第17話・絆

 騎士たちに守られ、私をしっかりと腕に抱き、エーディは馬を走らせた。

 背後からは追手がかかってはいたけれど、彼らにとっては全く想定外の出来事だったし、大人数である事が群衆をどかすのに却って邪魔になったようで、彼らが広場を出た時には、私たちはもうかなり引き離していた。街の人々はほぼ皆が広場に集まっていたので、私たちを遮る者もいない。

 駆けに駆けて、街道へ出た頃には、もう追手の姿は全く見えなくなっていた。

 グレンは抜かりなく、暫く行き来して蹄の跡を判りにくくした後、一旦二手に分かれ合流場所を指示すると、私たちと数人の騎士と共に、街道を外れ、茂みを抜けて森へ入る。広場のあれはなんだったのかと思うくらいに天気は回復していた。


(広場……)


 私は自分がいま、無事にエーディと共にいる事が信じられない思いだった。王太子の剣か、或いは怒れる群衆にふたり成す術もなく斬り刻まれる以外にないと、一時は覚悟をせざるを得なかったのに。

 死罪を言い渡されたのは、ちょうど昨日の今頃だったろうか。宮廷の可憐な華と呼ばれた未来の王妃から、穢れた魔女へ。信じ難い運命の流転。あれから一瞬も心休まるときはなかった。そしていま、また私の運命は変わろうとしている……。


 グレンは用意周到に、隠れ家の手配までしていた。


「粗末な山小屋ですみませんが、まあ、一時の休み場と思って我慢して下さい」


 森の奥の古びた木こり小屋の前で、一行は止まった。


「ありがとう、グレン……ほんとうに、なんとお礼を言ったらいいのか……あなたがたもみんな……わたくし……一生かかってもお礼を言い終えないくらい……」


 涙がぽろぽろ零れる。彼らが来てくれなかったら、と思うと背筋が凍る。


「礼なんて要りませんよ。我々は皆、エールディヒ殿下への恩義があってここにいるんですから。歴代の王族出身の騎士団長は皆、名ばかりの方だったのに、殿下はいつも我々一人一人を見て、困難な時も共に過ごして助けて下さった。だから、殿下が正しいと判断される事に我々は従うんです。ねえ殿下……殿下?」


 ふと。私は背後を包むエーディのからだが急に重くなった事に気づく。


「殿下!!」

「エーディ!!」


 エーディは右手で手綱を握り締め、左手に私をしっかりと抱いたまま気を失っていた。ぐらりと傾いた身体をグレンが受け止める。


「ああ、ひどい熱だ。おい、早くお運びするんだ」


 騎士たちに抱えられ、小屋に運び込まれて簡素な寝台に横たえられたエーディの、びしょ濡れの衣服が脱がされると、私は小さく悲鳴をあげた。


 セシリアさまのところから戻って来た時、服に血が滲んでいるのに気づいてはいたけれど、かれが大したことはないと言うので私はそう思い込んでいた。だけど実際は、体中にひどい傷を負っていた。


「酷いな……しかしこれは何の傷なんだ? 剣でもなく……」

「魔女よ。魔女にやられたんだわ。セシリアさまと一緒に」


 私は言う。裂けた傷にどす黒い痣。雨のせいで、乾いていた傷口が開き、じわじわと血が滲み出している。こんな身体で、私の為に、凛として闘ってくれていたのだ……皆に訴えかけようと、必死で……。


「弱ったな。薬の用意はないぞ」


 とグレンが、己の手落ちと言いたげに自分の髪を搔き回したけれど、幸い騎士の一人が、


「私は薬草に詳しいです。何かないか辺りを探してきます」


 と言って出て行った。


 ふっとエーディは目を開ける。


「……マーリア?」

「ああ、エーディ。もう無茶はしないで」

「無事で……」

「そうよ、グレンや皆さまのおかげで、わたくしたち、生き延びたのよ!」

「……そうか」


 瞬きをすると、エーディは起き上がろうとする。


「じっとしていて下さいよ、殿下!」


 慌ててグレンが止めようとしたけれど、エーディは何とか自力で起き上がり、皆に向かって頭を下げた。


「……済まない。皆……わたしのせいで反逆者となって……」

「謝らないで下さい。我ら、副団長に話を聞き、腹を決めたのです。我ら騎士は正義を貫く者。そして、女神の正義は巫女姫ではなく閣下にあると自身で判断したのです」

「……リオンクールの民は巫女姫を無条件に信じると……そなたたちはわたしを信じてくれたのに、わたしの方は……」

「閣下は無意識に我々を巻き込むまいというお気持ちを持っておられたのだと思います。副団長がそう仰っています。時々、副団長は閣下ご自身より閣下のお気持ちを解っておられるようですから。閣下はいつもご自身を抑えておいでですし」

「……かたなしだな」


 そう言ってエーディはふっと笑い、グレンに、


「本当に感謝する。皆も……決してこの恩は忘れぬ」


 そう言って、もう一度深く頭を下げた。ほっと空気が緩み、束の間かも知れないけれど、温かな時間。だけど……その光景に私はふと、小さな違和感を持つ。救った者、救われた者……ごく当たり前のやりとりなのに……。


「じゃあ、いつか返してくださいねっ」


 生来の明るさでグレンは冗談めかしながらも、手を貸して主を寝台にもう一度寝かせようとする。


「返そうにも返しきれぬほどだ」


 そう言ってエーディも微笑した。


 だけど、その時。起こったことで、私はもう先ほどの違和感の正体を突き止める事など、頭から吹き飛んでしまう。


「…………?」


 ぽたり、と何かの塊が寝台の上に落ちる。赤黒い……。


「グレン!!」


 エーディはかすれ声で呼びかけ、倒れ込む腹心の部下の身体を抱え込む。


「しっかりしろっ!」


 けれど、魔女の刃は正確にグレンの心臓を貫き……彼は既にこときれていた。


「貴様……っ!!」

「お馬鹿さんねぇ……わたくしから、逃げられると思って?」


 緑の髪の魔女は、妖艶に笑み、誰にも気づく間も与えず、いつの間にか室の中央に立っていたのだ。

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