第44話 1995年3月20日
その日私は小学校の卒業式の為、普段より早い時間に家を出ていた。普段は7時半過ぎなのだが、確か15分くらいは早く出ていたと思う。普段学校に着くのは8時くらいで、その時間に整列していなくてはならなかったからだ。
通学団で並んでいかずに、その日は親に送ってもらったか、ひとりでさっさと行ったか、友達と二人で歩いていったように思う。
私はいじめられっ子で、学校なんかさっさと出ていきたい気持ちのほうが多かった。中学校は、母校ともう一つ、生徒数がうちの半分くらいの学校の二校ぶんの範囲からしか人が来ないから、状況改善なんか望んでいなかった。しかし、金も学校側の協力も知識も今のネットのような集合知もないから転校もそれはそれで難しかった。
8時ごろ、整列して、廊下に並ぶ。5年生なんか7時半に学校について、体育館や廊下の掃除とセッティングをして、席についているはずだ。
式の進行に合わせて、体育館に入場し、卒業式を受ける。祝辞とか答辞とかありきたりなやつだった。今どきのような生徒がいろいろ発案したようなものではなかったが、前までの学年と比べたら私の学年の卒業式は、配置や展示物など、相当に創意工夫が入ったものだが、私にはどうでもよかった。
式が終わって教室に戻り、みんなわいわい騒いで、先生が来て静まって、証書をもらい、帰りの会をして、少し待ってから解散となる。学校中に散らばって写真を撮ったり最後になる確率は少ないおしゃべりを楽しむ。私は友人とクラスが違うのでさっさと教室を出て、これまでの担任の先生と一緒に取ってもらったりした。
当時はインスタントカメラだったから、24枚しか取れないも同然だ。当時の私には十分な枚数だった。どうせ迎えに来た親が写真をたくさん撮る。母は写真が上手い。学校の行事の写真がひとつ、卒業アルバムに使われているのはちょっと自慢である。知ってるのは写真を撮った本人と私と教えてくれた担任の先生だけかもしれないが別にどうでもいい。
ぼつぼつと親が迎えに来て帰る人が出始めた。さっさと帰りたかったが、私の通学団では親が主催したのか、お祝いの食事会が用意されていた。行く直前に知ったのもあって、うれしくもなんともなかった。10人くらいの生徒と親が車二台に分乗して、お好み焼き屋さんの二階の団体部屋に入る。
カラオケセットがあり、人生初のカラオケもやった。カラオケでは歌が流れないというのを知らなかったので歌いにくかった。親が適当に選曲したから「ゆずれない願い」だったから他には誰も曲を知らなかった。苦痛だった。歌わないで隠れていられれば良かったが、誰かが気を利かせ(と本人は思っていたに違いない)、XXちゃんまた歌ってない、と声をかけたのだ。
お好み焼きを一生懸命食べている時に不意打ちで声をかけられ、前の二、三人が歌っている間に飲み込んで水かお茶を飲んで、それでマイクを渡された。で、出だしの声がもちろん入ってないので頭の中がはてなでいっぱいになる。
食事会が終わって家へ帰ったとき、三時は過ぎていたと思う。家はラジオがかけてあったり、祖母がテレビのワイドショーを見ているかして、この日初めて外界の情報を知った。
東京の地下鉄で毒物が撒かれ、死者が出た。それを、初めて知ることになる。画面には通路やホームで倒れたりもたれかかる人々と、それを助ける救急隊員、車内やホームの安全を確保する駅員や警察官の姿。
今はもう知らない人も多くなったことをツイートで実感したりする。海外でテロが起こると日本はどうだという話題があがるが、その中に、「日本はテロにあったことがない」かのような発言をする人がいる。普通の人のアカウントではなく、ジャーナリストではないにしても、それなりに政治の話題に首を突っ込むようなアカウントが「日本はテロの標的にならない(キリッ)」とかやってるのを見たこともある。
彼らには分からないんだろう。それから数年、どれだけ日本中が変わっていったのかを。染まっていったのかを。いや、どう見ても世代的に近いかもっと年長らしい人も見てしまったけど。
数年後に兄が修学旅行で東京に行くとき、警戒のために行動班ごとにトランシーバーで時々先生と通信しながら移動するため、しおりに使い方や、薬品テロへの対応などが載っていたくらいだ。
さらに数年後の私の修学旅行の時でさえ、さすがにトランシーバーは渡されなかったが、班別行動の最初の地下鉄駅では先生があちこちに立っていた。他にもいくつかの駅に先生が立っていたらしい。それで、駅を移動したり、いくつかポイントに着いたり、時間ごとだったりで連絡を入れることになっていた。
様々な事件が起きて、ワイドショーが連日その名を叫んでいた。私が好きな(別エッセイにも書いている)番組のBGMのひとつが、彼らのテーマのようによく使われていて、不愉快だったことも覚えている。不安な感じの曲で、不穏な解説にあわせると煽り効果は抜群だ。
関連裁判が終わって、一つの区切りは迎えたと思う。やっと、「過去の事件」と言える日が近いと思う。だけど、最低でも例えば死刑囚の刑の執行が全員済むくらいまで時がたたないと、終わりはまだ来ないと、私は思っている。
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