第40話:帰還命令

第40話:帰還命令



 スピアーズは辺境の村としては、比較的栄えている村だった。

 その理由はいくつかあるが、最大の理由は金だろう。

 停戦中とはいえ、確実に後の世に歴史書という形で残るであろう大きな戦を交わした二国に森を挟んで面しているのだ。ブレシア王国としては、臣民の保護の観点からも、また外交事故トラブルに際しては前線にもなりうる。補助金という支援を惜しむのは愚かであろう。


 また、村に駐屯している守護兵の存在も大きいだろう。

 戦時はともかく、今は平時。彼らは凶暴化や魔獣化した獣から村を保護し、時には労働力となる。そして、衣食で村に金を落とす存在でもある。


 金があるという事は、そこに商機があるという事でもある。本来、行商人は辺境にいくほど少なくなるが、スピアーズは例外である。これといった特産物がなくとも、金があるという事は購買力があるという事。それだけで、商人には価値がある。


 こうした理由で、インフラや太い物流、防衛施設など街と呼んでもおかしくなく、しかも住人は国境に面しているだけに、肝が据わった人々ばかりと、ブレシア王国としては非常に頼もしい存在になっている。もっとも皮肉な事にブレシア王国の中枢部でその事実を知るのは一握りの存在で、基本的な認識はただの辺境の村なのだが。






 スピアーズの森のある方向の端に守護兵の宿舎がある。森に近いのは危機対応の為で、物見やぐらや銃眼付きの防壁と一体化した施設であるトーチカが隣接されている。


 平時とはいえ国境の目と盾を司るとあって、宿舎を中心とした守護兵の勤務地テリトリーは24時間営業。しかもいざという時は村人の協力が必須である為、サービス精神も日本のコンビニにも負けていない。詰め所には村人からの相談事が書面化され、コルクボードにピン止めされている。


 そんな守護兵の隊長であるアレクは、宿舎から表に出ると通りすがる村人達からわるわるに声をかけられる存在だ。歳こそ若いが、生真面目で部下からの信任も厚いとあっては村人としても見る目に信頼がこもるものである。――もっとも、最近はその見る目に微妙な変化が起きているのだが、当の本人は気付いていない。




「本日はトワ様に会いにいかれる日ですな」


 気配なく後ろに立たれたのにため息を付きつつ、アレクは振り返る。文句を言っても修行不足を指摘されるだけだ。


「まず、こちらスピアーズでの事務仕事を片付けてからでしょう。タンク」


 師匠ではなくタンク。公私の区別の為、人目のあるところでは名前で呼んでいる。フルネームであるタンクレートと呼ばないのは、略称で呼ぶのがブレシア王国の慣習だからだ。

「アレク様。事務仕事そちらわたくしが片しておきますので。今日は早めに行かれたほうがよろしいかと。天気も怪しい事ですしな」

「何を馬鹿な事を――それは?」


 天気が怪しいから公務を放っていけ。そうとれるタンクの言葉に呆れて反論しようとして、彼の手に封書がある事に気付いた。蝋封はすでにはがされているが、封書のデザインからそれが、王都にある国防庁からのものである事はわかった。

 アレクは眉をひそめる。通常、王都からの連絡は守護兵の総隊長を通してが常だ。

 国防庁は守護兵の最上位権限を持つ機関である。いくらスピアーズが要所であるとはいえ、そんなところから辺境の部隊に封書めいれいが届く。良い予感がしない。


「夜のうちに早馬で届いたそうです。失礼ながら先に目を通させて頂きました」


 すでにタンクが封を開けていたのも、同じ考えだったからだろう。本来は隊長アレクの代行時の為だが、権限的に彼が読んでも問題はない。


「……詰め所の執務室で読みます。どちらが公務をするにしても無駄足にはならないでしょう」

「左様ですな」


 アレクはタンクから封書を受け取り、詰め所の警護として表に出ていた者にしばらく執務室から人払いをするよう命令する。命令を受けた守護兵は疑問も口にせず、敬礼をしてから早足で詰め所内に入っていった。






「あれ、アレク? どしたん?」


 トワは獣道から姿を現したアレクを見て声をかけた。ちょうど日課ルーチンワークに出ようとした矢先だった。今日はアレクが来る日ではあったが、時間が早すぎる。


「……なんか、あったん?」


 アレクの表情が若干固いのに気付いて、トワの声が気遣わしげなものになる。安心させるかのようにアレクは微笑むが、トワにはそれがこわばって見えた。


「少しとうふハウスで話したいのですが、時間は大丈夫ですか?」

「それは、無問題モーマンタイやけど」


 これから日課ルーチンワークに出かけようとしていたのも、それが遅れたり一日ぐらいとりやめにしたところで問題がないのはアレクも知っているはずである。にもかかわらず、わざわざ聞いてくるあたりで尋常でない雰囲気をかもし出している。



「わかった。とうふハウスで話聞くわ」


 トワは出たばかりの豆腐ハウスのドアを開け、アレクに入るよう促した。



 ダイニングセットに腰掛けたアレクがさっこく切り出した問題ばくだんに、トワは所持品保管箱ストレージボックスから取り出したブドウジュースのグラスを取り落としかけた。



「帰還命令!? それって」

「ええ、王都に戻れと。どうやら配置換えの類ではなさそうなのですが」

「なさそうって」

「国防庁からの正式な命令書ではあったのですが、私を名指しで至急王都に戻れと。本来、こういったものは事由が記されているはずなのですが、そういったものはなし。逆に私だけの帰還命令で他に何もなかったので、トワの件が国の耳に入ったわけではないでしょう。そこは安心してくだ――」

「そこちゃうやろ!!」


 テーブルを叩いて、トワが立ち上がった。勢いでトワのグラスが倒れ、ブドウジュースが服を濡らすがお構いなしだった。


「で、アレクはどれくらい王都とやらに滞在するん?」

「正直わかりません。帰還の理由すらわかりませんので」

「戻ってくるやんな? 絶対に戻ってくるやんな!?」

「………………」


 アレクは何か言おうとして口を閉じた。何かを確たる事といってしまえば嘘になるからだ。

 トワにもわかっている。感情にまかせて言ってしまったが、帰還理由も書かれていない命令書。アレクにだって何があるかわかるはずもない。場合によっては王都に栄転・・だってありうるのだ。


 ストンと力が抜けたようにトワはイスに座りなおした。


「いつ? いつ出発するん?」


 戻るなとは言わない、言えない。アレクは軍属なのだ。上からの命令には逆らえないし、逆らえば罪に問われる事くらいトワにもわかる。


「命令書には早急にと書かれていましたが準備もあります。道中の事もありますので行商人の隊商に便乗させてもらうつもりです」

「今、スピアーズにいる人らやね。だったら、明後日あたり?」

「まだ彼らぎょうしょうにんに話をしてないのでスケジュールを把握してないのですが。いつもの感じですとそうなりますね」


 言ってはいけない。そう思いつつも、トワはそれ・・を口にする。


「私の事はどうするつもりなん?」

「……。身辺の事や商人との渡しは師匠にお願いするつもりです。今のトワなら知識複写シフトインテリジェンスがなくとも日常会話レベルなら不自由はないはずです」

「そっか」


 アレクの言葉にトワは感情のこもらない相槌をうった。

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