第16話 乱世の現実

 那古野城。

 それは俺が初めて見る戦国時代の城だった。

 空堀と土塁で作られているその城は、少し大きめの田舎屋敷といった様子で、21世紀の日本で見られる城とはずいぶん異なる。

 もっとも、白塗り壁に水の堀という、現在のイメージのお城が築かれていくのは戦国時代の後期からであり、戦国中ごろまではこのくらいの規模の城が多かったんだよな。


「こっちじゃ、弥五郎」


 藤吉郎さんに先導されて、俺は城の中をゆき、荷物を那古野城の片隅に置く。

 そこは炊事場の前らしい。食事時ではないためか、人間は誰もいなかった。

 というよりそもそも、城内はあまり人気がない。


「思ったよりも、人が少ないですね」


 と、正直な感想を言うと、藤吉郎さんはちょっと困った顔をして、


「ここの殿様は、人気がないからのう」


「殿様、って……」


 織田信長のことだよな。


「汝もうわさくらいは耳にしておろうが。三郎さま(信長)はうつけ(馬鹿)として評判じゃ」


 ……まあ俺も、信長の若いころの話は知っている。

 信長は若いころから奇行が多かった。栗だの柿だのをかじりながら、町中を歩き回り、人に寄りかかって歩くなど、要するに礼儀作法がまるでなっていなかった。

 信長は織田家の跡取りなんだが、日ごろのだらしなさに、弟の織田信勝が家を継いだほうがいいと言われていたくらいだ。


「こんなお方に仕えておっては、行く末どうなるか分かったものではないと評判でのう――だからこの那古野城は最近、あまり人がおらんのよ。……まあ、それで人手不足になったから、わしも小者として仕えることができたんじゃがの」


 なるほど、藤吉郎さんにはそんな経緯が……。

 だけどそんな信長に、どうして藤吉郎さんは仕えたんだろう?

 疑問に思う。だが、尋ねるのはなんとなくはばかられた。


「その三郎さまは……いまはお城の中ですか?」


「さあのう。わしのような下々の人間が、殿様の居場所など知るはずなかろう。……なんじゃ、汝、三郎さまに会いたいのか?」


「あ、いえ……」


 俺は思わずかぶりを振ったが、本心でいえば会ってみたい。

 織田信長。歴史上の超有名人物。せめて一目、実際の信長を見られるものなら見てみたい。そういう気持ちもある。


 まあ、今日のところは会うこともなさそうだが……。

 しかし、いずれは会う機会もあるんだろうか?


 ……よせよせ。俺は歴史を変えるつもりなんかない。そう決めたはずじゃないか。

 こうして藤吉郎さんと話をしているだけでもヤバいんだ。信長に会うなんてますますヤバい。


 俺は大樹村の弥五郎だ。

 それが今生の俺の分際だ……。

 

「ところで弥五郎、世話になったのう。炭を運んでもらった礼といってはなんだが、蔵の隅に古いアワやらヒエが眠っておる。捨てることになっていたものだが、どうじゃ、貰っていかんか?」


「あ、それはもう喜んで」


 俺は素直に言った。食べ物は、いくらあっても困ることはないからな。

 元は21世紀人の俺だが、戦国に転生したためか、決して美味とはいえないこの時代の食べ物にも慣れてしまっている。というか、この時代の衣食住全般に慣れている。


 いいことだろうな。

 未来の日本を基準にしてしまうと、さすがにいろいろとしんどすぎるし。


 藤吉郎さんは、アワとヒエが入っているらしい俵を二俵、よいしょよいしょと運んできた。


「これじゃ。……さて、アワヒエを大樹村にまた運ぼうかの。わしも手伝うぞ」


「え? いや、いいですよ。また大樹村に戻るなんて悪いですし」


「いやいや、ええんじゃ、もう今日はわしの仕事は終わりじゃし、大樹村に行く道を完全に覚えたくもあるしの。……なにせこれから、大樹村には何度も何度も、行くことになるであろうしの!」


「そ、そうですか。そういうことなら、よろしくお願いします」


「うん、それじゃまたふたりで戻ろう、大樹村にの!」


 こうして俺たちは再び馬を引っ張り、大樹村へと向かい始めた。




 ……そこが運命の分岐点になるとも知らずに。




 一番星が、空の彼方に煌めく時刻だった。

 俺はふと、異変に感づいた。なにかがおかしい。


 街道の彼方にちらりと見えている大樹村。

 その上空に、薄い煙が立っている。


「なんじゃ、あれは。火事か――」


 藤吉郎さんは、そのセリフを最後まで口にしなかった。

 自分の発言があまりに間の抜けていることに気がついたからだろう。

 俺は知らず、早足で歩き始めていた。すると藤吉郎さんが「馬に乗れ」と言った。


「俺は、馬に乗れないんです」


「それなら、わしが操ろう。さほどうまくはないがの。片方の馬にアワヒエを載せて、空いたほうにふたりで乗るんじゃ。――よし、しっかりとつかまっておれ」


 藤吉郎さんが馬を操り、俺はその腰にしっかりと抱きつく。

 前がよく見えないが、仕方がない。


 もともとが田舎の農耕馬なので、馬の足取りは遅かった。

 だがそれでも、やがて馬は、大樹村の近くまでたどり着いた。


 ……そのときだ。


「やッ! ――おい弥五郎、馬から下りろ。隠れるぞ」


 俺たちはすぐに、馬から飛び下りる。

 そして藤吉郎さんが、その場にあった草むらの中へと飛び込んだため、俺もそれに続いた。

 なにが起きたんだ……?

 俺はそっと村の様子をうかがって――


 絶句した。


 村が燃え、村人たちが、次々と首をはねられていたのだ。


「な、な、な……!?」


 なんだよ、これ!

 む、村が! 大樹村が!!

 そして村人たちを襲っている連中の顔には、確かに見覚えがあったのだ。

 シガル衆。かつて村を襲ったやつらだ。

 俺は直感した。やつらが復讐に来たんだ!

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