アルビオンの17

 遠い昔、アルビオンがまだ都市としては機能してない頃、偶然出会った四人が都市を作るなどという世迷い言をほざいていた。当然今よりは若かった彼らはよくよく諍いを起こす日々だった。

 あの日もそう、きっかけは廃墟となっている街の一角に、盗賊団が居ついていることついての話し合いだ。


 

 当時は廃墟しないような街並みのアルビオンの一角にある、今にも崩れそうな廃墟の一つが、彼らの根城だった。

 ぎりぎりで職務を果たしている屋根、申し訳程度のベッドが二つに、今にも壊れそうな机が一つ――それが、そこにあるすべてだった。

 バンゴが眼前にある机をバンと叩いた。

 それだけで砕けそうになるほどボロボロな机が、ぎしぃと不気味な音をたてたが、なんとか無事に済んだようだ。

 当の本人は、そんなことは関係ないとでもいうように、正面に座るルイスを怒鳴りつけた。

 



「だから、俺が一人で行って全員片づけてくればいいだろう!」

「だめだ! 力づくで物事を解決する奴らだと思われたら誰も話を聞いてくれなくなるだろ!」

「ええい、貴様がそう言うからもう待ち続けて三カ月ではないか! そもそもあいつ等には他の奴らだって迷惑してるんだ、叩きのめして死んだところで感謝こそされ、恨まれることなどあるか!」

「この都市に死んだ方がいい人間なんていないんだ! 彼らだってあんなことをやる理由ってものがある!」

「甘すぎるぞ! 理由があれば人から物を盗んでもいいのか! 今はその甘さが通じても、そんな対応じゃこの先いつかガタがくる!」



 物事をできるだけシンプルな方法で解決しようとするバンゴと、どこまでも理想を追求するルイス、ふたりは事あるごとに衝突を繰り返していた。

 それを脇から眺める形になっていたアロマは、やれやれと首を振りながら二人の間に割って入る。



「まぁまぁ二人とも落ち着いてください」

「やかましいぞじじい! ひっこんでいろ!」

「まだ五十ですぞ! 爺と呼ばれる筋合いはない!」

「それよりアロマ、お前はどう思う」

「そうですなあ、どちらのやり方も一長一短といったところで――」

「貴様またそれか!たまには自分の意見というものを出したらどうだ!」

「いやそう言われましても問題は複雑なわけでして……それに引っ込んでいろと仰ったのはバンゴくんでしょうに」

「ぬぐぐぐ……もういい! 貴様らのような生ぬるい連中とやっていてはいつまで経っても都市などできるものか!」



 バンゴは拠点として勝手に使っている廃墟の扉を乱暴に開けようとして、絶妙のタイミングで開いた扉に顔面をぶつけて蹲った。

 入ってきたのは二十歳を過ぎたばかりの、まだ少女の面影を残す女性だった。鍋を片手に入ってきた彼女――キャロル――は、扉のすぐ前で蹲っているバンゴに気づいて首を傾げた。



「皆、お昼ごはん……あれバンゴったらそんな所でなにしてるのよ」

「……誰のせいだ」

「誰のせいなの?」



 額に青筋を浮かべるバンゴを無視して机の上に鍋を置く、漂ってくるのはシチューの香り、必死に言い争いをしていた男どもの腹が一斉に鳴った。



「とりあえず食べましょ、話が詰まったときはお腹を膨らませるのが一番よ」



 ルイスとバンゴは渋々、今にも崩れそうな椅子に腰かけた。

 一人一杯しかないそれを注ぐのを手伝いながら、アロマはキャロルにしか聞こえないように囁いた。



「いいタイミングでしたな、助かりましたぞ」

「でしょ? 私って天才だから」



 ウインクを返してくるキャロル。

 アロマは理解していた。考え方が真逆な二人と、どっちつかずな自分が仮にも一緒に活動ができるのは、いつもさりげなくフォローを入れてくれるキャロルのおかげだと。

 絶妙なバランスで成り立っている四人だが、この居心地がいい空間がいつまでも続けばいい。

 ちぎったパンのサイズで争っている二人と、それを止めるキャロルを見ながら、アロマはずっとそう思い続けていた。



 今は昔のことである。




※   ※   ※   ※







 嫌な天気だった。雨が降ることはなくそれでも決して太陽は顔を出さない。頻繁に洗濯をして、破れたところを自分で縫って、魔法で乾かしてもらってまで着続けているスーツが汗を吸ってじとじとしている。

 自分も年をとったのだ。天気など気にせずに走りまわる子供たちを見て、そのエネルギーに負けそうだった。



「若いな……」

「僕から見れば二十五なんて十分若いよ、あと十年たってごらん? 今の数倍は体が重くなるから」



 隣に座っているルイスが笑いながら手を振る。

 子どもに交じって遊んでいるアリスはそれに手を振り返す。



「……まさか僕が子供と一緒に公園に行く日が来るなんてね」

「なにもまさかじゃねえだろ、親と子供だ、普通のことだ」

「その普通を、この十二年間どうやっても解消できなかったんだよ、最近は街の雰囲気も変わったように思える」



 アリスが自分と気兼ねなく外出するようになってからは、市民も明るさを増した気がするとはルイスの言だが、多分彼自身の憂いの解消がそう見せているのだろう、龍二にはあまり変わったように見えなかった。

 水を差す気はないので、そんな無粋なことは言わないが……。

 龍二は、空に向けていた視線を戻して、ルイスを見て、話を始める。



「で、その親子水入らずに俺を連れ出したのはどういうわけだ」

「君のことについてだ」

「……おい、こんなところでか」

「どうせ聞こえてもおとぎ話にしか聞こえない話さ」

「おとぎ話?」

「――歴史が始まる前、古代と呼ばれる時代には、女神様からの神託っていうのは珍しいものじゃなかったらしい……まあもはや言い伝えの域だがね」



 人という存在に等しく愛を注いでいた女神は、大きな不幸の前触れを告げることが稀ではなかったとルイスは言う。災害、疫病、それらの解決を請け負うことは決してしなかったが、事前に伝えることは必ずしていたという。



「随分親切なひと……神だったんだな」

「信じてなさそうだ」

「いや、だってそれ言い伝えだろ?」



 神の存在が口伝で残るのはどの世界でも同じようなものだ。

 しかしそれはあくまで古代の人間の言い残したことでしかないはずだ。実際に神が語りかけてくるというのは龍二には信じられない。



「信じるかどうかは君の勝手だ、話をつづけるよ」



 それが止んだのは歴史的にみるとごく最近だった。ほんの三百年ほど前、帝国が世界を支配していた最後の百年の間に、女神はこの世界から姿を消した。

 原因は分からない。この世界においては数少ない歴史家たちの間では、帝国が女神協を禁じようとした時期と重なるとして、彼らの関与を疑う者も多い。



 沈黙の時代は長く、三百年を過ぎて今なお続いている。

 ――いや、続いていた。長い沈黙が破られたのは三カ月ほど前のことだった。女神教の教皇、のみならず世界中の幾人かの大司教たちへと同時に神託があった。



 曰く、この世界を混沌に陥れ、果ては滅ぼす魔王なる存在が現れる



 曰く、その危機を打開できるのは異界より呼び出されし勇者である



 曰く、その名は――



「――リュージ・キド、君のことだ、異界の勇者」

「……で、どこまでが本当なんだ」

「すまないね、全部だ」

「冗談は止めてくれ」



 おとぎ話のようなではない、おとぎ話そのものではないか、そんなものの登場人物にされた覚えはない。

 龍二はルイスが笑ってくれるのを待ったが、その表情は誤魔化しきれない真剣みを帯びていた。

 到底信じられる話ではない、突然異世界に召喚されてお前は勇者だから魔王を倒せと言われて、はいそうですかと頷けるのはよっぽど何も考えていない人間だけだ。



「……それで、魔王ってのは?」

「それが、未だ現れない、そもそもそんな名前聞いたこともなかったんだ」

「話にならないな、そんな理由で呼び出されたなら俺は今すぐ帰りたい、女神と連絡は取れないのか」

「それができたら三百年の沈黙はなかったさ」



 龍二は頭を抱える。魔王を倒すために呼ばれた世界で、魔王がいないとはどういう意味だ。よもや女神の勘違いということもあるまい、もしそうならばこの目の前の女神像を今すぐ粉々にしたい衝動に駆られることだろう。



「……魔法とかで帰れたりしないのか」



 最後の望みをかけて聞いてみる。この世界の魔法はイメージによって発動し、龍二には考えもつかない効果を発動する。もしかすると、そういった手段があるのではないかと思ったのだ。

 ――しかし現実は非常だった。ルイスの首は縦ではなく横に振られる。



「無理だ、そんな魔法聞いたこともない、どれほどの魔素が必要になるのかも解らないし、何より、魔法はイメージを軸としてなりたっている、見たこともない世界をイメージできる人間などいるはずもない」

「おい、じゃあ何か、俺はいつ現れるかわからない魔王を待って、どんな強大な力を持っているかも分からないそいつと戦えってことか、しかも帰れるかどうかも定かじゃないって? ふざけるなよ、俺の意思はどこにあるんだ!」

「リュージ」



 ルイスが指で示す方には、突然大声を出した龍二をみて怯える子供たちがアリスの背後に隠れていた。アリスも不安そうな顔をしている。

 龍二は無理やり呼吸を整えて、座る……どうやら無意識に立ち上がっていたようだ。



「……悪い、お前らのせいでもないのに」

「いや、当然の思いだろう、むしろよく一か月も溜めこんだものだ」

「……悪い」



 この一か月、城戸龍二はこの世界で生きるのに精いっぱいだった。刻一刻と流れる日常に翻弄されて、やってくる問題に追われ、帰る方法を考えることができなかった。



 ――本当にそうだろうか、もしかして、考えたくなかっただけなのではないか、帰る方法を誰も知らない、そんな現実に直面したくなかったから、考えられないふりをしていたのではないか。

 アリスが父親と共に笑えるようになったアルビオンで、龍二がすべきことはもうない。もう龍二がすべきことは終わったのだ。



 よしんば今すぐ魔王が現れたとして、なぜ龍二が戦わなければならないのか。

 城戸龍二はただの人間だ。腕っ節が人並み外れて強くても、行ってしまえばそれだけ、こんな事態に平然としていられる人間ではない。

 今だって、あまたを抱えている。頭を抱えて、家に帰りたいと心を痛めるただの人間なのだ。



 断じて勇者ではない……



 ルイスは頭を抱えて黙り込む龍二に、できる限り穏やかな声で語り掛ける。



「このことは僕のほかにはアロマとバンゴしか知らない、とりあえず僕の方でも情報を集めてみる、帰る方法が見つかったら真っ先に君に伝えるよ、約束する」

「いいのか……? 戦わなくて」

「娘の恩人に、世界のために命を賭けろなんて言えるはずがない、まあそれに魔王なんて現れないかもしれない」



 努めて明るい声を出すルイスだが、その奥にある不安を龍二は見抜いていた。理由は簡単だ。本来であればいくら女神からの神託とはいえ、ありえないおとぎ話だと笑い飛ばせただろう。

 だが、神託の片割れである龍二は現れてしまった。魔王だって相応の信憑性というものが出てくる。



 世界が滅ぶだなんていう、悪夢のようなその話にも――。



 当然ルイスもそのことには思いいたっているようだが、今は龍二を安心させようとしてくれているのだろう。

 ルイスは龍二の肩に手を置いて、笑いかけた。



「僕はまだ君のことについて他の都市にも公表していない、とりあえず時間が許す限りは――」

「ルイス様!」



 血相変えて公園に飛び込んできたのはアロマだ。いつも物静かな彼の動揺を隠し切れていない様に、龍二は何事かと訝しむ。

 隣のルイスは慣れているのか、一瞬で都市の代表へと気持ちを切り替えていた。



「どうした、何があった」

「そ、それが、この都市に向って尋常ではない数の武装集団が向かってきていると!」

「なんだと!? どこからの情報だ」

「ブロックスから雇っていた騎士たちが、里帰りの途中に襲われたと、生き残っている者からの情報です」

「くそ、リュージ、すまんがアリスを頼む」

「ああ」

「ルイス様、それが……」



 アロマが申し訳なさそうに龍二へと視線を移す。

 何か言いにくそうにしているアロマに、龍二は自分から問いかけた。



「……俺がどうかしたか?」

「バンゴ様が、リュージ殿も来るようにと」

「バンゴが?」



 ルイスが場に合わない間の抜けた声を上げた。なぜこのタイミングで龍二を呼ぶのかが理解できないらしい。

 龍二はなんとなくだが察していた。このタイミングで龍二が呼ばれるというのは、もしかしなくともそういうことだろう。

 ルイスも同じような結論に達したのか、非常に苦々しい顔になったが、諦めたような顔を龍二に向けて言った。



「――リュージ、すまないが来てもらってもいいかい?」

「ああ、もちろんだ」

「アリスはアロマに任せる」

「はい」



 龍二とルイスは揃って駆けだした、馬車を使っておけばよかったと呟くルイスの呟きを聞き流し、城までの距離がいつもよりも長く感じる龍二だった。

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