第8話 楽市楽座

 いかなる座の支配も受けず、ただただ、自由に商売活動を行える場所を安土に作り上げる。そのことにより安土が、商売人にとってのまさに『平安楽土』となる。そうすれば、銭も、物も、人も安土に集まり、そして安土を本拠とする織田信長はいよいよ栄えるであろう。


 幸いというべきか、安土のある南近江は、かつて六角氏が支配していたときに、その主城たる観音寺城下が楽市だった。そのために楽市には馴染みのある土地柄であり、商人も村人も、楽市令に抵抗はあるまい。


 ……ということを、俺は信長に伝えた。


「楽市、楽座ならば、余はこれまで何度も行ってきた。美濃の加納も楽市ぞ」


「その楽市を、天下一の規模で行うのです。それでこそ上様が天下人になられたなによりの証拠となります」


「天下一とは、大きく出たな」


 信長は微笑を浮かべたが、


「山田の考えていることはおおよそ分かる。これまでに作り上げてきた道路網、行商網、その集大成をこの安土に作ろうという腹づもりか」


「は。京の都、尾張の津島、美濃の加納や岐阜、近江の長浜に坂本、越前の一乗谷、さらに堺の町までも。すべての主立った商業圏と道路網の中心にあるのがこの安土です。まったく素晴らしいところに目をつけて、主城を築かれたものです。山田弥五郎、上様のご慧眼に心より感服いたしております」


「いまさらくどい世辞はいらん。そちの申すことの意味は分かる。安土に最高の楽市を作り上げ、そこから上がる銭を用いて、天下を支配せよと申すか」


「御意の通り」


「……そもそもひとが集まるだけでも意味がある。人の数は力だ。この安土が天下一の町となれば、それだけで天下の大名豪族、ことごとく織田の名にひれふす。ひれ伏せば、もはや無益な戦をせずとも天下に静謐をもたらすことができような」


「はっ」


 俺がくどくど言うまでもなく、信長は大規模楽市の長所と構想をすぐに理解したのである。あるいは、もう頭の中で、俺と同じようなことを考えていたのかもしれない。


 信長は、目を閉じて、じっと考えている顔を見せる。

 聡明な彼は、安土に楽市を築くことで、支配地や天下にどのような影響があるか、思案しているようだ。俺は楽市楽座令の成功を歴史として知っているが、信長は知らない。大規模政策を実行することが良いのかどうか、考え悩むのは当然だ。


 ここで俺は、よりダメだしの一手を繰り出した。


「楽市楽座が生み出す銭の力で、武田を駆逐することもできます」


「なに、武田?」


 信長は目を開き、意外そうな顔で俺を見た。


「武田がどうした。武田勝頼が楽市とどう関係する」


「はっ、これは昨晩、ひそかに受けた報告ですが、武田家が保有する黒川金山が近ごろ、衰えてきております」


 報告というのは嘘だ。

 俺の知っている歴史知識である。


 この年(1577年)から、武田家が所有している甲斐国最大の金山、黒川金山の産金量が減り始めているのだ。


 単純に金が尽きてきたこともあるが、長篠合戦以来、衰退を始めた武田家が、鉱山技術者の雇用を保てなくなっていたのである。技術の新開発もできなくなっていた。


 武田の金山は、黒川のほかに、甲斐では中山、保、御座石、信濃では金鶏山、長尾。駿河では富士、安倍などが存在していたが、いずれも金掘り人夫を雇えなくなり、掘るための道具を買いそろえる余裕もなくなったことから、金を出せなくなり始めていた。


「ここで安土を楽市とし、商業天下一を広く喧伝してまわることにより、銭は、金銀は、すべて織田様こそが圧倒的だと知らしめるのです。そうすれば金無しとなった武田はいよいよ干上がり、戦もできなくなります。徳川様に依頼し、武田の金掘り人夫を引き抜くことも容易となるでしょう。金さえなければ武田など、戦いもせずに打ち倒すことができましょう」


「みなまで言うな、山田。武田の金山の話がまことならば、確かにそちの言うとおりじゃ。……ふふ、相変わらず変わった男よ。金儲けと武具作りだけではなく、金儲けをすることで敵を干上がらせる策を思いつくとは」


「恐れ入りまする」


「山田弥五郎の策を用いる!」


 信長は立ち上がり、


「安土に楽市楽座令を出す。織田信長の安土城こそが日ノ本最高の町だと触れて回れ。他の大名は黙っていても余の傘下に入るわ。はっはっは……!」




 天正5年(1577年)6月。


 建設中の安土城下に、13箇条の制札が掲げられた。

 制札には安土城下の楽市化が宣言されており、座の制約から商工業を解放すること、あらゆる商業活動が自由であること、城下町への課税を廃止すること、さらに城下において商人の貸した金が放棄されること(つまり徳政令)は、決してないことなどが記されている。


 なんでも自由というわけではなく、一種の規制も存在した。

 安土の前を通る商人は必ず安土に立ち寄まり宿泊することや、近江国内で馬の市が開かれるのは今後は安土だけにすることなども記してある。


 さらに――

 これは俺が信長に、口を酸っぱくして言ったことだが、


「城下の市場は、とにかく泰平を保たせてください」


「泰平、とは?」


「ケンカやインネンなどを、徹底的に禁止させるのです」


 遠い昔、俺とカンナが商売をやっていたとき、蜂須賀小六に絡まれたことを思い出す。


 もちろんいまとなっては、小六は心強い仲間であり、謝罪も受けている。いまさら気にしてはいないのだが、ああいうことがあってはいけないと俺は思うのだ。


「城下におけるケンカ、口論、押し売や押し買いなどは徹底的に取り締まり、そのようなことがないようにしていただきたいのです」


「承知した。元より余も、そういった連中は大嫌いだ」


 子供じみた顔で、信長はそう言った。

 かつて京の都に信長が上洛したとき、織田軍の兵士が通行人の女性をからかったことがあった。信長はただちにその兵を斬り捨てた。


 信長は治安を乱すような輩を徹底的に嫌う。自分が若いころ、うつけ者と呼ばれ、ときには前田利家あたりを引き連れて町の若い衆とケンカをしたこともあったようだが、それなのに。……いや、そういう過去があるからこそ、逆に嫌いなのかもしれないが……。


 ともあれ。

 こうして安土城下に楽市楽座ができあがった。


「当所中楽市として仰せ付らるるの上は、諸座、諸役、諸公事等悉ことごとく免許の事」


 この楽市楽座令により、安土城下は空前の発展を見せることになり、織田家の天下がいよいよ人々に周知されることになる。織田家の経済力と繁栄はうなぎのぼりとなり、武田や毛利、本願寺などの抵抗勢力は『天下の繁栄に刃向かう、泰平の敵』という印象がじわじわと広がっていく。


 信長はいよいよ、上様として、多くの民衆からも認められはじめたのである。


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