七、山道

 翌朝、アテル司令官の副官に写しを返した。本は、光の側からの歴史の解釈を知ることができたという点で役に立ったが、謎を解くまでには至らなかった。副官の話では、原本はローセウス将軍が保管するだろうとの事だった。


 その日の昼過ぎ、アテル司令官から呼び出しがあり、ローセウス将軍から、至急原本を届けるよう命令が下ったと知らされた。できればアイルーミヤ調査官に配達してほしいと言う。


「私が、ですか?」

「指名だった。理由は教えてもらえなかったが、心当たりは?」

「いいえ。分かりません。しかし、ローセウス将軍支配地域の寺院や遺跡の調査もありますので、ついでに届けましょう」

「定期補給便で送ろうと思ったが、至急だそうだ。所属は違うが、よろしく頼む」


 届け物程度に自分が指名される理由はまったく分からないが、次の調査をローセウス将軍の支配地域で行う予定にしていたので問題は無い。北部では、将軍の交渉術による占領が上手くいったため、僧たちが生き残っており、本の内容について事情聴取をしたいと思っていた。


「クツシタ。旅行の準備だよ」

『にゃー』


 ローセウス将軍の北の城までは山と川を超えて三、四日かかる。治安の良くない所も抜けていくが、人手不足もあり、警備を頼むのは難しい。

 それで私を指名したのだろうか。ちょっと魔法が使える程度の兵の一団よりアイルーミヤ一人の方が戦えるし、早いという判断なのだろう。

 まるで便利屋扱いだな、と苦笑して荷造りした。


 クツシタの餌は心配なかった。仲良くなった給食担当の兵が干し肉や魚の端切れをたくさんくれた。肉の割合で言えば、規定の糧食のアイルーミヤより多いくらいだった。

「お前、いつの間に……。要領いいな」

 皆がクツシタに声をかけ、なでてくれる。元将軍の調査官が連れている猫は噂になっていた。


 翌朝、司令官と兵たちに見送られて出発する。荷物が多くなってハヤブサ号にはすまないが、一日ごとに軽くなるので我慢してもらおう。


 しばらくすると山道に入った。日陰に入ると涼しい。この山は今日中に超え、谷間の川沿いで野宿する予定だった。

 クツシタは鳥の鳴き声に耳を動かしながら丸まって寝ている。誰ともすれ違わない。静かで、眠気を誘うような山道だった。


 昼を摂るために休憩した後、峠を超えて下り坂にさしかかった時だった。

 嫌な気配を感じた。複数だった。

 額の目を開いて生命探知をする。三人。人間二人に獣人一人。木陰にしゃがんで隠れている。まともな旅人じゃない。

 こんな所で出たか。


 アイルミーヤはクツシタをなでると蓋を閉めた。少しの間我慢してくれ。物騒な事になるからな。


 馬から降り、少し離れる。もう気づいているぞ、と示すために短剣を抜き、木漏れ日にきらめかせて挑発する。奴らが利口なら、これだけで実力差を感じて退散するだろう。


 だが、そいつらは馬鹿だった。一人が矢を放ったが、額の目を開いているアイルーミヤには、それは空中をのろのろ進む的にしか過ぎない。指先から炎を撃ち、当たる前に消し飛ばした。

 人間二人が現れた。錆の浮いた粗末な剣を構えている。闇の王の印が見えた。兵を襲ったのか、遺体から盗んだのか。とりあえず、そいつらと馬の間に入った。

 獣人は隠れたまま背後に回り込もうとしている。気づかれないとでも思っているのか。


「お前ら、その剣をどこで手に入れた」

「婆ぁの知ったこっちゃねえ」


 そんなに死にたいのか。できれば殺したくない。矯正して信者にしたい。


 二人は大げさに剣を振り回して迫ってきた。素人なのか、獣人が位置につく時間稼ぎをしているのか。多分後の方だろうなと思いつつ、炎塊を足に撃った。その場で地面に転がって苦しんでいる。一人は気を失ったようだ。


 背後の獣人が飛び出し、変身しながら滅茶苦茶に走ってきた。熊の獣人だった。狼程度だろうと思っていたが、熊とは予想外で厄介だ。


 炎の壁を作ったが、勢いのついたまま超え、馬を狙って短剣のような爪のついた前足を振り回した。袋のおかげで馬には当たらず、荷物が散乱した。

 まずい、原本の包が。


 時間はかけられない。やむを得ないが獣人は倒そう。中途半端に強いから情けをかけられない。


 アイルーミヤは馬に駆け寄り、尻を叩いて逃がす。同時に熊の獣人の目の辺りに炎塊を撃つ。ひるんで後退したところを肩を狙って切りつけた。

 熊は毛皮と分厚い脂の層があるので短剣では致命傷にはならない。これで逃げてくれれば殺さずに済むのだが。


 しかし、そいつは逃げなかった。こっちに向かってくる。人間は戦意を失っており、気を失った仲間を抱えて逃げようとしていた。

 額の目が喜びにうずいている。久しぶりの殺しだ。


 吠える獣人が後足で立ち上がり、爪と牙でばらばらにしようと覆いかぶさってきた時、彼女は五百年前を思い出していた。後方で指揮するよりも前線で暴れるのが好きだった自分。戦場での血と泥まみれの自分。

 その昔の自分が今の自分に重なった時、獣人の頭部は弾け飛び、心臓はくり抜かれた。肉と毛皮の燃える嫌な臭いが漂った。


 道は静かになった。小鳥が鳴いている。アイルーミヤは荷物を集め、馬を呼び戻して破れた袋を応急的に直した。

 逃げた二人は放っておく。追いかける時間はない。通信紙で山賊出現を報告するにとどめた。


 後始末を済ませ、ハヤブサ号にまたがると蓋を開けた。クツシタは薄目を開けてアイルーミヤを見上げた。


『にゃ』

「お待たせ。さあ、行こうか」


 日が暮れる頃、予定通り川沿いで野宿の準備をした。石でかまどを作り、流木を集め、火を焚いて湯を沸かした。この位の事は魔法を使わない方が訓練になる。自分用に乾燥豆をふやかし、クツシタには乾燥肉をさっともどし、冷まして与えた。そばの木につないだハヤブサ号は草を食んでいる。

 夜空は月と星で明るい。焚き火もあるので手元には不自由しない。食事を終えたアイルーミヤは荷物の点検をした。

 特に目立った破損や失ったものはないが、原本の包みが破れかけている。調べておこうと取り出し、ページをぱらぱらめくってみた。


 その手が止まる。後半の一ページが妙に厚ぼったい。破損したページが裏打ちして補修され、さらに紙を継ぎ足してあるのでそのせいだろうと思ったが、何か引っかかった。

 まさかと思いつつ額の目を開くと、そのページだけぼんやり光った。井戸の隠し扉と同じだ。ここに魔法錠が仕掛けてあり、中に何か入れてある。

 まったく気づかなかった。本全体ではなく、このページにだけ魔法錠がかけてある。ざっと見ただけでは分からなかった。


 すぐにでも開けたかったが思いとどまった。誤差の範囲かも知れないが、井戸とは光り方が微妙に違う事に気づいたからだった。罠が仕掛けてある可能性がある。こんな場所ではなく、専門家のもとで、適切な設備のある所でないと中の資料を失うかも知れない。

 アイルーミヤはローセウス将軍宛に通信紙を飛ばした。


 翌朝、返事が現れた。道を急ぐようにと言う命令と、魔法錠は城にて魔法技術者が開けるとあった。

 なお、山賊については、逮捕のためアテル司令官側から部隊が出動したとの事だった。


「行くぞ、ハヤブサ、強行軍だ。すまないが頑張ってくれ」

『みゃ』

「お前じゃない」

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