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 そういえば遥は引きこもり生活をしている割にはスタイルがまったく崩れていなかった。それは水泳のおかげだけではなくて、もしかしたらこの研究所のどこかにはトレーニングルームのような施設があって、そこで運動なども定期的に行っているのかもしれない。

 そんなことを一人で黙々としている遥の姿を想像して夏は少しだけにやっとする。

 なるほどね。天才は研究ばかりに夢中になって私生活のことなんてあまり興味がないと思っていたけど、案外そうでもないらしい。

 それに遥は服装などにもかなりのお金をかけていたし、メイクなども含めて、自分の外見の気配りなどをそれなりに頑張っていた。学園のご友人たちにも愛想笑いを振りまいていたし、夏の大っ嫌いな社交界にも、遥は自分から興味を持ってよく出席していた。それはもちろん、資金集めの手段の一つという理由ではあるのだろうけど、たとえそうだとしても、昔の遥には確かに社交性という概念がきちんとその内側に存在していた。まったく今とは本当に大違いた。

 でも、それでいいんだ。本当は。天才といえど人間。一人では、人はやっぱり生きてはいけないのだ。

 夏はもぐもぐとサンドイッチを食べながら、あれこれと思考をして、ぐるっと部屋の中を一周歩いてから、最終的に遥のベットの上に腰を下ろした。

 うん。やっぱりこれ美味しい。夏はお嬢様なので自分の舌には結構自信がある。私の舌を満足させるとはなかなかやるな。

 暇を持て余した夏が一人で料理評論をしていると、不意にドアが開いて遥が部屋の中に戻ってきた。

「おかえりー」夏が言う。

「ただいま」

 遥はそう言って、そのまま一直線にキッチンに続くドアの前まで移動する。きっとサンドイッチを取りに行くつもりなのだろう。サンドイッチを食べきった夏は自分の指を舐めてから、遥の後ろについていく。二人はキッチンに移動する。遥はサンドイッチを部屋の中に運ぶ前に、キッチンでコーヒーを淹れる準備をした。夏はその斜め後ろまで移動して、そこから遥の様子を伺う。

 それから二人はしばらくの間、沈黙した。夏は遥の次の言葉を待っていたが、いつまでたっても遥はなにも言ってはくれなかった。遥の長い黒髪は、まだ少しだけ濡れていた。それは夏も同じだった。

 夏は気持ちを切り替える。するといつも自分にちゃんと戻った。


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