって……」


 頭がガンガンする。耳元で大きな声を出しているはずのジュジの声が遠くから聞こえる気がする。

 ヘニオが指を鳴らすと、ジェミトたちの動きが止まった。ジュジは驚いた顔をしながら俺を抱き寄せてヘニオをにらみつける。


「みなさんのことは……心配しないでください。契約……果たせばきっと戻ってこれるので」


 どういうことだ?契約?

 声を出そうとしても、思い通りに体が動かない。何が起きているのか確かめるすべもなく、足下がぐにゃぐにゃと柔らかい泥のようになって体が地面に飲み込まれていく。


「貴女は……そう」


 俺と一緒に地面に飲み込まれていくジュジを見て、ヘニオは一瞬目を見開いた。

 しかし、すぐに何か納得したように一人で頷くと、握っていた俺の手をパッと離す。


「カティーアさんをお願いします」


 泣きそうな顔をして俺たちにそう言ったヘニオの顔がだんだん見えなくなる。

 地面に頭の先まで埋まった俺の体は、やっと自由を取り戻した。


 俺を抱きしめるようにして固まっていたジュジを抱き寄せると、彼女も今動けるようになった様だった。こちらへ顔を向けた彼女と見つめ合う。


「一体どうなって……」


 話そうとした途中で、急に真っ白な空間に投げ出され、言葉を失った。

 咄嗟に腰から伸ばしたツルを俺に巻き付けたジュジが、しっかりと俺にしがみつく。


「刻外れの英雄よ……はじめましてでいいのかしら?わたしは契約を司る神レスカテ」


 徐々に空間が青白くなり、空の上にいるような感覚になる。

 どこからともなく甘い花の匂いが漂ってきた。

 突如声が聞こえてきて、光る粒子が俺たちの周りに集まってくる。


わたしの可愛い子……貴方おまえたちの言葉でいう神の御子のことですが……彼女と交わした契約を果たすために、貴方おまえには時渡りをしてもらいます。あの亡霊はその橋渡し役……」

 

「可愛い子?なんのことだ?」


 神の御子……またその言葉だ。

 周りに漂っていた光る粒子は橙色に光り始め、徐々にスラリとした女性の姿になっていく。


貴方おまえわたしの可愛い子と契約を交わしました。その蝶の耳飾りは代々、わたしの加護を強く受けた一族が持つ宝……」


 耳飾りに触れて思い出す。

 これはイガーサと体を重ねたあの日に渡されたものだった。


「……一人ひとりの家族を助ける。その代償に我が愛しいヒトの子は魂を捧げました。我が子の願いを叶えるためにわたしは契約を司る神の力を行使して貴方おまえを時渡りさせます」


 契約の神レスカテと名乗った光の集合体は、サラサラとして捉えどころのない声で一方的にそう言い放つ。

 レスカテが指さした場所を見てみる。ヘニオが最後に触れていた右手の甲には、紅い蝶を模した模様が刻まれていた。


「その紋章は、時渡りの旅人――貴方おまえを守る魔法が刻まれています。これは本来はその場にいるはずのない時渡りの旅人の存在を相手に信じさせるもの。そして、貴方おまえが世界から去った後、貴方おまえに関する記憶を改竄してくれる優れものなのですよ」


 レスカテは、そういって微笑んだ。顔はよく見えないが笑っているという情報を頭に直接叩き込まれるような妙な感覚だ。

 温かな光に包まれた手が伸びてきて、俺にしがみついているジュジの頭にそっと触れる。


「……いろいろと混ざっているようだけど、そちらの娘にもわたしの加護が残っているようですね。時代も距離もAnwybyddu邪魔amserできないa phellter私は貴方Rydwi共にあるgydaことをchi。ですか……。では、貴女おまえがその男を交わした契約も、きちんと尊重してあげましょう……」


 ジュジが女神の権限とやらで弾き飛ばされてしまうのかとヒヤヒヤしていたが、どうやら一緒にいても構わないらしい。

 昨晩、うわごとのように彼女がつぶやいていた言葉のお陰らしいが……。

 加護が残っているというのは、どういうことなのだろう。


「契約を違反すれば貴方おまえたちの魂と肉体は壊れます。過去の自分に会うことや、捧げられた命を救うのは諦めなさい……」


 加護のことを聞く前に、レスカテは体を粒子に戻して散っていく。

 真っ青で雲一つない空とでもいうべき空間に漂っていた俺たちは、レスカテが完全に消えると共にすごい勢いで落下し始めた。

 ヤバい……とジュジを庇うために抱きしめながら、体の下に風の魔法を放つ。

 ゴツゴツした地面が目の前に迫ってきたところで、ふわっと体が一度浮いた。

 それを見たジュジが俺の腕から抜け出して、地面にツルを幾重にも編んでクッションのようなものを作り出す。


「契約の神……時渡り……どういうことなんでしょうか?ヘニオの罠……?」


 ゆっくりと着地をした俺たちはツルのクッションの上に降り立つ。

 辺りは岩肌が広がる荒れ地が広がっている。

 街が近くにあるようには見えない。


「罠ってわけでは、なさそうだが……時渡り……ねぇ」


 すぐ側にあった崖の下から何かが飛びあがった。

 ヒトの成体ほどある大きさの影に身構えると、ワイバーンがこちらへ滑空してくるのが見える。

 鋭い鉤爪で俺の腕を捉えようと後ろ肢を前に出しながらワイバーンは高度を落とした。

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