第56話 ああ無情っ……か~ら~の~?

 どうも、ツイてない女です。

 あ、違った。

 どうも、私の名前はベアトリクス・アウラー。画家の卵です。あ、雛ぐらいにはなったかな?

 というのも、天下のゾフォール商会から商品の宣伝用絵画を描いてくれと頼まれたんです。

 数年前からときどきそういうお仕事ももらっていたんですけど、今回のはすごい!

 なぜなら、依頼主が商会の一人娘!

 どこかの支店の宣伝部門とかじゃなく、商会の秘蔵っ子であるシャルナさん自らの依頼で、シャルナさんが自ら経営する新店舗の旗揚げ用! しかも外国!

 これはもう、遂にきたな、と。

 ツイてない女の汚名を返上するときが遂にきたなと!

 デ・レーウ工房にはたくさんの弟子がいる中で、わざわざ私に指名が入ったということはそういうことなんだと!

 あ、そうそう。

 私はアンセラが誇る巨匠、メルヒオール・デ・レーウ先生の弟子で、七歳のときからだから結構な古株なんです。


 まあ……


 私よりあとに入って先に独立していった人ばかりですけどね……


 それはともかく、あの日から苦節一七年……

 とうとう一人で外国にまで出向いて仕事をする日がやってきました!

 だから私は喜び勇んで荷物をまとめました。

 さすがは天下のゾフォール、目的地まで馬車と護衛をつけてくれるし、先生も相弟子のみんなも両親も宴会まで開いて送り出してくれました。


 ……ただし、ハッピーなのはそこまで。

 やっぱり私はツイてない女だったんです……


 思えばいつからだろう。

 そういう星のもとに生まれたんだといってしまえばそれまでだけど、昔からなぜかついてない。

 道を歩けば動物のフンを踏んづけるし、買い物に行けば目の前で売り切れるし、宴会で私一人だけ食中毒になったこともあれば好きな男の子に告白しようと思った矢先に恋人ができたことを知ってしまったり……

 人生に関わるような大きな不運はないけれど、小さな不運からそこそこの不運までは日常的に訪れる……


 私の名前、「幸せを運ぶ女」って意味なのにねっ!!


 そんな私の一番の幸運といえば、たまたま隣にデ・レーウ先生が引っ越してきたこと。

 アンセラ北部の田畑と森林ぐらいしかない田舎町の農家の隣にいきなり画家がやってきて住み始めたものだから、小さかった私は物珍しさにちょくちょく遊びに行って、とても落ち込んでいたある日、先生にいわれたんです。


「人生というのは、つらいことが多いほどあとで大きな幸福が手に入るものだ。だけど幸せになる努力を怠ってはいけないよ。自分のために頑張れない者はなにも手に入れることはできないんだ」


 その言葉に勇気をもらった私は馬鹿丸出しに「画家ってすごい!」と思い、その勢いのまま弟子入りしました。

 今思い返すとあのとき先生、苦笑いしてたような……


 ともかく、たっぷり一七年もの時間をかけてそれなりには成長したはずの私は意気揚々と町を出たんですけど……

 出るわ出るわ、トラブルの数々……


 宿が取れずに町中を駆け回ること六回。

 宿は取れても馬小屋に空きがなくそっちを探し回ること四回。

 食中毒になり寝込むこと二回(一回は護衛の人)。

 御者が馬に蹴られて大怪我をし代わりを探すこと一回。

 売れもしない画材を盗まれて買い直すこと一回。

 モンスターの群れに道を塞がれ遠回りして野宿すること二日間(あ、このときオシッコしてるところを見られちゃったことは日記には書かないでおこう)。

 護衛の人が強盗犯に間違われて拘束されること三日間……


 小さな不運を合わせると数えるのが嫌になるほど、ツイてない……!

 そもそも、今まで私の不運はあくまでも私だけの不運で完結していて他人を巻き込んだことなんてなかったのに、今回は他人にも降りかかっている……

 これは行くなということなのでしょうか……?

 私は画家として成功してはいけないということなのでしょうか……?

 神さま、私がなにをしたというのでしょう……

 ワイロを贈ればなんとかなりますか……?


 いやいや、そんなこといっちゃダメ……

 思いっきり不運に巻き込まれながらもまったく気にせずここまで送り届けてくれた人たちに申し訳がない。

 とにかく、本気で改名を考えるくらいいつも以上にツイてなかったけどなんとか五体満足でバリザードの町に到着した私は、すぐにシャルナさんがいるゾフォールの支店に行きました。

 すると新しく立ち上げるお店のほうに行っているということで、荷物を抱えたままそっちへ向かいました。

 目の前の赤い屋根の大きなお店の裏に回った隣のお店……


「私に女神を描かせてくれぇ……!」


 ショーウィンドウ越しに、そんな声が聞こえてきました。

 多分、このお店だよね……?

 覗き込んでみると、貴族っぽい男の人が三人倒れ込んでいて、うち一人が別の男性に踏みつけられていて、びっくりするほど綺麗な女の人がほとんど裸みたいな恰好でポーズを決めている……


 えっと……

 どういう状況なんでしょう……?


 呆気に取られてしばらく立ち尽くしていると、またまたとんでもない言葉が私の耳を駆け抜けていきました。

「ではこの条件で構わないかね、ラファロくん?」

 ラファロ……?

「このラファロ・ヴィンチ、己の信念と美の女神に懸けてこの仕事を完璧にこなしてみせよう!」


 ラファロ・ヴィンチ!?


 私はまるで地面が消えてしまったかのようにどこまでも落ちていく感覚に囚われてしまいました……

 だって、ラファロ・ヴィンチですよ……?

 ラファロ・ヴィンチがここにいるんですよ……?

 シャルナさんもいるし、契約を交わしてたんですよ……?

 それってつまり……

 ラファロ・ヴィンチがこの仕事を引き受けたってことでしょ……?


 ああ、そういうこと……

 私が他人を巻き込むほどの不運を発揮して遅れに遅れたから、代わりにラファロ・ヴィンチに頼んじゃったんですね……

 そして見事引き受けてもらえちゃったんですね……

 ああ、こなきゃよかった……

 今までどんな不運にもめげず先生の言葉を胸に頑張ってやってきて……

 今回はもう引き返したほうがいいかなって思いながらも、これがきっと一人前になるために必要な努力なんだって、なんとか辿り着いたのに……

 ラファロ・ヴィンチですか……

 よりにもよって……


 敵うわけ、ないじゃない……!


「ダーリン、あれ乞食かしら?」

「うん?」

「あっ!? あ、アウラーさん……!?」

「あれが? なんて間の悪い……」

 ええ、ええ、わかってますよ、ずっとそうですよ私は……


 でもこれは間違いなく……


 人生最大の不運っ!


 ああ無情っ……!



 ……へたり込んでぐずぐずと泣いていた私は店内に引きずり込まれても泣き続けていました。

 洪水のように涙が流れてとまりません……

 あと鼻水もとまりません……

 あ、ラファロさんがハンカチを差し出してくれました……

「ずびーっ! 私なんかのひよっこより、誰だってラファロ・ヴィンチを選びますもんね……ぐすん……わかってます……しくしく……」

 この場の皆さんはなにやら商売上のことで揉めているようです。

 きっと私がこないと思ってラファロさんと契約したのにきちゃったから、とかそういうことでしょうね……

 本当にすみません……

 間が悪くてすみません……

 私の不運に巻き込んじゃってすみません……

 シャルナさんは私をかばってくれているようだけど、なんかもうすみません……


「それはすまないことをした」

 ラファロさんのそんな声が聞こえて、なにやら雲行きが変わったように感じました。

「え、なんでラファロさんが謝るんですか?」

 まったくです。悪いのは私です……

「それはそうだろう。二人にはそれぞれの思惑があったのだろうが、私は自らの意志でこの仕事を引き受けた。それはつまり先約者である彼女の仕事を私が自らの意志で奪ったことにほかならない」

 ああ、だから「悪いが小娘は帰れ」ってことですね、わかります、すみません。

「しかし、だらといって降りるつもりもない」

 さようなら、夢見続けたいつかなるはずだった幸せな私……

「どうだろう、彼女には私の助手をしてもらうという形で雇えまいか?」


 時間がとまりました。


 私以外のすべてが停止した静かな世界で、ラファロさんだけがゆっくりと、神々しく、光り輝いてゆくさまを、私は見ました。

「あなたは神さまですか!?」

「あいにく私は神ではない、美の女神の使者だ」

 ああっ、なんて神々しい笑顔っ!

「実は以前、メルヒオール卿には世話になったことがある。そのときの礼とせめてもの詫びということで私の美技を間近で見せてあげようじゃないか。君も画家だというのならこれ以上の幸福もあるまい?」

「はいっ! 一生ついていきますっ!」

「いや一生は困る」


 ラファロ・ヴィンチの絵を、この目で見ることができる……!

 どんな筆を使っているかも。

 どんなキャンバスを使っているかも。

 どんな絵具を使っているかも。

 どうやって色を作っているのかも。

 なにを見て、なにを感じ、それをどうやって絵にするのかも。

 目の前で見ることができる!

 世界の巨匠の技を!


「生きててよかったぁ~……! でへへ……」

 ああ、よだれが……

 ハンカチ、ハンカチ……

 あ、これはさっき鼻水かんだやつだったあ!

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