第60話 ジール雇用の事情

「私に伝えなければならないこと、ですか?」


 首を傾げるケルドルン侯爵に、イファータ大司教は続けた。


「その通り。しかし、少々話が込み入っていましてのう。加えて、すべては説明できぬのですじゃ」


「それでは……」


 イファータ大司教が話すからには《夜明けの教会》の何かしらの問題なのだろう、と想像がつくが、しかし全容が分からないと言うのは微妙な話だった。

 何か協力してくれ、と言われれば、貸しを作るという意味でも労力は惜しまないのだが、しかし中途半端に秘密にされる部分があっては、協力すべきかしないべきか判断するのが難しいからだ。

 しかし、そんなケルドルン侯爵の懸念とは異なり、イファータ大司教が次の瞬間に口に出したのは、意外な名前だった。


「いや、わしに何か便宜を、ということではなく……ジール・パラディについての話ですじゃ」


「ジールについて? 彼が一体どういった……」


 言いながらも、ケルドルン侯爵はなるほど、と思う部分もあった。

 そもそも、彼を雇うことになった経緯は少し特殊だったからだ。

 もちろん、ロザリーたちに話したように、神聖剣を修めている珍しい剣士であり、騎士団の指南役と、ちょうどジャンヌが師匠を欲しがっていたためだ、という理由もある。

 しかし、本当の理由はジール自身が売り込んできたと言うのが大きい。

 その中で、彼は自分がかなり危険な立場に置かれており、庇護者を求めている、と話していた。

 どこから狙われているかと言えば、ゴルド神聖国の一部の枢機卿である、と言い、もしも庇護してくれるのであれば、自らの持つ技術をケルドルン侯爵家のために振るおうと言った。

 これは魅力的な提案であると同時に極めて危険な話でもあった。

 なにせ、ゴルド神聖国と言えば、国自体はそれほど広大な領地を持つわけではなく、国民の数もカイナスと比べればさほどではないのだが、《夜明けの教会》という巨大宗教権力の総元締めである。

 カイナス国王に王冠を被せる役目を務める教皇がそこにはおり、また他の国々においてもそのような役目を務めている。

 つまり、一つの文化圏における、基礎の部分に食い込んでいる集団で、下手に関係が悪くなると、国際的にも大きな問題が発生する可能性があった。

 だからこそ、侯爵はジールが対立する相手がゴルド神聖国自体ではないこと、教皇に許可を受けて神聖騎士を辞めたことの証明を求めた。

 結果として、ジールはしっかりとその証拠を出した。

 それでも危険なことに変わりはないが、ジールがそのような立場に置かれているということは、どこかのタイミングで鬼札になる可能性もある。

 ここは貴族としての冒険をすべきときなのかもしれない。

 そう思ったケルドルン侯爵は彼を受け入れ、そして今に至る。

 そんな事情があるので、イファータ大司教がどのようなことを言ってくるのか、非常に気になった。

 イファータ大司教は言う。


「……ジール・パラディに、どのような話を聞いておるのかは分からぬが、かの者の神聖騎士辞任については教皇聖下も認められた正式なもの。その点について一点の曇りもないことは、このわし自らその裏書きとなろう。じゃが、ジールには様々な事情があってのう……ジールの辞任を未だ、頑なに認めない者もおる」


 概ねそれは、ジールから聞いた話であり、確かにこの言葉は裏書となるだろう。

 ケルドルン侯爵は頷きながら続きを聞く。


「その一人が、トロス司教の属する派閥の主、ハエレシス枢機卿じゃ」


「ハエレシス枢機卿……」


 その人物の名は、侯爵も知っている。

 というか、《夜明けの教会》の枢機卿五人の名前はしっかりと頭に入っている。

 そのうちの一人が、目の前のイファータ大司教であることも知っている。

 彼が枢機卿であるのに大司教、と呼ばれることが多いのは、市井に広まっている名がそちらの方で、イファータ大司教本人がそれで構わない、と言っているからだ。

 特に子供には教会の位階が分かりにくく、司教以上に関しては皆、司教として叙任を受けており、名目上同格という扱いであるのだが、その辺りについて細かく説明しても首を傾げるばかりであり、そういう分かりにくさを持たれないように、という配慮でもあるという。

 確かに、たまにケルドルン侯爵でもよくわからないような気分になることもあるが、貴族のそれとパラレルに考えればそこまででもない。

 ただ、平民にとっては……というわけである。

 この国において、《夜明けの教会》で一番偉い人は、と子供に説明するときに、親はこういうわけだ。

 一番上がイファータ大司教、その下に司教様がいらっしゃって、司祭様、助祭様となっているのよ、と。

 それ以上の細かい説明は省くわけである。

 ともあれ、そういうことであるからハエレシス枢機卿とイファータ大司教は同格であることになる。

 つまり、同僚なのだが、彼を語るイファータ大司教の顔はあまり楽しそうなものではない。


「ハエレシス枢機卿がどのような人物かは……置いておこう。それよりも、何を考えているか、だけ伝えておこうと思う。ジールの周辺に気を付けることじゃ。ハエレシス枢機卿はジールの存在を良く思っておらぬ。何をするか分からぬ……トロスも、否定はしておったが、何らかの指示を受けている様子でのう……ただ、何をどうするつもりなのかは探れんかった。侯爵……貴方も、身の回りにはお気をつけてくだされ」


 そこまで言ったところで、イファータ大司教は口をつぐむ。

 どうしたのか、と思っていると、遠くから足音が聞こえてきて、部屋の扉が開かれた。


「……おっと、申し訳ありませぬ。お二人のお見送りをしようと思いましてな」


 と、トロスが戻って来た。

 こうは言っているが、大司教と侯爵を二人きりにしたことに何か懸念を覚えたのだろう。

 途中で慌てて戻って来た、ということなのだと思う。

 もしくは、喋っている最中に入り込み、そして何か糾弾するつもりだったのかもしれない。

 何か魔道具の類が置いてあった可能性もあるが……。

 しかし、大司教が小さな声で侯爵に言う。


「……聞き耳の魔道具の類は無いことを確認しておりますじゃ。ご心配召されるな」


 この人は、これで結構な魔術師としても有名な人だったと言うことをそれで思い出す。

 それならば……と安心し、侯爵はトロスに言った。


「お心遣い、痛み入ります。では、そろそろお暇させていただきます……ジャンヌ、ジャンヌ。起きなさい」


「……うう…ん……」


 ジャンヌが目を擦りながら起き上がったのを確認し、


「では、お二人ともこちらへ」


 トロス司教が先導し始めたので、それについていくべく、歩き出したのだった。

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