第35話 黒竜が住まう山

「ここが……黒竜の住む山」


 私は今、天高くそびえ立つ山のふもとに立っていた。

 隣にはスイレンがいつものぬいぐるみを抱えたまま、頼りなさげに私の服の裾を掴んでいた。


「七海……本当に、行くの?」


 その目は不安に満ちており、この先にいる黒竜と呼ばれる存在に怯えているようでもあった。


「……うん、パパを助けるためにも私は行かなくちゃいけない。もし、スイレンちゃんが怖いなら、ここから先は私だけでも大丈夫だよ」


 そう言って私はスイレンと同じ目の高さまでしゃがみ、彼女の顔を正面から見据える。


 あれから私が黒竜のいる山へ向かうにあたり、案内役として魔王軍からスイレンちゃんがついてきてくれた。

 イブリスやグレンは魔王が倒れた今、魔王城を守るために残ることとなり、そのため消去法として戦いに積極的ではないスイレンが私の案内役となった。

 彼女の案内のおかげで私は無事に目的地までたどり着けた。

 黒竜の試練とやらが、どんなものかは不明であったが、ここからは最悪私一人でも向かうつもりであった。

 しかし、そんな私の決意に負けぬほど、しっかりとした意思を宿したスイレンが首を横に振った。


「……大丈夫。私も魔王様を救うために頑張りたい」


「……そっか、分かった」


 そう言って震える体で必死に胸を張るスイレンを見て、私も負けられないと決意を新たにする。


 黒竜の山は頂上に向けて一本の道が存在していた。

 遠目に見てもわかりやすいほど単純な道であり、山の斜面からいってそれほど険しい山にも見えなかった。

 しかし、周囲には村や人が住むような場所はなく、魔物ですらこの山の周りには一切見かけなかった。

 それほど、命ある者達がこの山を避けているのが分かり、山へ向け一歩足を踏み入れた瞬間、まるで魂の奥底まで響くような威圧感が頂上から感じられた。


 目には見えない。しかし、確かに『何か』がそこにいる。

 その不気味な感覚が、この山に黒竜がいるという事実を如実に表していた。


 一歩進むたびに体の奥底に響くようなプレッシャーに耐えながら、私とスイレンは共に山を歩き出す。

 道のりは先程も言ったようにそれほど険しくはなく、肉体的な疲れは一切ないと言っても過言ではない。

 しかし、歩くたびに魂に直接干渉されるような覇気は冗談ではなく、むしろこの山を登るには精神的疲労にどこまで耐えられるかが重要にさえ思えた。

 何も知らない人間であれば、一歩この山に足を踏み入れた時点で、本能の赴くままに立ち去るであろう。

 山を登る。それだけでもすでに黒竜の試練とやら立ち向かっているのではと思えるほどであった。


 そうして私とスイレンが互いを支え合う形で山の中腹まで登ったところで、奇妙な光景を目にする。


「あれは……なに?」


 それは広場のような場所でうずくまっている一人の少女であった。

 そして、その少女を狙うように空中には無数の黒い翼を生やした小型のドラゴンが旋回していた。


「あれ、ワイバーン! まずい、あの人……狙わてる……!」


「え!?」


 スイレンがそう言うと同時に空中を旋回していたワイバーン二匹が地上でうずくまっている少女目掛け、その鉤爪を振り下ろそうとした。

 気づくと私はその少女の方へ向かって走り、怒号と共に腕を振っていた。


「やめなさいー!!」


 怒りに任せそう叫ぶと同時に、私が振り払った腕から謎の衝撃波が風を切り、少女に襲いかかろうとしていたワイバーンを吹き飛ばした。

 しかも、ただ吹き飛ばしただけではなく、遥か数十メートル先にある岩壁へとぶつけるほどの威力があり、岩壁にぶつかると同時にワイバーン達は血を吐きながら倒れていった。

 それを空中で見ていた他のワイバーンは私の起こした衝撃波に恐れをなしたのか、そのままどこかへと飛び去っていった。


 しかし、今の出来事で一番驚いていたのは私であった。

 なぜなら私はただ怒りに任せて腕を振っただけであり、それに大した意味などはなかった。

 まして、このような事が出来るなんて思いもしなかった。

 それだけに突然このような事が出来たことに驚く私であったが、隣にいたスイレンもそれは同様であった。


「七海、今のは……?」


「わ、わかんない……」


 そう答えながら私は自分の腕を見るしかなかった。

 見る限り、それはいつもの私の腕であり、これといって体調に変化はなかった。

 いや、あえて言うとすれば、いつもよりも生命力が満ちているような感覚であろうか。

 そんな謎の現象に戸惑う私に対し、隣にいたスイレンはどこか考え込むように呟く。


「七海……もしかして……」


 しかし、そんなスイレンのセリフの続きを聞くことなく、先程まで地面にうずくまっていた少女がうめき声を上げながら、立ち上がろうとしている姿を見て、私は慌ててその少女へと近づいた。


「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」


「う、うむ……大丈夫じゃ。どうやら、お主のおかげで助かったようじゃな、礼を言うぞ」


 見るとそれは私より少し年下くらいの美しい少女であった。

 黒いおかっぱの髪に、黒の振袖を着た少女はまるで江戸時代に出てきそうな美しい姫そのものであった。

 そんな少女の美しさに一瞬目を奪われる私であったが、見ると、その少女の腕には枷のようなものがハメられていた。


「あの、その枷は一体……?」


 問いかける私に対し、黒髪の少女は困ったように笑った。


「ああ、これはいわゆる生贄の証じゃ。儂はここから隣の国よりこの山に住まう竜へと捧げられた生贄なのじゃ」


「え!?」


 少女の思わぬその言葉に驚愕する私。

 生贄って、こんな私よりも年下の少女が?

 驚く私に対し、隣にいたスイレンが呟く。


「……別に珍しくない。人間はこうした生贄を魔物や竜に捧げることでその地の平穏や繁栄をもらうって聞いたことがある。それに生贄も若ければ若いほど喜ばれるって……」


 そう説明してくれたスイレンであったが、しかし、その表情はどこか複雑そうであった。


「うむ……。まあ、そういうことじゃな。しかし正直、儂も助かった。ここであのようなワイバーンに食われては、この先の黒竜様への生贄にはなれぬからのぉ」


 そう言って笑う少女に対し、しかし私はどこか複雑な感情を抱いていた。

 この少女は自ら志願して、ここへ来たのであろうか?

 だとしても、この少女をここへ送った者達は何を考えているのだろうか。


 自分達の繁栄や救済のためとはいえ、少女一人を生贄にするなんて。

 そんな事を思っているうちに私は知らず、拳を強く握り締めていた。


「どうかしたのか?」


 気づくと、私の表情を不穏に感じたのか、少女が問いかける。


「……ううん、なんでも」


 しかし、私はすぐに首を横に振り、少女の肩に手を置く。


「あの、いきなりすみません。その生贄ってあなたが自ら志願したんですか?」


「え?」


 唐突なその質問に戸惑う少女であったが、しかしすぐさま悩むような素振りを見せ、どこかバツが悪そうに笑った。


「……いやぁ、まあ、他に候補もいなかったし。儂がするしかないという感じで選ばれたというか……」


「なら、あなたが無理にその生贄になる必要はないんじゃないんですか?」


 そう問いかける私に対し、少女は驚いたような顔を向けるが、しかしすぐにどこか諦観したように首を振った。


「それはそうかもしれんが、この山にいる黒竜様に生贄を運ばなければ儂のいる国は雨の加護を失い、国が衰退してしまう。そうならないためにも生贄は必要なのじゃ」


 そう言って自らの命を諦める少女であったが、私はそれに対し首を振った。


「いいえ、そんな必要なんてありません。誰かの命を犠牲に得られる繁栄なんて間違っています」


 そうして続く私のセリフに少女だけでなく、隣にいたスイレンすら驚く。


「この先にいる黒竜に私が直談判します。生贄を要求するのは間違っていると」


「は?」


「ちょ、七海! ほ、本気で言ってるの?」


 見るとスイレンはいつになく慌てた様子で私の腕を掴んでいた。

 四天王である彼女がこれほど取り乱すということは黒竜の力はそれほど桁違いということなのだろう。

 だが、それでも私は間違った事を間違っていると言えないのはおかしいと思っていた。

 一度間違った事をした私だからこそ、それを看過することは出来なかった。


「本気よ。パパを治してもらう前に黒竜にそのことで文句を言ってあげる」


 そう宣言した私に対し、スイレンも無駄と諦めたのかため息をついた後、静かに頷いた。


「……分かった。七海がそうするなら、私も付き合う」


「うん、ごめんね。スイレンちゃん」


 そうしてスイレンの了承を得た後、私は改めて目の前の少女に振り返り、その手にハメられていた枷を外す。


「あっ……」


 驚く少女であったが、それに構わず私は続ける。


「私もこの先にいる黒竜に用があります。けれど、その前に貴方のことについて直談判します。貴方を守れるかどうかは分かりません。けれど、生贄は間違っていると、そう伝えます」


 私のその宣言に少女は驚いた顔のまま、しかしやがてその唇に笑みを浮かべて笑った。


「ふ、ふふっ、面白い人じゃの」


 そう言って笑った後、少女は私の方へと握手を求める。


「どうせ元より儂の命は捧げられたもの。この先で死ぬのを覚悟した身じゃ。しかし、もしお主がなんとかしてくれるのなら、それに任せたいと思う。ほんのわずかな可能性かもしれんが、それに甘えてもよいかの?」


 そう言って差し出された少女の手が僅かに震えているのに気づき、私は迷うことなく少女の手を握り、それに誓うように約束する。


「はい、任せてください。仮に黒竜の意思を変えられなくても、あなただけは私が逃がしてみませます」


 最悪、私自身の命が犠牲になろうとも、パパとこの目の前の少女の命だけは救う。

 それが私がこの世界で果たせる最後の役割だと、そう誓うように私は宣言した。

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