Ⅰ 始まりの物語/静謐の少女と破壊神

キミを救うために来たんだよ ①

――重要なのは、その瞬間お前が手を伸ばせるかどうかなんだよ。


 高架を疾走する8輌編成の列車の屋根の上で、俺はワタリガラスの言葉を反芻はんすうしていた。


――お前が為すべきことから目をらさせる、この世のあらゆる欺瞞ぎまんは破壊しろ。


 早朝の冷気がうずくまる俺の身体を叩く。これが……俺がいま為すべきことなんだろうか。


「……キミはやっぱり来たね」


 列車のたてる轟音の中でも、彼女の透き通った声は聞こえる。

 見上げればそこに、夜明け前の蒼い空を背景に彼女が立っていた。列車の先頭に背を向け、揺れも意に介さず俺を見下ろしている。

 風がその白い制服を乱暴にはためかせるのに、彼女のか細い身体は揺らぎもしない。


「キミがあの人たちに話しても、誰にも理解できないよ」


 列車の先、遥か遠くから密集する高層ビル群が近付いてくる。

 ビルの上空には、天地創造以前の混沌もかくやと思える暴力的な力が巨大な渦をなし、ダークブルーの雲を引き千切っては呑み込んでいる。もう始まっているんだ。

 

「でも、ボクには分かる」


 やや吊り上がった大きな瞳が真っ直ぐ俺を見つめる。

 震えるほどの生命力に満ちたその瞳を、何度見つめただろう。俺を冒険へといざなう別世界からの扉。

 薄闇の中で、瞳は金色に光る。あの光が象徴する恐ろしい戦いの記憶が、昨夜の夢の欠片のようによみがえる。それは、お前のいるべき場所はここなんだと宣告していた。

 そのとき真横から日の光が射し、風圧にはためく彼女の赤いリボンがきらめいた。


「……だから、ボクはここへ来たんだよ」


 彼女が微笑んでいる。その虚無の優しさをたたえる微笑を前に、ようやく俺は理解した。また会えるよ――あのときの彼女の言葉がいま現実になったことを。


「さあ行こう、ボク達ふたりで」


 彼女が右手を差し伸べる。その誘いの意味することを、俺はもう知っている。

 少しの躊躇ためらいの後、しかし決意を込めて俺は彼女の手をつかむ。

 走り続ける列車の上で、足元の感覚がふわりと軽くなる。

 そして俺は、俺の物語と再会する――。






 ◆ ◆ ◆






 ありとあらゆる物語は、この世界に突き立てる刃だ。


 世界の命運を担う少年少女。

 授けられた能力と、襲来する敵。

 そして出会い。

 それら物語の刃で、俺は何と戦ってきたんだろう。


 永劫と見紛みまごう時空、世界山メールの頂上に俺は立った。

 4000万年に渡り人類史を塗り潰した暗霊斎団あんりょうさいだんの先触れと、俺は対峙した。

 そのすべても、50億年をけみする彼女にとっては一瞬頭をよぎる淡いイメージに過ぎない。

 思春期の妄想のように。


 時間は幻だ。

 だからこれは、遥かな過去の記憶だが、これから始まる物語でもある。

 その瞬間が来たとき、躊躇ためらわず手を伸ばせることを、俺は祈る。


 いまはあの邂逅かいこうから語られる物語に身を投じよう。

 そのとき俺は14歳だった。











【Ⅰ章】   始まりの物語/静謐の少女と破壊神











 90年代と呼ばれる十年紀が始まった頃――。

 深夜の気配が部屋を満たすまで、俺は地下迷宮を探索していた。美しく無慈悲な吸血鬼に、奇怪な道化師の妖魔に遭遇した。熟練の剣技を振るう侍も、業火を操る魔法使いも、みな等しく灰となった。


 カーテン越しに夜が力を失う気配が伝わると、俺は冒険をセーブして部屋の灯りを消す。

 世界は静かだ。

 大通りを車が走る音がすると、俺はマンションに住まう人々の眠りを意識する。隣の寝室にいる父親の気配を感じる。微睡まどろむ世界から、俺だけが遊離する。


「スペースシャトルから漂流する宇宙飛行士みたいやな?」


 彼方かなたとの会話を思い出す。

 俺達は想像した。切れた命綱と遠ざかる母船を眺めるとき、宇宙飛行士は何を感じるだろう? 寄る辺ない不安、ゆっくりと息絶える恐怖、そして甘い解放感。


 ガ……チャリ。


 重く冷たい玄関ドアを閉めた瞬間、その声が聞こえる。


――あなたを迎えに来たんです。


 いつもと変わらぬ、冒険への誘いだ。

 俺はかつて、暗黒卿に追われるお姫様に助けを求められた。地球侵略のためにやって来た美少女ロボットからも。

 透き通った夜の外気に命を吹き込まれて、俺は走り出す。

 そこは静かで、冷たく、暗い――1日で最も優しい街だ。何だって起こり得る。ざまあみろ、お前らが眠っている間に冒険は始まり、終わるんだ。


――その秘められた力を貸してください。


 夏休みはとっくに明けていたが、この時間でもまだ微かな熱気を感じる。

 歩道橋を駆け上ると白みつつある空が広がり、いよいよ異世界からの来訪者が現れる場面シーンが始まるところだ。


――世界を救うために……!


 神社の森が見える。

 その鳥居まで来ても世界が変わらずにいると、そこで俺は向き合わなければならない。また1日この世界で生き延びなければいけないことに。

 

「……なかなか来てくれへんなあ」

 

 鳥居に手を突き、荒い呼吸を整えながら俺はつぶやいた。






勒郎ろくろう……? あんた何してるん?」


 唐突に呼び掛けられて俺は飛び上がった。

 神社の薄暗がりの中、社の小さな灯りが少女のすらりとした輪郭を照らしている。同じ中学の制服だ。


「……あやっ……あやの?」


 俺は声を絞り出した。

 少女は両手を組んで、詰問するように首を傾ける。切れ長の冷たい目が突き刺さる。

 5歳に学童保育で知り合ったときから、こいつのプライドが高く不機嫌そうな態度は変わらない。おかっぱにした髪がクセっ毛のせいで跳ねているのも。


「……あんたよく居場所がないとか言っとったけど、あたしも同じようなもんやな」


 ひとり自嘲気味に笑う。

 真野あやの。幼馴染み……だが最近は疎遠で、話すのは数ヶ月ぶりくらいか。なぜかいつものメガネをかけてなくて、俺は少し目のやり場に困った。こいつ、こんなに睫毛が長かったか? それに何かしおらしい雰囲気だ。


「でもお前……お前はちゃんとやってるやん……」

「そやな、そこは一緒にしたらあかんな」

「えぇ……」

「あんたとちごて、あたしは学校くらい行ってるし」


 憐れむような笑み。

 くそっ、一瞬でも気を許したのは間違いだった。メガネをかけてないせいで昔を思い出し、つい下の名前で呼んでしまったのが運のツキだ。話題を変えよう。


「あそういやお前……まだ憶えとる? 昔この神社で……」

「ん……」






 6年前、俺達はここで異世界への扉を開こうとした。

 あやのと、俺、そして彼方がいた。

 コックリさん……俺達の間ではなぜか、それはこの稲荷神社の鳥居をゲートとして“向こう側”へ行く儀式だった。


――本気で思てたら行けるやろ?


 彼方の声を思い出す。

 じゃあ俺は――俺達は本気じゃなかったんだろうか?

 記憶には救急車のサイレンが刻まれている。あの夜、小学2年生はとっくに帰宅する時間だったはずだ。

 3人だけの儀式。

 後は鳥居へ踏み出せばよかった。だけど俺は行かなかったんだ。






「……あやの……お前、家で何かあったんか?」


 あのときのことを思い出しながら、俺は言葉を探した。


「え……何よそれ」


 あやのの声色が急に暗くなる。ぎこちない会話を無理に続けようとして、俺はしくじったのかも知れない。


「……あたしもう帰るわ」


 あやのは神社から出て、早足に俺の前を横切っていく。


「おい……」

「学校行けよアホ」


 思わず伸ばした手があやのの肩にあたり、制服越しに華奢な身体つきが伝わる。ひどく悪いことをした気がして俺は狼狽うろたえた。

 あやのは振り向きもせず、そのまま歩き去る。あいつの頑なさが、手の感触としてしばらく残った。






 あやのとの出会いが何を意味したのか、いまなら分かる。それはこの日のもうひとつの邂逅かいこうの予兆で……物語の幕明けだったんだ。






 神社で世界が変わらないなら、俺が向かうのはいつもの廃ビルだ。解体を待つ雑居ビル。俺がこの世界に立ち向かうための場所。

 屋上に出ると、白い陽光が街を照らしていた。俺の1日はまだ終わらないのに、世界はさっさと新しい日を始めてしまう。


――都会やと、日の出って不健康な生活の象徴やねぇ……。


 縁の赤いメガネの奥で笑う平沢先生の、気だるげな声が浮かんだ。あのひとがいるなら、もう少しこの世界にいても耐えられると俺は思う。

 白々と陽を浴びて向かいの新しいマンションが輝く。

 ここからあの屋上へ飛ぼうと必死に念じていたものだ。小学生の俺は「幻魔大戦」の超能力戦士になりたかったんだ。


「……まあ飛べへんよな」


 昔の自分に思わず突っ込みを入れたとき、罪悪感を覚えて俺は戸惑った。あのときの自分を裏切ってしまったような。俺にはもう奇跡は起きない、そのことを認めてしまった気がした。


「ううん、飛べるよ?」


 すぐ後ろから女の子の声がして、俺は悲鳴を上げかけた。

 とっさに振り向きながら不恰好に体制を崩し、膝を突いてしまう。何なんだ今日は。俺が独り言を言うと女子に突っ込みを入れられる決まりにでもなったのか。

 慌てて見上げた先に、ひとりの見知らぬ少女が立っていた。


「ふぇ……?」


 冗談のように間の抜けた声を出した自分に愕然とする。……が、それもやむなしと慰めよう。

 美少女……と言うべきだろう。誰もいるはずのない早朝の廃ビルの屋上で、制服姿の彼女は少し眩しそうに俺の目をじっと見つめていた。

 あり得ない光景だ。ついに現実がバグったか。






 それがこの日の、もうひとつの邂逅かいこう

 そのとき物語が始まったんだと、俺にははっきり分かった。



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