第9話

 

「----はい、よく出来ました。中々様になってきましたね」


「あ、ありがとうございます……」


 先生が手を鳴らすと同時に、俺は床に両手をついた。


「こら、服が汚れます。せめて椅子に座りなさいな」


「は、はい、すみません!」


 俺は慌てて立ち上がり、ソファに座り込む。


「クロンくん、お疲れ様」


「は、はい、ありがとうございます……ランガジーノ殿下」


 ランガジーノ様が再び紅茶を淹れてくれる。


「はは、今更殿下だなんて、なんだかむず痒いね」


「殿下、御自身のお立場をよくお考えくださいませ。栄えある神皇国の皇子なのですぞ?」


「わかっているよ、フラン」


「むむ、その名で呼ばないでくださいませ」


 フランポワン先生は、フランと呼ばれるのが嫌いだ。本来は女性の名前なのに、男性の自分がそう呼ばれるのがどうにも苦手らしい。


「わかったわかった。クロンくん、そろそろ時間だ。もう一度流れを確認しておこう。未来の勇者様が首を刎ねられるのはごめんだからね」


「は、はい」


 休んだおかげか体力は少し回復した。よし、やりますか!





 ★





「き、緊張する〜〜……」


 俺は今、謁見の間と呼ばれる部屋の前に来ている。扉は高く、様々な宝石で彩られ、見る者を圧倒する。


「いよいよだね。心の準備はできたかい?」


「はい、なんとか」


 今回謁見するのは、ランガジーノ様と俺の二人だけだ。


「そうかい、頼もしい限りだ。僕も実は、謁見するのは久しぶりなんだよ」


「え? 今までの勇者候補は、どうされてたんですか?」


「まあ、色々と複雑な事情があるんだよ、この国もね」


「はあ……?」


 そんなことを言われると、俺が特別扱いされてるみたいだ。余計と緊張する。


「間も無くお見えになられます」


 廊下から歩いて来た侍女(宮殿に仕える使用人のひと種類らしい)がそう告げる。


「わかった」


 ランガジーノ様は頷くと、それっきり黙ってしまった。


 この国の頂点に君臨する方、一体どんな人なのだろうか?



「今上陛下、部屋に入られました。慎んで拝するように!」


 別の侍女がそう告げる。そして扉がゆっくりと開かれた。




 扉の先は、真っ白な空間だった。脇に何本も柱が立ち並び、天井は様々な彫刻やアーチが掛けられている。その全てが、とにかく白いのだ。輝くわけでもなし、かといって汚れひとつない。まるで雲の中にいるかのようだ。

 一つだけ違うのは、扉から真っ直ぐに敷かれた絨毯。青色に金縁のそれは、尊い貴族の血を表している。ただ、真ん中の人一人分だけは真っ白だ。この白い部分は皇帝陛下の領域であり、もし誤って踏んでしまったりしたら、次の瞬間にはあの世にいることになる。


部屋の脇にはずらりと人が立ち並び、その誰もが一目で貴族様とわかる格好をしていた。


「……行こうか」


「はい」


 俺はランガジーノ様に合わせてゆっくりと歩く。靴音から手の振り方まで、全てをピタリと合わせなければならない。また、頭は決してあげてはならない。

 そして、何段もある階段の手前で、立ち止まった、カーペットはそこで色が変わり、今度は端まで全面が真っ白だ。ここから先に無断で進むと、問答無用で首を刎ねられる。それは皇族であるランガジーノ様も同じだ。


 俺たちは、途切れの無いように、かと言って早すぎない速さで跪坐く。皇帝陛下の御前では、片膝を突く所謂臣下の礼ではなく、両膝を揃えてつき、手は先まで揃え肩幅と同じ広さにつき、頭をおでこが地面に接するギリギリまで下げる、土下座と呼ばれるポーズをする。

 土下座は、その身、命を全て差し出すと言う意味がある。臣下の命は現人神であらせられる皇帝陛下の赴くままという訳だ。



『我ら栄えある神皇国の臣民、畏れ多くも主人であらせられる皇帝陛下のまえに馳せ参じてございまする』



 ……よし、ここまではぴったりと揃っているな!



 --カツン!



 床を一回、何かで叩く音が聞こえた。これは、許す、の合図だ。ちなみに許さないときは二回鳴らされる。と同時に首と胴がおさらばだ。


「よくぞ参った。表を上げい!」


 そう言うは、皇帝陛下……ではなく、大老と呼ばれる神皇国の政治を司る貴族様だ。皇帝陛下のお言葉は、大老を通して告げられるのだ。俺のような一臣民如きにその声を聞かせるなんてありえない、ということだろう。


 表を上げ、と言われたが、顔をあげてはならない。そんなことをすれば、血の雨が降り注ぐ。飽くまで、頭をあげていいということだ。


 俺は、ランガジーノ様に合わせるように頭を少しだけ上げる。土下座なのは変わらずだ。


「勇者候補、クロンよ! 我が神皇国の為、尽くす覚悟はあるか?」


 大老が叫ぶ。


「はっ! いかなる障害をも排除し、その御身に尽くすのみであります!」


 俺が叫び返すと、一瞬の静寂が訪れる。



「……よろしっ!」



 ……ホッ。思わず、息が漏れた。


 あくまで、国のため、である。世界のため、などと返してしまうと、お前は神皇国の臣民では無いのか云々という話になる。


「以上で謁見を終わる。その身に余る光栄に震えるがよい!」


 え? も、もう終わりか? 嫌、すぐに返さないと。


「ありがたき幸せっ!」


 俺は叫ぶ。そしてランガジーノ様と一緒に立ち上がろうとする。が、



 ----カツーン。



 え?


 

「顔を上げい!」


 杖が鳴らされた後、大老様が言う。

 こ、こんなの打ち合わせに無かったぞ!?


「クロンくん、顔をあげて、前を向いてっ!」


 ランガジーノ様が小声で急かす。


 俺はそれを聞き、なるべく不自然のないよう、ゆっくりと顔を上げる。


 顔をあげた先には、何段もある階段に、一段飛ばしで段が上がるほど皇帝陛下に近くなるよう、明らかに偉そうな態度を隠そうともしない貴族様たちが左右それぞれ三人ずつ、立っている。この人たちは老中と呼ばれる役職で、大老様の部下である。

 その天辺の踊り場に、丁度真ん中になるように置かれている豪華な椅子には、一人の男性が座っていた。


 白い布を斜めに何重にも巻いたような服を着、宝石の沢山ついた大きな冠を被り、片手に大きな杖を持つその男性こそ、このグリムグラス神皇国が皇帝、バルフェルンハルト・ゴッデス=グリムグラス陛下だった。


 皇帝陛下と顔を合わせないように、少し下を見る。と、横に立つおじいさん--正にあの人こそが大老様だろう--に陛下がぼそぼそと話しかけるのが見えた。そして大老様が頷くと


「クロン候補生、前へっ!」


 前、えっ、どれくらい??


「クロンくん、立ち上がって三歩進むんだ」


 ランガジーノ様がすかさず助言をしてくれる。俺はその通り、土下座した時とは逆の動作で立ち、背筋が伸びているか、手の振り方はおかしく無いかなどなどを最大限気にしながら三歩歩いた。

 ちらりと一瞬、視線だけ下に向けると、白い絨毯に白い糸で線が引いてあるのがわかった。成る程、許された場合は、ここまで出てきていいんだな。


 俺が立ち止まると、再び皇帝陛下が大老にぼそぼそと話しかける。と


「クロン候補生、畏れ多くも皇帝陛下が直接御言葉をかけてくださるとのことだ! その身に余る光栄に涙しろっ!」


 今、なんだって?

 皇帝陛下が、俺に直接?


 ……違う意味で涙しそうです……


 大老様のその言葉を聞くと、脇に立つ貴族様たちがザワザワとし出した。



 --カツン



 だが、すぐに皇帝陛下が杖を鳴らす。と、貴族様たちが一斉に黙りこくった。階段に立つ老中様たちは例外で、最初から一言も喋らずに直立不動だった。


 皇帝陛下が大老様に話す。と、大老様は


「クロン候補生、近うよれとのことだ!」


 と叫んだ。何回も、そんな大声で叫んで大丈夫なのかな? 顔は見えないが、結構なお年寄りだと思うのだが。


 で、近うよれって、どれくらいだよ?

 俺はとりあえず、また三歩進んだ。


「違う、もっとだ!」


 もっと!?


 俺はまた三歩進む。もう目の前は階段だ。


「そのまま、横にずれよ」


 言われた通り、俺は九十度右を向き、皇帝陛下の御前に被らないギリギリのところで立ち止まって、左に九十度、正面へ向き直った。



「……目を合わせよ」



 と、今度は大老様では無い、低く渋い声が響いた。


 もしかして、今のって……


 俺は恐る恐る視線を上へ上げる。

 と、皇帝陛下が俺のことを見下ろしていた。


 無表情な顔に、目だけが異様に輝いている。そんな顔で見られた俺は、完全に固まってしまった。


 何故だ、体が動かない。頭の先から指の先まで、石になってしまったみたいだ。俺は咄嗟に皇帝陛下から視線を逸らそうとも、それも出来ない。


 皇帝陛下は椅子から身を乗り出し、俺のことを凝視する。


「そち、名はクロン、といったな?」


 皇帝陛下が話しかける。間違いない、この低い声は皇帝陛下自らのお声なのだ。


「は、はい」


 俺は唯一動かせる口を使って、それを肯定する。


「何歳だ?」


「九歳で、あります」


「そうか。よくぞ参ったな?」


「い、いえ。誠ありがたき事であります。我が人生で一番の誉でございます……」


 俺は思いつく限りの言葉を使って受け答えをする。


「……おれはそちのことを気に入ったぞ。ここまでとは、大した適応力テキオーリョクだ」


 よくわからない。これは褒められているのか?


「ありがたき、御言葉。感謝の極みであります」


 取り敢えず、褒められていると感じたら感謝の極みと言っておけばいいと教わっていたので、そのまま口にする。


「……ふふふ」


 んん? 今まで無表情だった皇帝陛下が、ふと笑みをこぼす。


「ふははは、はっはっはっは!」


 そしていよいよ、大声を出して笑い出した。


「はっはっはあ! 流石は勇者候補、他の臣民とは一味違うな! よいよい。これからも頑張るのだぞ」


 皇帝陛下はニヤリと笑い、そう言った。


「は、はい! 立場に甘んじる事なく、真っ直ぐに突き進むのみであります」


 これは俺の”スキル”と突き進むをかけた返しだ。こういう”含み”をもたせた言葉が、貴族社会では大事だと教わった。


「ふん、今のは大方ランガジーノが考えた言葉だろう。もう少し、面白い奴になるといい」


「は、はあ……」


 俺がそう返事をした瞬間、脇に立つ貴族様たちから、そして目の前に立つ老中様たちから、一気に怒気が飛んできた。


「はっ、御言葉、しかと受け止めさせていただきました!」


俺は慌てて言葉を紡ぐ。


「ふん……やはり貴族は所詮貴族か」


 皇帝陛下は、一瞬真顔になり、ぼそりと呟いた。が、すぐに笑みを浮かべる。


「よろしい。我の為、尽くす気はあるのだな?」


 皇帝陛下はその笑みは同じだが、途轍もない圧を感じさせる表情で俺に訊ねてきた。


「はい、誠心誠意、尽くさせていただく所存であります!」


 だが、不思議と場慣れしてきた俺は皇帝陛下のことを真っ直ぐと見、そう答えた。


「……ふむ、そのようにおれと自分の意思で目を合わせて来た者は、いつぶりか?」


 ……あっ! しまった、ついそのまま視線を合わせてしまっていた。ここは少し逸らすべきだったのか!?



 --カツーン!



 皇帝陛下は手に持つ杖を床に突く。と、大老様が再び口を開く。


「以上で、謁見を終わる。二人とも、すぐに立ち去れよ」




 こうして、驚きと恐怖に包まれた謁見は終了したのであった。



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