第20話・女神の国

 薄暗い灰色の世界で私は目覚めた。自分の身体がなく、夢をみているみたい。私は死んだのだ……。だけど最期の瞬間に、魔力の刃が私の胸を貫いた凄まじい痛みは残像のような感覚として残っている。

 ここは女神の国なのだろうか? 教えでは、女神の国は、聖なる花ラムリアが咲き誇る、地上のどこよりも美しい場所の筈。そして死者の魂はそこで生前の罪を浄化され、女神の国に溢れる光に融けて永遠に光となるか、新たな生を得るか選ぶ事が出来るのだ。

 けれどここは、美しさや聖性とはかけ離れて見える。光はなく、花は枯れ、捻じくれた灰色の木々が立ち並ぶ、どんよりと濁った世界。あちこちで、啜り泣きや呻き声が聞こえる。


(もしかして……私は、邪神の国に来てしまったの? 魔女に殺されたから?)


 とてもここが女神の国とは思えない。ぞっとして私は、


『エーディ! どこにいるの?!』


 と呼んだ。魔女に殺された者の行き着く先がここならば、エーディもここにいる筈……。


『マーリア……やはり貴女も殺されてしまったのか』

『エーディ!』


 私のすぐ後ろに、エーディの気配が現れた。私は安堵に包まれたけれど、かれの声は沈痛な様子だった。


『可哀相に……貴女は生きるべきだった。護りきれずに済まない』

『いいえ、ずっとわたくしを庇ってくれて……辛かったでしょう?』

『……貴女こそ。酷い目に遭わされたのではないか』

『わたくしは、またあなたに逢えたからもういいの……でも、ここは何処なの? ここは……邪神の国?』

『いいや、ここは、女神の国。魔女が女神を封印した為、今や女神の国にも嘆きと苦しみが溢れているのだよ』

『…………!! そんな。では、死者の魂はどうなるの。わたくしは、あなたと共に光となって安らげると……』


 でも、確かに光などどこにもありはしない。ひとのかたちすら成していない黒い影がそこかしこにあり、苦しみもがいたり、倒れ伏して動かないものもあったり。輝かしい女神の国は、いったいどうなってしまったの?


『ここでは時間の流れも不安定だ。貴女が来るまでにわたしは何人もに話を聞き、調べてみた。ごらん、あそこにいるのがグレンだよ』


 少し離れたところに黒い影が倒れている。


『グレン! ごめんなさい、わたくしたちの為に……』


 私は影に近づいて呼びかけたけれど、何故か影はぴくりとも動かない。


『先ほどまではわたしと話が出来たのだが……死の苦しみに耐えかねて、己を手放してしまったのだ』

『どういうこと……女神の国に来れば、全ての苦しみは癒されると』

『女神が不在なのだから、癒しもない。死んだ瞬間の苦しみに支配され続け……やがては辛さに負けて意識を封じてしまう……そうなれば、永遠に光にもなれず、次の生も得られずに、苦しみながらそこに在り続けるだけなのだ』

『そんな。魔女の力は死後の世界まで変えてしまうなんて……』

『マーリア……わたしは女神の国で永遠に貴女と共にあろうと思っていたが……わたしもそう長くは保ちそうにない……貴女が来るのをただ待っていた……』

『どういうこと? どこか苦しいの、エーディ?』


 エーディの影は微かに揺らいだように見えた。


『貴女は苦しくないのか?』

『わたくしは平気よ。殺された時の感覚は思い出せるけれど……違うの、エーディ? まさか……あなたや皆は……』

『死ぬ前の傷の痛み……死んだ瞬間の苦しみが、常に付き纏う。だが、貴女がそうでないのならば良かった』


 私は息を呑む。かれは、全身を切り裂かれて、大剣に胸を貫かれて息絶えた……あの苦しみがずっと続いて……?


『そんな! 気が狂ってしまうわ!』

『だから皆、そうなる前に意識を閉ざしてしまうのだ。ああ、だが、わたしがそうなれば、このおぞましい場所に、正気の貴女をひとり残す事になってしまう……』

『エーディ! 諦めてはいけないわ。幸い、ここには魔女はいない。だから、女神を探して封印を解くのよ。そうすれば皆救われる。魔女の事はそれから考えましょう!』


 揺らめくようにエーディの微笑が見えた気がした。


『死してもなお、貴女は強いのだな』

『もう死んでしまったのですもの。怖いものなんかないわ』


 私は虚勢を張った。本当は、すごく怖い。エーディが、グレンのように動かなくなってしまったら……永遠の苦しみに囚われたもの言わぬ愛しい人の影の傍に蹲り、私も永遠に嘆き悲しみ続ける事になる……。それに、絶対にエーディをそんな風にしたくない。早く苦しみから解放してあげたい!


『女神よ……どこにいらっしゃるのですか? わたくしの祈りは……届きませんか?』


 痛みに苦しめられ、死の尊厳さえも奪われたエーディや他の人々を思い、私は祈る。死の苦しみは、私も味わった。あれがずっと続いているだなんて。……もう身体はないのに、涙がつたう感触がした。

 ぽたり、とひとしずく、落ちて弾けたのは、私の涙、だったろうか……?


『マーリア……!!』


 エーディが驚きの声を上げる。涙の粒は光り輝いて膨らみ……美しい珠となる!


『貴女を待っていました、マーリア・レアクロス……』


 か細いのに凛とした声が伝わる。珠は、私の目の前に浮かんでいる。


『まさか……女神ラムゼラ? この中に?』

『そうです、創世主よ。闇の中からわたくしを拾い上げてくれてありがとう。魔女の封印を解けるのは貴女だけ。人々の為に、わたくしを封印から解き放ってください』

『ど、どうやって?』

『もっと、祈りの力を……エールディヒ王子、あなたも彼女に力を貸してください』

『はい、女神よ……』


 エーディの命の温かさが寄り添うのが解る。そうだ、まだ終わりじゃない。愛し、祈る思いさえあれば、私たちにはまだ出来る事がある!

 私たちは世界を、命を愛している。ユーリッカの言うような、自分だけの幸せは、本当の幸せじゃない。みんなと笑いあえる世界を紡ぐ事こそが、不幸な運命に打ち勝つこと……そんな当たり前のことを、ユーリッカはどうして忘れてしまったの……!!


 次の瞬間。ぱぁんという音が響くと共に、光が爆発した。熱くも痛くもなく、ただ優しく温かい光。それがぐんぐん膨らんで、弾けた!

 昏い澱みは払われて、周囲は一変してゆく。白いラムリアが咲き誇り、愛らしい小鳥の囀りがそこここに聞こえ、聖水に満ちた泉がそこにある、美しい光に満ち溢れた、天上の楽園……!


『ああ……なんて美しいの』

『これこそが……あるべき女神の国の姿か』


 私とエーディはその美しい国を見、感動にうち震える。

 だけど。


『マーリア、エールディヒ……あなたがたは、まだここに来てはいけません。魔女に殺された者たちは皆、まだ死す運命ではなかった。ユーリッカの変化を見逃してしまったのは、全てわたくしの責任。でも、わたくしは直接人の世に関われない……だから、あなたがたがもう一度やり直すのです。そして魔女の悪しきこころを打ち砕いて下さい』


 女神の声が響く。光に包まれた美しい女性の姿が見える。


『ありがとう、マーリア、そしてエールディヒ。おかげで封印は解けました』

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