第52話 朝倉家滅亡

 時代が天正に移り変わると、信長、そして藤吉郎の勢いは凄まじかった。




 元号を天正に改元したわずか数日後。

 藤吉郎は、浅井家に属する山本山城の城主、阿閉貞征あつじさだゆきに使者を送った。


「公方様も都を追われたいま、もはや天下は織田家のものでござる。降伏し、織田家に帰属されよ」


 阿閉あつじはこれに応えた。

 天下の趨勢すうせいが織田家に向かいつつあるのは、誰の目にも明らかだったし、また、阿閉が立てこもる山本山城は、琵琶湖の東岸に位置する。湖の水運によって兵糧や物資を手に入れている城だった。


 だが、琵琶湖水運はすでに織田家の手に落ちていた。

 義昭追放以降、京の都と堺の町を完全制圧した織田家は、京や堺から、琵琶湖を通じて、北近江に流れていく物資を完全にストップさせた。俺の率いる神砲衆が、徹底的に荷留めを行ったのだ。


 いわば経済封鎖である。

 こうなれば、阿閉あつじはもう戦うことなど、できない。

 藤吉郎の呼びかけに応じて、阿閉あつじは織田家に帰属した。


「いまこそ勝機。皆の者、出陣じゃ!」


 ここがチャンスと見れば、一気呵成いっきかせいに勝負を仕掛ける。

 それが織田信長という武将の強さだ。信長は、いまこそ浅井を滅ぼすべきと見込み、岐阜城から30000の兵を率いて出陣。浅井家の主城、小谷城を取り囲んだ。


 この軍団の中には、藤吉郎も俺もいる。

 織田家の主だった武将は全員参加している戦いだった。

 信長の意気込みが分かる。


「申し上げますっ! 朝倉家の軍団が、越前より出陣。こちらへ向かっています。その数、20000!」


 小谷を包囲中、織田家では軍議が開かれていたが、そこへ五右衛門が飛び込んできて、朝倉の動きを報告してきた。信長は、床几しょうぎから立ち上がり、


「来たか。よし、このまま朝倉を一気に滅ぼしてくれる!」


 翌日は暴風雨だった。

 それは横なぐりの、すさまじいものだったが、


「一度目の桶狭間を思い出すわ」


 信長は、大笑いし、


「あのときは負けた。だが次は勝つ。この雨の中では朝倉は油断しているはずだ。ここから一気に奇襲を仕掛ける!」


「よろしいのですか? かつてのように、朝倉に奇襲を見抜かれているかもしれませんが」


 丹羽さんが、慎重論を唱えたが、信長は首を振った。


「朝倉義景は、今川義元ではない。義景にはさほどの器量は無い。例え奇襲を見抜かれていても、そのまま撃滅できるわ。……ゆくぞ、皆の者!」


 有言実行。

 信長軍は雨の中、進撃し、朝倉軍の一部が守る砦を陥落させた。

 この情報を聞いた朝倉軍は驚き、撤退を開始する。


 だが。

 信長はまだ終わらない。


「一度の勝利で満足などせぬ。撤退する朝倉を追撃するぞ。神砲衆、銃に弾込めを行っておけ」


「承知!」


 と、俺は景気よく叫んだが、正直なところ、信長の判断と下知の早さに、ついていくのがやっとだった。


 それは他の織田家臣団も同様だったらしい。

 この後、朝倉追撃戦に移ったとき、織田家の軍団で追撃戦を行ったのは、信長率いる本陣と、俺たち神砲衆だけだったのだ。


 柴田さんも丹羽さんも滝川一益も明智光秀も、信長本陣に遅れた。

 藤吉郎率いる羽柴軍でさえも、信長の本陣の動きについていけなかった。


「おぬしたちは、何をグズグズしておったか! 余の動きについてこられたのは、山田のみだ!」


「「「「「申し訳ございませぬ!!」」」」」


 柴田さん以下、家臣団はひたすらに頭を下げた。


「追撃をすると余が命じておったのに、怠慢ぞ! それともおぬしたち、公方様がいなくなったことで増長しおったか!」


「しかし殿様、そうは申されますが、我々のような優秀な家来は、そうはもてますまい」


「佐久間っ! そちは口ごたえをするか。許さんぞ!!」


 佐久間信盛が、泣くような声を出したが、信長の怒りにはかえって油が注がれたようだ。

 俺は見かねて、


「殿様。いまはそれよりも、朝倉を追撃いたしましょう。このまま一乗谷を落とすことこそ、肝要かと存じます」


 小さな声で、言った。

 すると信長は、小さくうなずき、


「山田の申す通りじゃ。さらに出陣する。目指すは越前、一乗谷城である!」


 信長が号令を下し、織田軍は再び出陣した。

 越前に向かって進軍していると、馬に乗った佐久間信盛が、やはり馬上の俺のところへやってきて、


「山田。よくぞ、わしを救ってくれた。礼を申すぞ」


 穏やかな声で、そう言った。

 思ったよりも、信長の叱責を引きずっていないようで安心した。


「佐久間さん、あれほどお怒りの殿様に諫言をされるのは、無茶ですよ」


「分かっておる。じゃが、ああいうときは誰かが殿様の怒りを引き受けねばならぬ。あのままでいれば、殿様の怒りが丹羽にも滝川にも羽柴にも向かおう。そうすれば家中の団結にヒビが入るでなあ」


 ……佐久間さんは、進んで避雷針の役割を果たしたというのか。


「それでも、ああまで怒られるとは、さすがにわしも驚いた。じゃが山田が取りなしてくれたから、あれで終わった。ほっとしておるわ。はっはっは……」


 それだけ言って、佐久間さんは自陣に戻っていった。

 佐久間信盛。……ここまで、あまり交流がなかった彼だが、彼は彼で、やはりひとりの武将なのだといま、俺は知った。


 やや、呆然としていると、次は、やはり馬に乗った藤吉郎がやってきて、


「弥五郎。面目ない。羽柴藤吉郎、殿様に遅れをとって叱られてしもうたわ」


「疲れているんだよ。無理もない。藤吉郎は公方様の追放以来、休みもなく働いているからな」


 阿閉を織田家に引き込んだのは藤吉郎の功績だ。

 だが阿閉の件のみならず、藤吉郎は次々と敵勢力を織田家に引き込んでいる。

 伏見にある淀城を守っていた、番頭大炊頭ばんがしらおおいのかみ諏訪飛騨守すわひだのかみという武将は、義昭派だったのだが、藤吉郎の調略で織田家に帰属したのだ。


「苗字を改めまでした以上、情けない働きはできんでなあ」


 藤吉郎は、はっはっと大きく笑った。

 かと思うと、ふいに真面目な顔になり、


「弥五郎、いよいよじゃ。あとひと踏ん張りじゃぞ。信玄入道を倒し、足利義昭を追放し、……あとは朝倉義景と浅井長政さえ滅ぼせば、天下はもはや殿様のもの同然じゃ。天下布武が目の前に見えてきた。大樹村の誓いも、果たせることが夢ではなさそうじゃ」


「……まったくだ」


 俺は大きくうなずいた。

 そして、言った。


「織田家も、羽柴家も、神砲衆も。……この浅井、朝倉攻めが終わったときには、きっと大きく躍進していることだろうぜ」


 それは予感であり、実感であり、知識でもあった。

 天下はいよいよ、織田信長のものになろうとしている。




 この年の8月18日。

 朝倉家の主城、一乗谷城は織田軍の攻撃によって陥落した。

 朝倉家当主、朝倉義景は、その2日後に自刃。大名、朝倉家は滅亡した。


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