第33話 中川瀬兵衛との死闘

 3000の敵軍が、わっと声を上げ、こちらに迫り寄ってくる。

 いっぽう俺たちは、和田さんの軍と合わせてせいぜい500。

 多勢に無勢なのは間違いなかった。

 和田軍は微妙にざわつく。が――


「皆、慌てるな! この距離では鉄砲の弾も届かぬ。落ち着いて陣を作れ!」


 伊与が甲高い声をあげる。

 すると、彼女の命令に従い慣れている神砲衆がまず、横陣をさっと作った。


 神砲衆は10数人の小勢に過ぎない。

 敵軍は、こちらの陣形に一瞬、動揺したが――

 やがて、敵の数があまりに少ないことに気が付いたのか、素早く俺たちのほうへと走り寄ってきた!


「山田うじ、敵の声が聞こえる。……やつらめ、せせら笑っておる!」


「あっしにも聞こえるッス。『和田軍は少人数じゃ、一気に押しつぶしてやれい!』……野太い声ッス」


 さすがに忍びは耳がいい。

 和田さんと次郎兵衛のふたりは、ここからはるか遠くにいる――おそらく150メートルは離れている――敵兵の声まで聞こえるらしい。


 両軍の間にろくな障害物がないとはいえ、大したもんだ。


「敵兵が油断しているなら、つけ入るスキもあろうというもの。山田うじ、ここは逆にこちらから仕掛けるか!?」


「もちろんです。しかし接近することはない。ここは我らが得意の、火薬の出番と参りましょう」


「鉄砲か」


「いえ。――新兵器です」


 俺はニヤリと笑った。




 このとき和田軍に攻め寄せている男は、中川瀬兵衛なかがわせびょうえという。

 なかなかの剛の者で、頭も切れる人物だった。


 思い切りもよかった。

 和田軍が少人数なことを察すると、中川は「よし」と決断した。


「いまこそ攻めどき。風上から素早く近づいて、鉄砲と弓矢の用意を致せ。和田の手勢が視界に入り次第、いっきに矢玉やだまを撃ちかけよ!」


 それは相応に、理にかなった采配であった。

 兵たちも、中川の指示に従い、遠距離攻撃の用意をしながら和田軍に近づいていく。

 ぬかりはなかった。中川軍は勢いよく進行しつつも、竹筒や盾を構えながら行動しており、仮に和田軍が鉄砲を撃ちかけてきても問題なし。守りの準備も万端であった。




 ただひとつの誤算は。

 敵軍の中に山田弥五郎がいたことであった。

 彼は山田の登場と、その実力を知らなかった。




 ――どおぉん!




「なっ!?」




 ずいぶん遠くから――

 まだ100メートル以上はある和田軍から、


「な、なにか飛んできた!?」


「火薬だ、火薬だぞ!」


「なんだって!? 聞こえねぇよ!」


「だから火薬――」


 どぉん、どぉん、ドォン……!

 火薬がたっぷり詰まった陶器が――

 すなわち炮烙玉が、中川軍に飛び込んできて、いっきに火を放ちはじめたのだ。


「馬鹿な……!? な、なんだこの勢いは……!」


 さすがに中川も仰天した。

 炮烙玉は、別に驚くような武器ではない。

 ただ、これほど距離が離れているのに、炮烙玉が飛んでくるとは思わなかった。

 これまでの中川の経験にはなかったことだ。


「どういうことだ、どういうことだ!」


 中川軍は、炮烙玉そのものもさることながら、想定していた敵の射程距離外からの攻撃に、いっきにパニック状態に陥った――




「ソートレル」


 俺は、その武器の名を独りごちた。


「爆弾のためのクロスボウってところだな。第一次世界大戦のときにフランスとイギリスが使った武器だ。手榴弾を飛ばすために作られ、射程距離は100メートルから140メートルほど……。世界大戦ではけっきょく大活躍するほどじゃなかったが、この時代なら充分に使える。少し重たいのが難点だが」


 ひとつで25キロ前後もする、鉄製のクロスボウ。

 それがソートレルだ。これを配置し、兵ふたりがかりで炮烙玉を発射する。

 炮烙玉は高く舞い上がり、中川軍に雨のごとく降りそそぐ。――和田さんを救うために春先から開発していた新兵器のひとつだが、いま役だった。


 10個のソートレルは次々と炮烙玉を発射する。

 中川軍が混乱する様子が、100メートル以上離れたここからでもよく見えた。


「見事じゃ、山田うじ!」


 和田さんが白い歯を見せた。


「このような武器を作って参るとは、さすがだのう。素晴らしいぞ!」


「和田さん、喜ぶのはまだ早いですよ。敵に勝ってから笑いましょう」


「もっともじゃ。よし、ここで一気に攻めかけて敵を蹴散らそう。者ども、うって出るぞ!」


「待ってください。敵の大将は中川瀬兵衛。かなりの強者です。もう少し、敵の陣形を崩してから近づかないと危険です」


 いままさに、陣を飛び出ようとする和田さんを俺は諫めた。

 だが、和田さんは「いや」と首を振り、


「敵が強者だからこそ、陣が乱れたいまを置いて攻める機会しおはない。なに、全軍を率いるわけではない。兵500のうち200で攻めにゆく」


「和田さん!」


「残り300は山田うじと本陣を守るのだ。よいな、ゆくぞ!」


 和田さんはそう言うと、部下を連れて中川軍へと押し寄せていく。……まずい!


「ずいぶん焦ってンなあ、和田の大将」


「呑気な声を出すなよ、五右衛門! くそっ、俺たちもいくぞ。和田さんだけを行かせるか!」


 俺も陣から出ようとする。

 そのとき、俺の手をそっと握ったのは、――伊与だった。


「伊与?」


「俊明はここにいろ。お前までいなくなってはここの采配が乱れる」


「しかし……」


「私がいく。和田さんのことは任せておけ」




 中川軍は、降りそそぐ炮烙玉によっておおいに乱れていた。

 士気は下がり、逃亡者まで出てくる始末。


(ここはいったん退却するべきか)


 中川はそうまで思ったが、しかし――


(いや待て。敵が動いた)


 気配を感じた。

 顔を上げると、和田軍がわぁっと、こちらに向かって攻めかかってきているではないか。

 その数は、おおよそ200――


「馬鹿め、功を焦ったか! ……者ども、踏みとどまれ! この中川はこんなところでは負けんぞ! ……よし、落ち着いたな? 見ろ、敵が調子づいて攻めてきおる。……これを打ち破れば形勢は逆転ぞ。分かったな? ……よし、それゆけィ!」


 中川は、さすがに名将であった。

 和田が見せた一瞬の浮き足を見逃さず、軍を落ち着かせたのである。


「見よ、敵を。……けなげなものよ、あの少人数で攻めてきおった。……今度はこちらの番じゃ。攻めつぶせイ!」


 中川の采配のもと、軍は和田の手勢へと襲いかかった――




「なに!? ……なんだと!?」


 和田にとって、それはあまりに計算外だった。

 中川の軍が立ち直るのが、思ったよりも早すぎたのである。

 中川軍は、槍をふりかざし和田軍に飛びかかってきた。それも、あくまでも整然と。


 あとは数がものを言う。

 ソートレルで多少数が減り、かつ負傷者を出したとはいえ、なお2500以上の兵が活動できる中川軍と、200しか数がいない和田軍では勝負にならなかった。戦場は瞬く間に阿鼻叫喚の事態となった。和田軍は次々と、中川軍に組み伏せられていった。


 そのうえ――


「おう、あれは和田惟政ではないか!? やっこさん、じきじきに出ているのか? 見ろ、ものども――」


 中川は、奮戦する和田を指さし吼えた。


「あれは大将首じゃ! 狙え、狙え! 和田惟政の首を獲った者には、どんな恩賞でもくれてやるぞ!」


「……大将首!」


「大将首!」


「和田の大将!!」


 中川軍の兵の、目の色が変わった。

 欲望ぎらぎら剥き出しで、彼らは和田を睨みつけ、


「殺すっ――」


 兵たちは、獣と化した。

 俺が殺す、俺がやる、自分がやる――

 魑魅魍魎ちみもうりょうのごとく、和田へと全員が群がった。

 和田は、激しく舌打ちした。


「三下どもめ。なんの、それがしが貴様らごときに……!」



 和田は抵抗した。

 みずから刀を持ち、刀が折れたら脇差とくないを二刀流に構え、舞うがごとくに中川軍を切り従える。鮮血が野原の上に散り、咆哮が風に溶けていく。


 それでも。

 敵の数は多すぎた。

 やがて和田は、その場にがっくりと膝を突き、肩で何度も息をした。


「和田惟政どのとお見受けする」


 顔を上げると、――中川瀬兵衛そのひとが、太刀を構えていた。


「御覚悟」


「くっ……!」


 和田はなお、見苦しくあがこうとした。

 ここで死ぬわけにはいかない。こんな原っぱで朽ちるわけにはいかぬ。

 自分がここでいなくなっては、――山田弥五郎はなんのために摂津まで助けにきてくれたのか!


「見苦しいですぞ、和田どの! せめて潔く死になされイ!」


 中川が、刀を振り上げた。

 これまでか! 和田はさすがに覚悟を決め、目をつぶりくちびるを噛みしめた。

 すまぬ、山田うじ! 心の中で、20年来の友に詫びを入れながら――


 だが。

 衝撃はいつまでも来なかった。


「……?」


 目を開ける。

 するとそこでは、――長い黒髪の美女が。

 そう伊与が、関孫六を振るい――中川の太刀を真っ二つに折っていた。


「さすがは名刀」


 伊与は、風の中に溶けるような艶やかな、そう戦場に不釣り合いなほど色気を帯びた声でつぶやく。


「敵大将の得物まで両断してしまうとは、恐れ入った」


「お、女……だと?」


 中川は、突然の女侍の登場に唖然とした。

 中川軍の兵もまた、中川の太刀が折られたことで、魂が抜けたようにぽかんとしていたが、


「神砲衆副頭目、堤伊与」


 伊与は名乗りをあげつつ、しかし中川の周囲の兵はすぐに我に返る、ここは退却だと瞬時に判断し、和田に手を貸し彼を立たせた。


「和田さん。ここは退きましょう」


「堤うじ。……すまぬ」


「ま、……待てッ! 者ども、このふたりを逃すな! 斬って捨てよ――」


 中川の号令一下、兵たち数人が伊与に飛びかかった。

 すると、関孫六の剣閃が、さながら踊るように飛びかい、――兵たちは一瞬でむくろと成り果てた。伊与の剣腕に敵う者はいなかった。


「…………」


 伊与は鋭く、敵兵を睨む。

 中川軍は、たじろいだ。

 そのスキを突いて伊与は、今度こそ回れ右をして、


「和田さん。……走りましょう!」


「……うむ!」


 伊与と和田は、戦線を離脱した。


「……ええい、なにをビビっておるか! 追え! 追うのだ!」


 中川は追撃の指令を出したが、しかし伊与と和田はすでに本陣へと帰還していた。




「……山田うじ! 堤うじ! すまぬ……!」


 本陣に飛び込んできた和田さんは、血にまみれた具足姿で俺へと謝り、


「敵の力を見誤った。おかげで200の兵は全滅だ……」


「200だけじゃねえよ。このままじゃ、ここにいる兵は全員やられちまう」


 五右衛門の言葉は正しかった。

 神砲衆が使うソートレルによって、和田軍本陣はなんとか戦線に残っているが、しかしここを破られるのは時間の問題だろう。


「山田うじ。織田家の重鎮である貴殿がここで死ぬわけにはいかぬ。それがしが殿軍を務めるゆえ、山田うじは撤退されよ」


「そんなことするくらいなら、最初から助けに来ていませんよ。俺の目的は和田さんを助けることにあるんです」


「しかしここから、全員で逃げることはもう不可能であろう。ならばせめて、死人は少ないほうがよい。そうではないか、山田うじ」


 和田さんも、ずいぶん弱気になったもんだ。

 立場の変化がそうさせるのか。……20年前、最初に出会ったときの甲賀の豪族、和田惟政の佇まいはもはやずいぶん消え失せていた。あのころより、よほど和田さんは出世しているっていうのに。


 出世するっていうのも……

 幸せとは限らないんだな。まったく。


「山田うじ、逃げよ。そなたたちの逃げ道は、それがしが命がけでも作るゆえ」


「和田さん、そういうのはもう言いっこなしですよ。そんなに死ぬ死ぬ叫ばれたら、さっき和田さんを命がけで助けた伊与だっていい気持ちはしませんよ」


 俺の言葉に、和田さんはハッとした顔を見せて、そして伊与に目を向けた。


「……それについてはそうである。……すまぬ、堤うじ」


「和田さん。こうなった以上、俺は和田さんもみんなも、まとめて助かる策を提示します」


「なに? みんなまとめて……? そんな策があるのか?」


「ありますとも」


 俺はうなずいた。

 そして、その策を口に出す――

 前に、和田さんに向けて言った。


「だからもう、死ぬなんて言わないでくださいよ。和田さんが生き延びたいという気持ちが、大前提なんですから」


「…………」


 和田さんは、少しだけ考える顔を見せたあと、

 ――やがて首を縦に振った。


「分かった。もう死ぬなどとは言わぬ」


「……その言葉が聞きたかった」


 和田さんは退却し、生き延びる気になってくれた。

 それならばこちらは、いくらでもやりようがある。


 見てろよ、歴史。

 死ぬべき人を、俺はこれから生き延びさせるぞ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る