第27話 侯爵へご挨拶
「……おぉ、ようこそおいでくださった。ロザリー殿。今回はこちらのわがままで、この短い間に何度もご足労頂くことになって、大変申し訳なく思っておりますぞ……」
馬車から降りたロザリーに心の底から申し訳なさそうにそう言った壮年の男性は、何を隠そう、このケルドルン侯爵家の主であるテオドール・ヴァン・ケルドルン侯爵その人であった。
ほっそりとした、しかし品のある顔立ちに、よく手入れされた口ひげが見え、動作は極めて優美で、洗練されている。
様々な文物の集うこの街ラインバックの主として、納得のいくような雰囲気を持つ人物であり、また、極めて腰が低くいながらも、その瞳から感じられるのは多くの修羅場をくぐり抜けたものにだけ宿る気迫であった。
ぱっと見でこの人を判断すると、あとで痛い目を見てしまう、そういう癖の強い人物のように俺には感じられる。
俺も初めて会っただろうに、なぜそんなことがわかるのか、と言えば、それこそ魔族四天王の一人に彼のような人物がいたからだ。
《呪病の主》《狡猾なる魔手》と呼ばれたゲゼリング・ダッツという老人で、彼は魔族でありながら人間と商取引を行ったり、人間の中から裏切り者を出したりと、人の心の隙にするりと入り込んで利益を奪い取ることを極めて得意としている人物だった。
そんな男と、今目の前にいる壮年の男性は似た雰囲気を放っているのだ。
侮る方が難しいというものである。
とはいえ、それでも今回のことを申し訳ないと思っているらしいということは本当のようだ。
まぁ、ロザリーはついこの間、ここに来たばかりで、しかもケルドルン侯爵の娘が、ロザリーの夫に迷惑をかけたのだ。
にもかかわらず、さらにこうして来てもらって、少しも何も思わないと言うのはさすがにない、というところだろう。
それを理解してか、ロザリーは首を横に振りつつ答える。
「いいえ、お気になさらずに。元はといえば、わたくしの夫がご息女を誘惑したことが原因ですわ……。たとえそのつもりがなかったとしても、いささか、若いご息女には毒が強すぎたようで……」
やはり侯爵の前であるから、ロザリーの口調は淑女のそれである。
極めて流麗で、いつもの乱暴な言葉遣いは見る影もない。
ちなみに、その言葉は、本気で言っているのか、若干の当てこすりも含めているのかわかりにくい言い方である。
場合によっては失礼に当たるだろうが、これについて、ケルドルン侯爵は穏やかに笑って、
「はっはっは。イグナーツ殿の評判は、学院にご在学されているときから数え切れないほどお聞きしておりました。しかし、正直眉唾物ではないかとずっと疑っておったのです。しかし、本当だったのだと今回初めて理解しましたよ。おっしゃるとおり、まだ五歳の娘にはその魅力は毒だったようで……」
そう返答してくる。
学院在学中に……というのは、そこでイグナーツが相当に浮き名を流してきた、ということなのだろう。
そんなもてたのか、と思ってしまうが、見た目は確かにかなりいい。
それに加え、何とも言えない色気もある男だった。
ロザリーがいるとそんな魅力もなぜか抑えられるが、屋敷の廊下で向こう側から一人で歩いてくるところを見かけると、精霊か何かがやってきたように感じてしまうほどだった。
魔性の女ならぬ、魔性の男だったのだろうな、と思う。
まぁ、さすがに俺はなびかないけどな。
そもそも俺は男だ。
ケルドルン侯爵は続ける。
「しかし、本当なのですかな? 娘のイグナーツ殿への思いを消火する方法がある、とは……。正直、情けないお話なのですが、親の私ですらあの燃え上がりようはいかんともしがたく……早々簡単に消えはしないだろうと思ってしまうほどなのですが」
これに、ロザリーは俺を見ながら、自信をもって答える。
「ええ、大丈夫です。その方法がここにありますわ」
ケルドルン侯爵の視線が俺の方に向かい、
「……この少年が……? ええと……?」
「……失礼しました。アイン、まずは、ご挨拶を」
そう促されて、俺はケルドルン侯爵に向かい、背筋を伸ばして、可能な限り洗練された動作でもって、挨拶を始める。
「……お初にお目にかかります、ケルドルン侯爵閣下。私の名はアイン・レーヴェ。ハイドフェルド伯爵の孫にして、その跡取りであるロザリー・ハイドフェルドの弟の息子でございます。今回は、ご息女の武術の指南役として、参りました。若輩者ゆえ、ご迷惑をおかけすることもあるとは思いますが、どうぞ、侯爵閣下の幅広く、深いご見識をもって、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
……まぁ、そんなに悪くはないだろう。
たぶん。
どうだろうか、と思いつつ、下げた頭をゆっくり上げると、微笑みつつ、しかしどこかぷるぷる震えているロザリーと、目を見開いているケルドルン侯爵の様子が目に入った。
おっと、やりすぎたか?
あとで言い訳が必要かもな……。
ともあれ、俺はとりあえずロザリーは無視して、ケルドルン侯爵に尋ねる。
「……閣下? いかがなさいましたか。もしや、私のご挨拶に失礼が……」
「いやいやいや! 全く問題はないですぞ! アイン殿! ……ちなみに、お年はおいくつになられる……?」
「今年、五歳になりました」
「……なんと。それでこれほどの礼節を身につけておられるとは……。確かに、これなら我が娘の目にもその姿が映るやもしれませんな……。しかし、ロザリー殿。このような秘蔵っ子をお持ちなのに今まで隠しておられたとは。ハイドフェルド伯爵家はやはり、侮れませんな……?」
ケルドルン侯爵は、そう言ってロザリーを見る。
その言葉に、ロザリーははっとし、それからすぐに表情を整えてケルドルン侯爵に向かう。
その表情の変化は、幸い、ケルドルン侯爵には確認されなかったようだ。
「……いえいえ、本人も申し上げましたが、まだまだ若輩者に過ぎませんわ。しかし、その器量は年齢も考慮に入れますと、イグナーツに勝るとも劣らないのではないか、と思っておりますの。もちろん、絶対とは申し上げませんけれど、一度、このアインとご息女をお会いさせていただければ、ご息女の熱病も冷める可能性はあるのではないか、と思いまして」
「ええ、ええ。よくわかりましたとも。ぜひそのように取りはからいましょう。とはいえ……いつまでも玄関先で、というのも礼を失しておりましたな。どうぞ、中へ。実は、つい先日、西の大陸よりよい茶葉が手に入りまして、味を見ていただきたいと思っておりました……」
そう言いながら、ケルドルン侯爵は踵を返し、屋敷の中へと入っていく。
俺たちもそれに続いた。
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