第25話 釘刺し

「わぁ。綺麗だね!」


 馬車の外の景色を眺めながら、子供らしく無邪気にそう言った俺。

 もちろん、八割方演技であるが、残りの二割は心の底からそう思って言っている。

 というのも、馬車の外に見えているのは、生まれて初めて見た、《海》だったからだ。

 大海原の遠くには、どこまでも続く水平線が見える。そこに沈む夕日の輝き……あぁ、久しぶりに見たな、と思った。

 生まれて初めて見たくせに、久しぶりとはこれいかに、という感じだが、前世では二百年以上生きていたのだ。

 当然、見たことはある。

 ただ、今世では初めて、というだけの話だ。

 しかし、それでもこういう光景は美しいと思ってしまうな。

 前世では、あまり心穏やかにこういう景色を見ることが出来なかった。

 海を見るのは、海戦とか軍事演習とかそういうときばかりだった。

 休暇に来たことはないわけだ。

 

「……そういえば、アインは海を見るのは初めてだったか」


 俺の隣に座っているのは、ハイドフェルド家次期当主、ロザリー・ハイドフェルドである。

 この馬車に乗っている人員は、御者と使用人を覗けば俺と彼女だけに過ぎない。

 俺の両親はどこに行ったかというと、今もハイドフェルド家の屋敷にいる。

 今回、俺とロザリーは、例のご息女のところ……つまりは、ケルドルン侯爵のお膝元であるケルドルン侯爵領、その領都ラインバックへと向かっているのだが、俺が来る名目が、ご息女が武術の訓練をされる際の訓練相手を見つけてきた、というものなのだ。

 そのため、俺は来れるわけだが、俺の父であるテオとアレクシアは、一応貴族であってもその格は低く、一緒に来るといろいろと面倒くさいことになるかもしれないので来れなかった。

 ロザリーの親戚として、堂々と来る、ということも出来ないではなかったのだが、来たところで何か意味があるわけでもなく、また、エドヴァルトとオリヴィアが久しぶりの息子とその嫁との生活を楽しみたそうだった、というのもある。というかそれが大半だ。他は言い訳というか建前である。

 俺についても、出来れば祖父母たちはまだいてほしかったようだが、オリヴィアが今回のことを提案した手前、文句は言えなかったようである。


「うん。でも本を読んで、知っていたよ。あれは全部、塩辛い水なんでしょう?」


「その通りだ……あぁ、見たことがないということは船も乗ったことがないか?」


 ロザリーが尋ねてきたので、俺は頷き、


「うん。でも、レーヴェの村には川があるから、よく草舟を作って浮かべるよ」


 そういう遊びが、村にはある。

 作り方は親や祖父母かから学び、そしてどれが一番早いか、またどれが最後まで沈まないか、などを競うのだ。

 家によっていろいろ作り方に工夫があり、結構熱くなれる遊びである。

 俺も爺さんながらに楽しませてもらった。

 一度だけ、魔力を注いで即席魔導具にし、ずるをして勝利をしたことがあるくらいに……。

 普段はほぼ勝てないからな……村の子供たちは、これの作り方が異常なまでにうまい。まぁ、遊びがあんまりないから、一つ一つの遊びに極端に習熟していく、ということなのかもしれなかった。


「草舟か……私は町で育ったから、そういう遊びの記憶はないな……」


「ロザリーは、どういう子供だったの?」


 すごい呼び捨てにしている俺であるが、これは彼女自身が望んだからそうなっている。

 曰く、試合でほとんど引き分けたのだから、ロザリーと俺は戦士として対等である、というのだ。

 かなり手加減されての試合なのだから、そんなのはおかしい、と思ったのだが、押し通された。

 ロザリーにすごまれると逆らえないのだ。

 テオも最後には「姉貴の言うとおりにしてやれ……」と諦めたように言っていた。

 ちなみに、ロザリーの息子であるファルコの反応だが「母様がそんなことを? すげー……アイン、お前ってすげーのな……」と唖然とした顔で言っていた。

 母様をそんな風に呼ぶな、とかキレられるかと思っていたが、そんなことはまるでなかったわけだ。

 きっと、ファルコにとっても、ロザリーの決定は自然と受け入れるものなのだろう。

 意識的にも無意識的にもそれを否定するという発想が浮かばないのかも知れなかった。


「私か? 私は……テオほどではないが、それなりにやんちゃだった、かもな。貴族の令嬢にはいわゆる、淑やかな礼儀作法が求められ、教養や気品を身につけるために様々な家庭教師に習い事をするわけだが……私はどうも、一般的なものが好きではなくてな。武術に傾倒してしまった。もちろん、最低限、淑女としての振る舞いは身に付けはした上で、だがな」


 まぁ、その辺りについてはオリヴィアが遠回しに言っていたな。

 普通でない令嬢として育ってしまった、みたいなことを。

 

「他には?」


「他には……そうだな。町の子供と遊ぶことが多かったかな。本当はいけないことだが、使用人たちの目を盗んで、屋敷を抜け出して……つまりは、テオとだいたい同じだ。流石に町を出て、魔物に挑みに、なんてことはなかったけどな」


 ハイドフェルド家の血筋は家を抜け出さないと気が済まないのだろうか?

 こういう話を聞くと、ファルコはむしろハイドフェルド家としては、大人しい方なのではないかという気がしてしまう。

 俺は……どうなのだろうな。

 レーヴェの村では貴族として扱われることは少なく、普通に村の子供として生活していたから、村の中でどう行動しようとテオにもアレクシアにも文句を言われたことはないからな。

 屋敷の中で、閉じこもっているように言われていたら抜け出していたかも知れないので、どちらかというとテオやロザリーに気質は近いかも知れない。

 まぁ、これはハイドフェルド家の血筋だから、というわけではなく俺のもとからの性格だが。


「ま、そんなわけで、私はおよそ一般的な淑女からは外れている。これから向かうケルドルン侯爵家にも、こういうのがいるとは思わん方がいい。普通の貴族令嬢というものは、お淑やかで、弱く、たおやかなものだからな……ケルドルン侯爵のご息女も、私に挑みかかってくる辺り、勇ましい部分はお持ちなのは間違いないが、今のところは一般的な貴族令嬢でいらっしゃる。扱いは優しく、な」


 ロザリーが自分のやんちゃさをなぜ語るのか、と思っていたら、自分を一般的な貴族令嬢だと思うのはやめておけ、と五歳の子供に事前に伝えておきたかったらしい。

 そんなことは俺はわかっているが……しかし、初めて見た貴族令嬢がロザリーである五歳児にこれを伝えるのは正しいだろう。

 子供が貴族令嬢について何の知識もなく、ロザリーとしか会ったことがなかったら、みんな、一騎当千の猪武者のような感じ、と思っていてもおかしくないだろうからな。

 だから、俺は素直にうなずいた。


「うん、わかった!」


「……それでいい」


 ロザリーは俺の反応にうなずいて、俺の頭をなでたのだった。

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