アルビオンの12

 この世界には空気がある。生物がいるのだから当然だ。

 おそらく構成しているのは酸素と二酸化炭素と窒素、これは龍二が変わらずに生きていられることから、そうではないかと推測できる。

 無論、よく似た性質を持つ未知の気体ということもあり得るから断言はできないが、それを言い始めるときりがないので気にしないことにする。


 だがこの世界の空気中に呼吸とは一切関係ない――とされている――物質が存在する。

 それが魔粒子、一般的には魔素と呼ばれるものだ。

 それらは、空気中に存在している限りは何のエネルギーも持たず、いかなる反応も見せない謎の物質。

 

 ――だがどういう仕組みだか、子の魔素と呼ばれる気体、一たび人体に入ると、取り込んだものの意思によってその性質を変えるという、恐るべき性質を持っている。

 あまりにも人類にとってご都合主義、しかしそうなっているのだから仕方ない。

 そして存在するのならば、利用しようと試みるのが人間という生き物だ。

 その結果生まれた技術体系、それが――



「魔法、ということです」

「……」

「魔素を取り込むだけで使えるものなので、全ての人間が使えます。」

「……」

「しかしながら身体能力に優劣があるのと同じく、魔法にも得手不得手は存在します。例えば魔素をどれだけ体内に溜めておけるか、この魔素保有量インベントリは使える魔法の規模に直結します」

「……」

「あとは魔素の吸収スピード、この二つを合わせて魔法の才能と呼びます。これらは生まれつきのものに大きく左右されるもので、後天的に変化するといった例は現在まで発見されておりません、故に――」

「待ってアロマ、リュージ頭から煙出てる」



 あの決闘からはや二週間が過ぎた。

 あれ以降、だれかから何かを言われることもなく、当然帰る方法が分かることもなく、ただただ時間のみが過ぎていた。

 客人扱いの龍二は城の仕事を手伝わされることはない――ではその間何をしていたか、お勉強だ。

 教師役であるアロマの空き時間を利用して、この世界の常識を徹底的に叩き込まれている。

 こんなことになったのは、あの晩龍二がアリスについた嘘が原因だったりする。



 ――実は、俺は記憶喪失なんだ、自分のこと以外何も覚えてないんだ。何でここにいるのかも解らない。



 苦し紛れに言った口から出まかせだった。

 こんなもので誤魔化せるのならば、誰も苦労などしない。

 口に出した直後に後悔が龍二を襲った。

 これならば真実を告げて、疑われた方がまだ建設的だったかもしれない。

 内心忸怩たる思いでアリスからリアクションを待つと、俯いていた少女は勢いよく顔を上げた。



 ――大変じゃない!どおりで何も知らないと思ったわ!



 仮にも将来アルビオンを背負って立つ為政者候補が、こんなにも騙されやすくて大丈夫なのだろうか、龍二は本気で心配になった。

 なにはともあれ、この世界について何も知らないことだけ伝えることに成功した龍二は、期間限定の家庭教師をつけられ必死に学んでいる最中というわけだ。



「もう、こんな簡単なので転んでどうするの」

「……無理言わないでくれ、毎日勉強するのなんか十数年ぶりだ」

「教えてくれたら助かるって言ったのはリュージでしょ」

「だから頑張ってるだろ、地理も歴史もなんとなく覚えたぞ」

「二週間かけてなんとなくかぁ……」



 アリスが呆れた視線を向けてくるが、自分にしては頑張っているほうだと龍二は開き直る。もともと物覚えが致命的に悪いのだ。

 考えるのは嫌いではないが、覚えるのは大の苦手、学校のテストで点が取れないタイプの人間だった。

 とは言いつつ二週間の授業は、アロマの講師としての優秀さも手伝って、龍二に一般程度の常識を与えていた。

 初日の授業で見た、世界地図――大陸が四つしかない地図――を見て不思議な気持になったのも最早いい思い出だ。



「しかし流石に、疲れた」

「でしたら朗報です、今日の授業はもうすぐ終わりますよ」

「今日はずいぶん早いな」

「もともと魔法については教えられることが少ないのですよ、長い間研究が続けられていますが、分からないことだらけです」

「へえ使い方とか習わないのか」

「呼吸の仕組みを習っても、呼吸の仕方を習うことはないでしょう?」



 生体活動の一部と同列に並べられる。

 この世界における、魔法が使えないことの異常さ、それを改め突きつけられて龍二は何も言えなくなった。



「ですので、話せるのはあと分類だけです、これも大まかにしか分けられないのですが――」



 魔法の分類は大きく分けて四つ。

 まずは体内の魔素を別の物質、エネルギーに変えて体外に出す『放出』

 水や炎をだしたりするほか、ケビンがやっていたように、ただのエネルギーの塊として放つこともできる。



 二つ目に既にこの世に存在している物質を操る『操作』

 ちょっとしたものを手元に引き寄せたり、重いものを持ち上げたり、龍二の知っている限りでは念動力のイメージに近いかもしれない。

 これも言わずもがな、ケビンが得意としているらしい礫の嵐がこれにあたる。

 



 三つ目は魔素を体内に残したままエネルギーに変えることで運動能力を底上げする『身体強化』

 だがこれは難易度が非常に高く、使える人間に出会うこと自体珍しいとのこと。



 四つ目は読んで字のごとく『治癒』

 もっともシンプルに人の傷をいやす効果があるが――同時にもっとも謎の多い魔法でもある。

 というのも――。



「――本来魔法とは、自分以外の生物の体に干渉できないのです、だから生き物、植物は操作できないし、他者を身体強化の対象にはできません、治癒は例外なのです」

「何でだ?」

「わかりません」

「……本当に分かってないこと多いんだな」

「ええ、ですから昔からそこは、女神様の慈悲と言うことになっているのです」

「何で女神……様の?」



 アリスから白い目を向けられ、慌てて言い直す。

 この世界信心深い人や子供の前では女神は様づけで呼んだ方がいい、アリスのリアクション何度か見て学んだことだった。



「それは魔法を作ったのが女神様だという神話が、この世界の定説だからですよ」



 だから治癒魔法が他者に干渉できるのは、人を癒すことのみを、女神が特別に許可したからと、そういうことになっているのだ。

 しっくりは来ないが理由を求めても仕方ない類に問題とされているのだろう。



「というふうに、一応は分類に分けられますが、先ほども言ったとおり魔素は人間のイメージによって性質を変えます、想像力次第でどんな使い方もできる、この四つしかないと高を括っていては痛い目にあうかもしれません」

「……そんな危険なものを誰しも使えるんだな」



 極端な話、世界のすべての人間が爆弾でも毒ガスでも好きなものを持ち歩いていることになる。

 龍二の常識に当てはめると随分物騒な世の中に感じられる。

 しかしアリスは龍二の言葉に反して明るい調子で言った。



「心配ないわよ」

「心配ないって、なんでだ?」

「魔法を攻撃手段にまでできるのなんて一握りだもん、一般人はそんなに魔素を溜めておけないわ」



 それでもどんなに才能のない人間だろうと何も持たずにライター程度の火はおこせるのだ。

 油断する理由にはならないだろう、口には出さないがそう思う。



「……なるほど」

「理由はもう一つあります」



 アリスの説明をアロマが引き継ぐ、老人はポケットから歴史の教科書を出して机に置いた。



 「今は連盟法で出生時の魔素保有量の測定を義務付けておりますから」


 

 

 ちなみにあの決闘の後龍二の魔素保有量も計られた。

 謎の赤い紙を渡されて、受け取ったのだが、当然何の反応もなかった。

 人じゃないものを見る目で見られるというのはいい気分じゃないものだ。



「そして規定以上の保有量を持つ子供は、相応の教育を受けた上で騎士団への加入、治癒が得意ならば教会への入信が決定します」

「生まれた瞬間から将来が決められるのか」

「騎士団への加入は大多数の人間の憧れですからな、命をかけて都市民を守る、かくいう私も若いころは憧れたものです」

「それに教会のシスターって女の子ならみんなあこがれるの! けがや病気で苦しんでる人のために、一生懸命働くんだから!」



 このあたりは価値観の違いなのだろう、龍二からしてみると生まれた瞬間に将来を決められるなんてごめんだが、彼らにとっては誇らしいことなのだ。

 文化の違いにいちいち口をはさんでも意味がないので、龍二は黙って話を聞くことにする。



「話がそれましたな、ですので魔法についてはこれ以上教える内容がありません、もっと詳しいことが知りたいのならば相応の使い手に聞いた方が早いでしょう」

「そうか、分かった」

「今日の授業終わりでしょ、遊びに行きましょリュージ!」



 部屋を飛び出していくアリスを龍二は追おうとする。

 日課となったボディガード兼散歩だ。二週間も続けていたせいですっかり地形も覚えてしまった。ありがたいことだ。

 だがその日はいつもどおり部屋を出ることはできなかった。



「リュージ殿」

「ん、どうした」

「少し、お話が――」

「……ああ、なるほど――アリス、ちょっと先に行っといてくれ」



 言葉を切ったアロマはしきりに扉の向こうを気にしている、龍二は彼の意図を察しドアの外で待っていたアリスに先に行くように伝えた。

 アリスが離れるのをしばらく待ってアロマは話を再開する。その真剣な眼差しからはこれから話すことがただ事ではないことを感じさせた。



「実は」

「ああ」

「あと二週間で」



 その場の雰囲気と迫力に龍二は思わず唾を飲む



「アリス様の誕生日なのです」

「……」

「アリス様の誕生――」

「聞こえてるよ」



 龍二は盛大にため息をついた。

 目の前で深刻そうな、真面目極まりない表情のアロマに、だ。



「なぜため息をつかれるのです」

「もう少し軽く話せよ、なにかあったのかと思ったじゃねえか」

「なにを、一大事ではありませんか。十二歳の誕生日は一生で一度しかないのですよ」

「毎年そうだろう」



 普段の紳士然とした態度のせいで気づくのが遅れたがアロマはアリスに対して過保護なところがあった。

 まるで初孫を猫かわいがりする好々爺のようだ。実の親の代わりに愛情を注いているかのように……。



 そう、ここで過ごすようになって二週間、龍二はアルビオン親子が一緒にいるところを見たことがなかった。

 アロマが言うには、ほかの都市から客が来たときのみ同席するらしく、それ以外ではほとんど顔を合わせないそうだ。

 アリス本人は気にしている様子はないが、これでいいのかと見ていて思う。



「それで、パーティを開こうと思っておりまして」

「それはいいな、出席しろって言うなら聞かれるまでもないが」

「いえ、それはもう当然リュージ殿には出席してもらうとして、――」



 出席が当然になっているほど馴染んでいることを喜ぶべきか、それともかえりづらくなっていく現状を嘆くべきか……今はとりあえずアロマの話に集中した方がよさそうだ。



「つい最近アリス様が何をお望みなのか、さりげなく聞いたのです」



 ここで初めてアロマは表情を曇らせた。片手で口元の髭をいじりながら、アロマは呟くように言った。



「たくさんの人で賑やかなパーティがしたいと……」

「なるほど、それで困ってるわけか」

「他のことならばなんとかできる自信があるのですが……如何せん人数はどうしようもし難く……」

「あー、まあ、だろうな」



 実はこの城、使えている人間が少ない、極端に少ない。

 城の管理ができるギリギリの人数しかいない。理由は二つある。

 ひとつは都市の立地が悪すぎること、見渡すだけでわかるがアルビオンは周囲に崖や山しかない。

 一番近い都市国家まで馬車で二週間だそうだ。当然だがまず人が来ない。

 もう一つの理由は、ルイスが経費削減のために募集をかけていないことだ。



 つまり何が言いたいかというと賑やかなパーティが開けるほどの人員を城の内部だけで確保するのは難しいのだ。



「今更ほかの都市から人を呼ぼうにも、誕生日は来週、もう間に合いません。一年に一度の願いも叶えられないとは、このアロマ情けない限りです」

「……そこまで気にしなくてもいいんじゃないか、アリスだって祝ってくれる人がいるってだけで嬉しいはずだ」

「……しかしどうしても叶えて差し上げたい、毎年こんな老いぼれと二人きりで誕生日を過ごさせるわけにはいきません」

「毎年?市長は誕生日も顔出さないのか」

「お忙しい方ですから」

「だからって――」



 執事が祝っているのに、父親が誕生日を祝わないとは……。

 なぜアロマがアリスの願いに躍起になっているのか、ようやく理解した。

 そんな環境が毎年続いているというのならば、一年に一度のわがままくらい全面的に受け入れたいと思うのも当然だ。


 しかし、人数と言われてもアロマに用意できないものを龍二に何とかできるとは到底――そこまで考えた龍二の頭に、フッと一つの案が浮かんだ。



「――よしわかった、俺に考えがある」

「本当ですか!」

「ああ、ただやれるかどうか確かめる時間が欲しい、今日中には結果を言えるはずだ」

「わかりました、お任せします」



 しっかりと頭を下げてくる老執事に、軽く手を振り扉の外へでて廊下を早足で歩く。アリスが城外に出る前に追いつきたいからだ。

 おかげで、曲がり角の向こうから足音が聞こえていたのに気づかなかった。



「ぬあっ!」

「おっと」



 ぶつかった人物が持っていた書類を落とす。

 龍二はとっさに拾うのを手伝おうと手を伸ばしたが、ぶつかった男、バンゴにその手を払われる。



「触るな!」

「あ、いや、手伝おうと」

「貴様の助けなどいらんわ! さっさと消えろ」



 消えろとまで言われてはここにいる理由もない。

 龍二はかがんで書類を拾うバンゴの横を通り過ぎようとする、その時バンゴのポケットから屈んだ拍子に落ちた小さな物が龍二の足元に転がってきた。



 拾ってみるとそれは小さなバッジだった。

 それは見たことのない不思議な模様が描かれたもので、一見しただけで高価なものであることが伺えた。

 それを拾った龍二は、その模様になんだか既視感の世なものを覚える。



――どっかで、それもつい最近見た気がする。



 しかし、ここ最近と言えば龍二は、アリスに連れ出されて外を歩き回る以外は、日がな一日アロマから歴史の授業を受けていただけだ。

 こんな高価そうなものを見る機会などなかったはずなのだが。

 首をかしげながらも、龍二は拾ったバッジをバンゴに差し出す。


「おい、これポケットから落ちたぞ」

「なに? ……なっ!?」



 バンゴは血相を変えて龍二の手からバッジを引っ手繰った。そしてそれを急いで仕舞い直すと、当たりをキョロキョロと忙しなく確認し、龍二に訊ねる。



「お前、このバッジに見覚えはあるか」

「いや、あるような気もするんだが、どこでだったかな」

「そうか、いや思い出せんのならいいんだ、すまなかったな」



 あのバンゴがすまなかったと言った。会うたびに悪態のオンパレードだったバンゴが――。

 龍二が初撃を受けて呆けている間に、バンゴはさっさとどこかへ行ってしまった。

 そんなに大事なものだったのか、どこかで見覚えのあるバッジだったが、やはり思い出せなかった龍二は、もやもやとしたものを感じながらも、アリスの元へ向かった。



※   ※   ※   ※



 遅すぎると小一時間説教を食らったあと、いつもどおり二人は城を出る。

 本日は快晴、雲ひとつない。



「アロマと何の話してたの?」

「ん、ちょっとな」

「……あんまり気にしなくていいからね」



 驚いた龍二が隣を見るとアリスはいつもどおりの無邪気な表情で前を向いていた。

 環境か立場か、アリスはたまにとても大人びた態度をとることがある。

 アロマが気にかけていることもとうにお見通しのようだ。きっとどんな祝い方をしてもアリスは喜んでくれるのだろう。

 だからこそ――



 ――これは意地でも驚いてもらわないとな



 バースデーサプライズはいついかなる時も最高の幸せをもたらすということを思い知らせてやるべく、龍二は必死に頭を働かせた。

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