呼吸をするように

 以前にあの人が言っていた「呼吸をするように小説を書く」という行為、感覚。それがようやくわかってきました。

 相変わらず執筆時間や1日に書くことのできる文字数はあまり増えませんでしたが、それでも感覚的には以前に比べてずっと楽に小説が書けるようになってきました。

 それは、好きな人とおしゃべりしている時のあの感じに似ていました。

 何も考えなくても自然と指先から言葉があふれ出てきて、勝手に物語を生み出していくのです。

 この「音吹おとぶき璃瑠りるの誕生」という作品は、私の実体験を語ったもの。そういう意味では、半分ノンフィクションのようなものです。だから、スラスラと書けるのは当然といえば当然なのですが。

 それにしたって、何も考えなくても無意識で言葉があふれ出てくるようになったのは、ここ数日のこと。それまでは、いろいろと頭の中で考えながら「ああでもない、こうでもない」と四苦しく八苦はっくしながら書き進めていたものです。どこかギクシャクしながら書いているという感覚がありました。

 だけど、コツをつかめば簡単でした。あんなに苦労していた小説が、今はすごく簡単に書けるんです。最初にあの人が言っていたように「慣れてくれば、洗濯や皿洗いと同じように。呼吸をするように書けるようになってくる」まさにその通りになってきたのです。


 自分が物語の中の登場人物であり、物語の世界を生み出した神様のようでもありました。

 それは、他の小説を書く時も同じ。この作品以外は、まだまだ断片的なものしか書くことができませんでしたが。それでも、瞬間的には無意識に筆をすべらせることができるようになっていました。

 心がふわふわと夢の世界をただよって、身も心もとろけていく感じ。そうして、全ての意識は夢の世界と一体化する。最高に気持ちいい瞬間。

 そんな時に生み出された物語は、やはりあとから読み直しても、いいものが多いものです。自分でも満足できる最高の物語が生み出せているという実感がありました。


 ここにきて「小説を書く」ということがどういうことなのか、ようやくわかってきたような気がします。

 それは決して理論や技術に頼ったものではなく、その人が心の底に持っているものをありのままさらけ出す行為。全裸になって、人に見てもらうこと。自分から着ている物をバッと脱ぎ去って、「見て見て!私を見て!これが私の自然な姿なのよ!」と街中に飛び出していくようなものでした。

 もちろん、それはとても恥ずかしいことです。でも、一線を越えた瞬間、その恥ずかしさが快感へと変わるのでした。


 この瞬間、私はもうひとつ、あの人の言葉が理解できたのでした。

「ひとりで小説を書いて誰にも読まれないのと、人々の目にれる形で公開して誰にも読まれないのでは、全然意味が違ってくる」という言葉の意味が。

 ひとりで小説を書いて誰にも読まれないこと。それは、お部屋の中で服を脱いでいるのに過ぎません。

 でも、インターネット上に公開し、それでも誰にも読まれないのは全然違います。誰もいない裏路地で、着ている物を全て脱ぎ去って平然と歩いているようなもの。いつ、そこの曲がり角から知らない人が飛び出してくるかわかりません。とても緊張し、心臓はドキドキと激しく高鳴り、ストレスはマックスまで高まり、全身から冷や汗が流れ落ちていくようです。それでいて、その行為を最高に楽しんでいる私がいる。そんな感覚なのです。


 矛盾していると思いますか?恥ずかしいのに快感を感じているこの感覚を?

 でも、一度でもこの快感を味わったことのある人ならばわかるはず。最高に気持ちよくなりながら小説を書いているこの感じを一度でも味わったことのある人ならば。

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