第5話 第二次信長包囲網

 天正4年(1576年)1月、岐阜城。


「やあ、山田殿」


「このようなところで珍しい」


「石川さん、佐久間さん。これはどうも……今年もよろしくお願いします」


「ああ、よろしくお願いしまする。では参りましょう、佐久間殿」


「うむ」


 正月を迎えたばかりの岐阜城内で、石川数正と佐久間信盛のふたりに出くわした。


「珍しい組み合わせのふたりだな」


 妻でありながら近侍も務める伊与が、隣でぽつりとつぶやいた。


「いや、そうでもないさ。恐らく水野信元の一件だろう」


 徳川家康の伯父にして、佐久間信盛の与力である、水野信元という武将がいる。この信元が、敵方である武田家に兵糧を売り込んだ。……という噂が立てられた。その噂を聞いた佐久間信盛さんは、信長に事態を報告。信長はただちに、家康に「信元を殺せ」と命令した。


 こうして信元は殺された。

 この事件は去年の12月に起きたものだが。

 恐らく、この事件の後始末と報告のために、石川さんは徳川領から岐阜に来たのだろうし、佐久間さんもその応対に出たのだろう。


「徳川家はまるで、織田家の家臣だな」


「少しずつそうなっていくのさ。信長はもはや天下人だ。城内でも上様と呼ぶひとが増えてきた」


 話しながら廊下を歩いていると、通りがかる武士や商人や女衆が、次々と俺に頭を下げてくる。


 中には、


「山田弥五郎様ですな。お見知りおきくださいませ。わたくし、近江で商いをやっております●●と申しまして……」


 と、顔を売り込んでくる連中もいた。

 くすぐったいような、鬱陶しいような。

 けれども、彼らの気持ちは分かる。


「俺も昔はああだった。顔を売り、ものを売ることに恥も外聞もなかった」


 俺は凡人だ。

 例え相手に迷惑と思われても、いわゆる飛び込み営業式にやっていかねば、食っていくことも、仲間を養うことも、まして運命を切り開くことなど、到底できやしなかった。


「そういうものの見方ができるようになったか。俊明も立派になった。偉い、偉い」


「からかうなよ」


「私はお前のお姉さんだからな」


「1日だけだろ、イバるなよ……」


 このやり取りも、久しぶりな気がする。




 岐阜城下の山田屋敷に戻ると、


「父上、お帰りなさいませ! それより聞いちゃってん。牛神丸がひどいっちゃん! 取っておいた握り飯を食べて!」


「だっていつまでも、庭先にぽつんと握り飯があるからだ。あんなところに置いてたら握り飯が古くなって食べられなくなる! だから食べた。俺の言うこと、間違ってますか、父上!」


 我が子ふたりが、いきなりしょうもないケンカの報告をしてきた。


 伊与との間に生まれた娘、いつき。今年で満年齢換算15歳。伊与そっくりのくせに落ち着きがなく、博多弁みたいな不思議な言葉をベラベラしゃべる。


 カンナとの間に生まれた息子、牛神丸ぎゅうじんまる。今年で満年齢換算6歳。淡い色の金髪は母親から引き継いだものだが、とにかくよく食べる。おかげでコロコロと丸い。あかりの作るごはんをよく食べているからだろう。


「勝手に取ったのは牛神丸が悪いな。姉上に謝れ」


「イヤだ!」


「イヤでも、謝れ」


「……。……ごめんなさい」


「よし。樹、これで許してやれ」


「……むうう。……まあ、しょうがないね……。はい、許した」


「よし。……それと樹、10歳も年下の弟とケンカをするんじゃない。まして握り飯ひとつで」


「食われたのはみっつやし! みっつも牛神丸は食べた!」


「みっつでもなんでもいい。足りなければ台所に行って貰ってきたらいいだろう! ……ったく、どうしてこう、こんなしょうもないことでケンカをするんだ、我が家の子たちは」


「ケケケ。あんたが甘やかしすぎなんだよ」


 振り返ると、五右衛門がケタケタ笑っていた。


「欲しいと思うものなんでもやってりゃ、子供もそうなるさ。なあ、伊与?」


「そうだな。……私も俊明も留守が多いから、ついあれもこれもと与えてしまったのがまずかった……」


「そんなに与えてもらったかいな、あたし。小さい玩具とか食べ物くらいしかなかったような~」


「それが甘えているというんだ、樹。父上と母上が育った大樹村は、お世辞にも豊かとは言えない村で、毎日が麦やらアワやらで」


「それはもう何度も聞いた~。話が長くなりそうだから引っ込んで遊ぼう。いこう、牛神丸」


「はい、姉上~」


 姉弟は、先ほどまでのケンカはどこへやら。

 屋敷の奥へ、ふたりで引っ込んでしまった。

 俺と伊与は、揃ってため息をついた。


「牛神丸はともかく、樹なんて、そろそろ嫁に行くような年頃なのにな……」


 正直に言うと、未来から来た俺の感覚では、樹が結婚なんてさすがに早すぎる。なにしろ15歳だし、おまけに、いいものを食べさせてきたつもりだが、身長は150程度。この時代の女性としては平均より少し高いくらいだが、俺の目から見ると中学1年生くらいの子にしか見えない。


 父親だから、というのもあるんだろうが……。樹が嫁入りなんて、冗談としか思えない。


「樹を嫁にやるつもりかい? 別にいいんじゃないか、いつまでもこの屋敷にいたって。食うには困らんわけだから」


「あっさり言ってくれる。声がかかるなら婚姻させたほうが樹のためだろう。……実は3日ほど前にも、岐阜城下の商家からそれとなく縁談の話がきたんだ」


「なに? その話、俺は聞いてないぞ」


「冗談交じり、という感じだったからな。俊明は忙しそうだったから、わざわざ伝えるまでもないと思った。……まあしかし、そういう年齢ではあるからな。そろそろ真剣に考えなくては……」


「別にいいじゃんかよう。伊与だって母親になっても刀振り回してるし、カンナはそろばん弾いてるし、ウチだって独り身のまま正義の泥棒やってんだ。樹だって気ままに生きても構わんだろう」


「それはそうだが……。樹には、平凡な幸福をつかんでほしいのだ」


「分かる。それが親ってもんだぜ、五右衛門」


「ふうん、ウチにゃ分からねえや。ま、いっか。ウチには根本的には関係のない話――おっと、羽柴の殿様が来たぜ」


「なに?」


 振り返ると、


「いよう、弥五郎!」


 いつもの快活な声で、秀吉が入ってきた。


「藤吉郎。長浜じゃなくて岐阜にいたのか!」


「うむ。汝と話をするためにの、たったいまやってきた。長浜は小一郎に任せておる」


 秀吉の後ろにはカンナ、あかり、次郎兵衛もいる。


「どうした、みんな」


「ついそこで会うたけん、みんなでいっしょに入ってきたとよ。……アンタたち、なんでこんな屋敷の入り口で突っ立ったままなん?」


 カンナの言うことはもっともだった。

 山田屋敷に入るなり、ずっと俺たちは立ち話をしていたのだ。


「ここに全員揃っておるなら、ちょうどええ。話がある。……弥五郎、屋敷の奥を貸せい」


「深刻な話らしいな」


 正月に家に帰ってきたばかりだというのに、忙しいことだ。


「あかり。全員分、茶を用意してくれ。宇治の良い茶があっただろう。あれでいい」




「西が、くさい」


 部屋に入るなり、秀吉は真剣な顔をして言った。

 室内には俺と伊与とカンナと、秀吉。


 五右衛門と次郎兵衛は、部屋の外に待機して、不審者が入ってこないか見張りをしてくれている。


「西というと、毛利家か」


「そうじゃ。それと、あの馬鹿公方が結びつく気配がしておる」


 足利義昭か。

 京の都から追放され、流浪の身となった義昭。


「いまは紀伊国(和歌山県)にいるはずだが……」


「それが毛利家に行こうとしておる。さらにあの阿呆公方は、上杉や本願寺にも盛んに使者を出しておる。わの字殿からの確かな知らせよ」


「和田さんが」


 俺はその名前を聞いて、一瞬、固まった。

 俺たちの努力によって、本来死ぬ運命を回避した和田惟政さん。


 彼は信長に嫌われてしまったため、堂々と自分の故郷や織田軍に戻ってくることもできない。そこで俺と秀吉と、さらに旧知の関係である滝川一益とで話し合い、和田さんに銭や米を送りつつ、関西方面の情報を仕入れるたびに、羽柴、滝川、山田の三家に知らせるように頼んである。


「俺はまだ、その情報を和田さんから貰っていないな」


「わしの住む長浜が、一番、西じゃからのう。知らせが届くのがもっとも早かったんじゃろう。汝や滝川の家にも今夜か明日には届くはずじゃ」


「義昭と毛利家が結びつくと、厄介だな」


「しかし、いずれは避けられん衝突よ。織田と毛利。これまで表面では仲良くしておった。だがもはや戦の時期が来ている。……弥五郎、わしはこれを良い機会じゃと思うておる。上様に申し上げて、毛利攻めのお役目をいただくつもりじゃ。


 弥五郎。昔、わしが但馬を攻めたことを覚えておるか?」


「ああ、覚えている。永禄12年(1569年)のことだったな。義昭と上様が上洛を果たした直後のことだった」


「そうじゃ。あのときの実績もある。わしは西に詳しいつもりよ。そこを上様に申し上げる。――毛利を倒せば、織田の天下は定まり、天下太平。そしてこの羽柴筑前の武名もいよいよ天下に広がる。出世できる、ちゅうもんじゃ!」


「そうだな。……うん、それがいい。もちろん俺も協力する。毛利攻めには銭がいるだろう。その銭は俺が受け持とう」


「助かる!」


 秀吉は、がっちりと俺の両手をつかんだ。


「まさにそれを頼みたかったんじゃ、わっはっは! さすが相棒、よう分かっておる。羽柴家はいま、長浜城を建てたばかりで金がまるでない。毛利攻めの銭を、汝が出してくれるのであればこの羽柴筑前、もはや向かうところ敵なしよ。明でも南蛮でも攻め落とせるぞ、わっはっはっは……!」




 織田家を取り巻く環境は、またキナ臭くなってきた。

 この年の1月、織田家に従っていた丹波国の波多野秀治が反乱。

 丹波を担当していた明智光秀は、坂本城に退却した。


 負け戦である。しかし明智軍はそれほど痛手もなく、実にヒョウヒョウとして帰ってきたそうだ。……さすがは戦の天才、明智光秀。


 2月には情報通り、足利義昭が安芸国の戦国大名、毛利輝元に庇護された。毛利家は織田家と断交。両家は戦争状態になる。


 義昭は、上杉謙信、武田勝頼、本願寺といった他の大名たちにも連絡し、提携。ここに信長包囲網が再び形成された。……分かってはいた流れだが、俺は激しく舌打ちした。


 足利義昭。

 彼には天下の構想がない。


 ただ信長憎し、権力欲しさ。それだけで動いているようにしか見えない。もし仮に、ここで織田家が倒れて、義昭が将軍になったとしたら。……彼はなにをするのだ? なにができるのだ? 天下を泰平にできるのか? 信長のように、楽市を広め、道路を整備し、治安を保ち、朝廷を保護し――そういった、天下人としてのビジョンがあるのか? とてもそうは思えない。


 倒すしかない。

 戦うしかない。

 俺と秀吉が求めた天下太平のためにも。




 織田信長は、足利義昭への対処をしながら、丹羽長秀を奉行として安土城の建設を始めた。


 柴田勝家は越前で内政に励む。楽市令を出し、農村の復興に尽力し、さらに農民たちの持つ刀を接収すると、その刀を鋳つぶして、農具や舟橋の鎖として用いた。いわゆる刀狩りである。豊臣秀吉に先駆けて、柴田勝家はこういう善政を行っていた。民衆は柴田勝家の政治を喜んだ。


 さらに、織田家に逆らった本願寺を信長は攻撃。石山本願寺を大軍でぐるりと包囲した。


 これらの動きの中、秀吉は朝廷工作を行っている。

 3月に、近江国の女衆を連れて上洛。皇居に入って、女たちの舞を披露。

 秀吉は、公家衆に対して言った。


「この通り、織田家は戦続きの中でも、決して風流を忘れませぬ。先の公方(義昭)がなにやら騒いでおりますが、上様の天下はもはや盤石でござる。皆々様はどうぞ、女どもの舞を楽しんでくだされ」


 義昭の復権活動に、動揺する皇族や公家もいたはずだ。

 そこを信長は忘れていなかった。秀吉に命じて、朝廷と織田の繋がりを保たせたのだ。


 この間、俺は商いに励み、銭を織田家に供出した。

 丹羽長秀の築城、明智光秀の軍編成、柴田勝家の政治、羽柴秀吉の朝廷工作、織田信長の本願寺攻め。すべてに銭を出し、また武器を出した。


「さすがに銭が足りなくなってきたな……」


 俺は山田屋敷で頭を抱えた。

 俺ひとりで織田家の銭をすべて担当しているわけでもないが……。さすがに金蔵はカラッポに近い。


「弥五郎、それやったらひとつ、名案があるばい」


 カンナがそんなことを言った。


「名案? なんだそりゃ」


「まずは堺に行くんよ。……ふふ、あたしの案は道中、教えちゃるけん。まあついてこんね!」

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