アルビオンの10
「やった!」
「――いや、飛ばされておりません自分から飛びましたな」
宙を舞うケビンの姿に、見ていたアリスが歓声を上げる。
しかし直後のアロマの言葉の通り、ケビンは空中で綺麗に一回転すると、なんのこともないふうに着地した。
龍二は手に残った木剣をケビンの方へ放る、ケビンは不機嫌そうな顔でそれを片手でキャッチして、
「返してくれるのは有り難いんだが、名を名乗って握っている以上剣は誇りと同一のものだ。出来れば投げるのはやめてほしい」
「……そうか、悪いな、気が利かなかった」
「分かってくれたならいい」
戦闘中の会話にしては間が抜けているが、二人とも気はぬいていない。
いつでも再開できる体勢だ。
訓練場は、はちきれる直前の風船のように張り詰めた空気になっているが、そんなことはわからないアリスは、飛び跳ねて隣に立つアロマに抱き着いていた。
「すごい、リュージすごいね!」
今までは早すぎる戦闘の展開に、何が起きているかすらも分かっていなかったアリスだが、ここにきてようやく龍二がケビンと互角に戦っている事実に気づいたのだ。
それに水を差すようにバンゴが鼻で笑う。
アリスは、不機嫌そうにバンゴに文句を言った。
「何よバンゴ、あれだけ自信満々だったのに負けそうだからって不機嫌にならないでよね」
「……たしかに身体能力は凄まじい、それは認めましょう。しかし今ので決められなかったのならもう終わりです」
「え? な、なんでよ、だってあんなに――」
「ケビンは実力だけなら他の都市の騎士にも劣りませんがいかんせん性格が甘い、一般人に魔法を使うなんてことはしません……だが今のであの男は一般人の枠から外れてしまったようだ」
アリスはとっさにアロマの顔を見上げる。
そこには普段は見せてくれない深刻な顔が有った。不安を膨らませながら、アリスの視線は再び龍二たちへと向かう。
ここからが、本番なのだ。
「君の力を侮っていたことを謝る、素手で戦うなんてずいぶんふざけた男だと思っていたが全力を出しても良いようだ」
「そりゃ光栄だ」
「だから君もここから先は魔法を使いたまえよ、少しなら攻撃に使えるものもあるだろう?」
「……お前何も聞いてないのか」
僅かに眉をひそめるケビンを見て龍二は思わず嘆息した。
ちなみに龍二が呆れているのはケビンに対してではなく時間があったのに部下に何も伝えていないバンゴに対してだった。
今さら隠すのも馬鹿らしいと、龍二ははっきりと事実を告げる。
「俺は魔法なんて使えねえ、だがお前は遠慮せず使って来い」
「使えない……適性が低いということかな?」
「……なんでもいい、とりあえず使えないものは使えないんだ」
「なるほど、よくわからないが承知した――ではこちらは、全力で行かせてもらおう」
ケビンは軽く呼吸を整えると、確かめるように剣を何度か振った。二、三度それが続いたところで、龍二は不思議なものを見た。木剣の刀身が徐々に輝き始める。
最初は薄緑、深緑、そしてエメラルドグリーンへと――。
黙ってそれを見ている龍二に、ケビンは不思議そうに首を傾げた。
「邪魔してくれても良かったのだよ」
「無粋なことは嫌いなんだ」
「……最近は君のような男も減った。相手の準備を待つようなものは愚か者だと、皆口をそろえて言う」
「戦いならそうだろうさ、だがこれは決闘だろ」
ケビンはまたしても声を上げしっかりと笑った。
一度ならず二度までも、その鉄面皮が崩れたことに見物していた三人が驚く。それほどまでに、彼は笑わないことで有名だった。
「いや実に惜しい、やはり君とはもう少し語り合いたかったよ」
「気が早い野郎だ、それに俺はまだそのつもりだ」
「……とても残念だけど、もう終わりにしよう」
突然ケビンが剣を振り上げた。二人の間の空間は優に十メートルはある、しかし振り下ろされる刀身に異様な不安を感じた龍二は迷わず横に飛んだ。
地面が、抉れた。
刀身から放たれた輝きと同じ色の斬撃は、通り道の尽くを砕きながら進んでいった。
その圧倒的な威力に龍二は肝を冷やす。
――なるほど、魔法が使えない人間ってのが侮られるわけだ。
強引に断ち割られた地面を見ながら龍二は納得する。
こんな強力な武器をこの世界の人間は持っていたのだ。そして龍二にこの攻撃を受ける術は存在しない。
存在するのは両者の間にある圧倒的なハンディだけだ。
龍二にとって幸いなのはこの攻撃は大した速度を持っていないことだった。
一撃必殺も当たらなければ意味がない。このまま回避を続けて相手の疲労を待つしかない。
「勝負あり、だな」
「何よ! まだ分らないじゃない」
バンゴの小さな呟きをとらえたアリスが必死にその言葉にかみつく、劣勢なのは確かだが、龍二はあの攻撃をおそらく見切っている。
さっきから一発もかすりもしないのがその証拠だ。このままケビンの魔素が切れれば――
「魔素切れならば望むだけ無駄です。ケビンは亜人だ、亜人の魔素切れを待つなど滑稽極まりない。それに、アロマはもう気づいているようだな」
「え?」
アリスが隣を見ると、非常に残念そうな顔をしたアロマがそこにはいた。もう龍二の敗北を確信している、そんな顔だ。
混乱しているアリスに、バンゴが淡々と事実を告げる。
「もっと訓練場全体を見ることです」
龍二にだけ集中していたアリスはその言葉に初めて訓練場全体を見渡し、遅れながら背筋を冷やした。
負ける、このままでは間違いなく龍二が負ける。決闘中に外から声をかけるのはあまりにも無礼だ。それでもアリスは声を抑えきれなかった。
「リュージ!」
※ ※ ※ ※
回避に専念していた龍二はその叫びに一瞬動きが止まってしまう。
ほんの一瞬の隙、しかしこの場においては致命的な――。
そのタイミングを見計らってケビンは木剣を振り――下ろさなかった。
「……なんのつもりだ」
「もう必要ないのさ」
「なに?」
「アリス様が何に叫んだのか、いい加減気付きたまえよ」
龍二は何かに気づいたように、あたりを見渡す。
そこでようやく気付いた。気付いてしまった。
ケビンの攻撃で砕けていた地面、その欠片一つ一つが空中に静止しているのに――
少し視線を上げれば気付くことができたはず、しかし当たれば終わりの一撃の前で完全に視野が狭まっていた、いや狭められていたのだ。
固まってしまった龍二から、ケビンは更に数歩距離を取る。
「空中に止めておける、ということは当然動かせると言うことだ」
何かを考える前に両の腕を顔の前でクロスさせ腰を落とす。その必死の努力をあざ笑うかのように、固まっていた欠片が龍二に殺到した。
それは、控えめに言っても礫の嵐といえるものだった。
小指の先ほどしかないものもある。拳ほどあるものもある。大きさは個々違うが、その脅威はどれも変わらない。
今の龍二の姿がそれを示していた。細かい破片はスーツを破って体のあちこちに刺さり、大きな石を受けた左腕は青く腫れあがっていた。防ぎきれなかった欠片が頬を切り裂いている。
両腕がだらりと下がる。もう意識などあってないようなものだ。
それでも――。
「まだ倒れない、倒れることもできないのかな」
ケビンが緩やかな足取りで龍二の前にやって来る。
或いはこのまま勝ち名乗りを上げるかと思ったが、それでは龍二が納得しないと思ったのかもしれない。
「終わりにするよ……そういえば、名前も聞いていなかったね」
目の前で静かに木剣を上げるケビンを、龍二は見ていなかった。
彼の視線に映ったのは、泣き崩れるアリスとそれを支えるアロマ、当然のことだとふんぞり返るバンゴ。
――なんで、あの子は泣いているんだろう
今にも途切れそうな意識で、龍二は考える。
あの子が子どもだから、力がないから、大人の事情だから、つながることのない言葉たちが頭の中で暴れる。
――何でだろうな
子どもなのも、力がないのも、大人の事情に首を突っ込めないのも、あの子の責任じゃないはずなのに、仕方ないことのはずなのに――。
暴れまわる言葉が徐々に消え、理不尽という言葉だけが残った。
――いつまでこんな汚いかばんを使っているんだ。
突然頭の中に誰かの声が響く。
――捨てなさい、……家の人間ともあろうものが、こんなものを使うな。
冷たい声、無機質で何も感じさせない声。
その声を聞いた瞬間、どす黒い何かが龍二の心を満たした。
芽生えた感情は、龍二の体の限界を何一つ考えずにケビンの剣を掴ませた。
「なっ!?」
まだ動けると思っていなかったケビンが驚きの声を上げる。だがそれで終わりではなかった。
初めは血かと思った。
傷口から流れている血かと思った。
それがなんなのか、ケビンには分からない。ただ龍二の体を包む赤いもやを見て、直感するこれは危険だと。
龍二の残された右手が、固く握り締められる。
ケビンは剣を手放し、後ろに飛んだ。直後その体を凄まじい衝撃が貫き、彼の意識は闇の中に落ちて行った。
※ ※ ※ ※
「……なんだ、何が起こった」
バンゴがかすれた声を漏らす。思わず出てしまった、そんな声だ。
アリスも目の前で起こった一幕が信じられなかった。
動けなくなったはずの龍二が、突然動き出したかと思えば、瀕死とは思えない一撃を繰り出した。
言ってしまえばそれだけなのだ――だが、最後に一撃が引き起こした結果が、あまりにも現実離れしている。
砲弾のようなスピードで、二十メートル近く吹き飛ばされて気を失ったケビンが、アリスの視界には映っていた。
逆転、言葉にすると二文字だが、衝撃的な展開を前にアリスは行動を起こせない。
それでも、今度こそ限界が来た龍二が倒れるのを見て、アリスは走りだした。
「……これは予想以上ですね」
そんなアロマの呟きは、必死に走るアリスには聞こえなかった。
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