忘れられないこと

 扉が閉じ、足音が遠ざかっていく。


「ふう~」


 その途端、緊張の糸が切れ、ベッドにもたれこむ。

 少しの時間でこんなにも身体が疲れていただろうか……。


「……時間はある……か。あと、どのくらいあるんだろう」


 やっぱり祐子さんの言っていた通り、刻一刻と終わりに近づいているみたいだ。

 カレンダーを見ると二月ももうすぐ終わる。

 来月からひーくんたちは高校三年生になり、受験生になる。

 今よりもずっと忙しくなるだろうから、二人の邪魔にならないようにしなければいけない。


「……そういえば二人はどんな大学に行くんだろう」


 よく考えるとそんな話は全然しないような気がする。

 確か二人とも文系だったからそれ方面の大学に行くんだろうとは思うけど。

 いーちゃんは頭が良いから国立に行くかもしれない。

 ひーくんは……普通の私学かな?


「私がもし行けるなら……絵の勉強ができる所が良いな……」


 二人が進学の話をしない理由は大体分かる。

 きっと私の気を使ってくれているのだ。

 確かに二人にしか分からない話をしている時は少しモヤモヤする。

 それが顔に出てしまっているんだろう。


「はあ」


 ひーくんが来るまで開いていたスケッチブックを手に取り、ペラペラと捲る。

 色々な景色が描かれているが、途中からほとんど同じような風景ばかり。

 病室の中から見える道路を走る車。

 患者さんたちが談笑している広場。


「最近、ここから見える景色しか描いてないなあ」


 ため息をつき、寝ようとまたベッドに潜り込む。

 眼を閉じる前にそういえばともう一度カレンダーを見る。

 まだ二ヶ月あるがまたあの日がやってくる。

 彼はもう憂鬱気持ちになっているかもしれないと考えるともっと負担にならないようにしなきゃなと思う。


「……ちゃんと挨拶に行かなきゃな」


 そう思い眼を閉じた。

                   ・

                   ・

                   ・

 自宅に戻る前にもう一度だけ維織の家に寄ることにする。

 そっと部屋に入ると、少し苦しそうな声が聞こえてくる。


「維織?」


 ベッドに近付き、手を伸すとその手を掴まれる。


「維織?どうした――」

「……お母さん……」

「!! えっ?」


 ゆっくりと眼が開く。

 少しぼおーっとしているようだがすぐに眼が合う。


「……博人。お帰りなさい」

「ただいま。大丈夫か?うなされてたみたいだけど」


 近くにある乾いたタオルで額に浮かんでいる汗を拭いてあげる。


「ありがとう。……何か夢を見ていた気もするけれど……忘れてしまったわ」

「……そうか。まあ、しんどいときは嫌な夢を見たりもするさ」


 温くなってしまっている濡れタオルをキッチンに持って行き、また冷たい水で濡らしてから部屋に戻る。


「具合はどうだ?」

「さっきよりもましになってきたわ」

「それは良かった。でもまだ寝とけよ」

「ええ」


 また頭に濡れタオルを乗せる。


「胡桃はどうだった?」

「元気だとは言ってたよ。顔色も悪くはなかったかな」

「そう。良かったわ」


 することも済んだので俺もそろそろお暇することにする。


「じゃあ、俺は帰るから」

「ありがとう。手間を掛けさせてしまってごめんなさい」

「いいよ別に」


 部屋から出ると「あっ。ちょっと待って」と維織に止められる。


「どうした?」

「言い忘れていたと思って。またお墓参りに行かせてもらうわ」

「気が早いな。命日までまだ二ヶ月くらいあるぞ」

「二ヶ月なんてあっという間よ」

「……そうかもな」


 流石に毎日考えながら生活をしている訳ではないが、この日が近付いてくると憂鬱な気持ちになってくる。


「今年は親戚で集まったりするの?」

「いや、今年は集まらないよ。でも来年は集まるかな。七回忌だし」

「……もう五年も経ったのね」

「……だな」


「じゃあ」と言って家を後にする。


「五年か……」


 そう呟く。

 もうなのかまだなのかも分からなくなってきた。

 でも、分かることはあの日のことを忘れる日は来ないということだ。

 ……あれは雨が降る休日のことだった。

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