7-2
道は二手に分かれていた。
「何が一本道だ、クソ馬鹿」
アンナに頭を叩かれる。
半円状のアーチが二つ並んでいた。どちらも先が見えないほど長い通路だった。風は通っていない。まだ出口のは先のようだ。
アーチには蔦が茂って、白い花も咲いている。
「またデイジーを投げるか?」とエリオット。
「ふざけんじゃないよ」
デイジーが言った。
「ごめん、ふざけた」
「どうするの? アントーニオがどっちに行ったかわかる?」とニーナ。
「俺の予想は右」
「理由は?」
「鍛え抜かれた直感と俺が右利きだという事実から全ての事象は右に集約されるという真実に行き着いた」
「意味不明。却下」
「二手に分かれるぞ」
アンナが言った。「お前と釜女は右。聖なる私とニーナは左だ」
「異論なしだ」
自分より強いアンナとニーナが一緒にいるのはエリオットとしても心強い。「ニーナ、アンナと行け」
「わかった」
ニーナが言った。
「すんなりか」とエリオット。
「エリオットと一緒がよかった~、とか言って欲しいわけ?」
「気持ちわりぃんだよ、エリオット」
デイジーが言った。「今どきの女はそんなこと言わないよ」
「なんか恥ずかしいな、俺」
「やっと気づいたか」とアンナ。「ほら、右へ行け」
「さっさと行くんだよ」
デイジーが急かす。
「なんか、俺、召使いみたいだ」
エリオットとデイジーは右へ。
アンナとニーナは左へと進む。
■
「デイジー、見ろ。虫がいる」とエリオット。
黒い虫が壁を張っていた。長い触角を揺らしながら、斜め上へ向かって進んでいる。
「釜の中じゃ見えないよ」
「顔出せ」
「そもそも虫を見たかないんだよ」
「あ、そう」
「お前、虫とか好きなのか? そういうの集めてたりしてるのかい?」
「いや、けど、こういうところじゃ珍しいだろ」
「アントーニオは小さい頃、よく虫を探してたよ」
「どんなとこで育ったんだ?」
「北にある村だよ。寒いとこで、何もない」
「あまり話したくなさそうだな?」
「八歳で村を出たんだ。盗賊団になるために」
「どうして弟を連れていかなかった。一緒に連れていってやればよかったのに」
言ってからエリオットは後悔した。気軽に聞いていいような質問とは思えない。
「前も言ったろ。あの子は盗賊には向かないと思ったんだよ。村にいたほうが幸せだろうとね。それに実を言うと、あの日のことはよく覚えてないんだよ。夕方になって盗賊団を追って村を出ようと決心して、それで気づいたら先代のモロウ・リーんとこにいたのさ。途中で熱を出して倒れたところを介抱してくれたとかなんとか。けどまぁ、あたしはちゃんと盗賊団のとこまで着いて、入団をしたわけさ。そういうわけだから弟を連れに戻ることもしなかった。そのまま私は盗賊稼業さ」
「色々、きついこともあったろ。盗賊は男の仕事だ」
「最初は料理番だよ。ラグナルって奴がいたろ?」
「あぁ。あの髭男か」
「あいつの下でずっと芋を剥いてたよ。だからね、私は料理が上手いんだよ。こんな首だけになる前だって、よく小僧たちに自慢の腕を振舞ってたもんだよ」
「ラグナルには悪いことをしたよ。約束を破って、あんたをこんなとこに連れて来た」
「アントーニオのためさ」
「弟さんを見つけたらどうする?」
壁を伝いながら先へ進む。
「それはこっちの台詞だよ。あんたらはどうするつもりだい?」
「酷なことを聞くな」
「殺すのかい?」
「状況によるよ。素直に俺たちから盗んだもんを返してくれりゃ、俺としては問題ない。けどそうなると思うか? あいつは必要だから盗んだ。俺たちに返してくれるために盗んだわけじゃない。あんたはどう思う? なんであいつは惑星の書を盗んだと思う」
「さぁね。長いこと一緒にいなかったからねぇ。けどお金目的じゃないと思うよ」
「隠し事、あるだろ?」とエリオット。
「ないよ」
「あとで聞くからな」
「好きにしな」
通路の先に扉が見えた。
僅かに角度がついて開いている。
「当たりだ」
小さな声でエリオットは言った。
「アントーニオかい?」
デイジーも声量を絞る。
「いや、扉だ。少しだけ開いてる。行くぞ」
右手に剣、左手に釜という状態になった。足で扉をゆっくり開いて、中を覗いた。
中央に通路、その左右には石柱が並ぶ。天井には複雑怪奇な幾何学模様が描かれている。奥には青い葉が茂る祭壇が見えた。その前には見覚えのある背格好の男がいた。
「アントーニオ、お前に会いたかったよ」
エリオットが言った。「俺はお前が大好きだ」
振り向くアントーニオ。つま先の開いた変な靴を履いていた。
「動くなよ」とエリオット。「ずっと背中向けてろ。好き過ぎて顔を見たくない」
「すまんね」
アントーニオは余裕だ。
祭壇の向こうには、羽が生え角が三本ある男の石像があった。装飾がほとんどない原始的な造りだが、三本の角は冥府の神ハデスのものだ。
「アントーニオなのかい?」
釜の中から顔を出してデイジーが言った。
「そうだよ」と答えたのはエリオットだった。
アントーニオは返事をしない。
「なんか言え。あんたの姉だろ」
「そうだな。じゃあ言うよ」とアントーニオ。「姉さんなんて大嫌いだ」
「あんたら仲悪いんだな」
「あぁ――。すまない、アントーニオ」
デイジーが言った。
「今更謝っても遅いぞ、デイジー。父さんも母さんも殺されたんだ」
「あいつ、相当こじらせてるぞ」とエリオット。
「あいつらはね、アントーニオ――」
デイジーが言ったところで、「父さんと母さんをあいつら呼ばわりするな」とアントーニオが叫んだ。
「兄弟喧嘩はいい。お前らの両親なんて知らない。とにかく俺の目的は惑星の書だ。とっと返せ、クソ野郎」
エリオットがアントーニオに近づく。「お前が手に持ってるもんだろ?」
「詳しいんだな」
アントーニオが右手に持っている赤茶の表紙をした古い本を掲げた。「下巻だ」
「返せ」
「無理だ」
「なぜだ。人から物は盗んじゃいけないって教わらなかったのか?」
「小さい頃に両親をモロウ・リー盗賊団に殺されたんでね。それにやっと上巻も手には言った」
アントーニオが身体をどけると祭壇にある一冊の本が見えた。
「ここに来た目的は上巻だったのかよ」
青い表紙だった。
「動くなよ、それ以上、こっちに来るな」
アントーニオが言った。エリオットを制止する。
「上下巻手に入れて何をするつもりだ。読書じゃないよな?」
「上巻に過去に行き、父さんと母さんを殺した盗賊団員をこの手で殺す。そして下巻でここに戻ってくる」
「正しい使い方だな。俺と関係ないなら、そのまま続けさせるよ。表彰もんの使い方だ」
「アントーニオ、それはダメだ。よしな。そんなことしちゃいけない」
デイジーが叫んだ。「絶対にそれはいけないよ」
「父さんと母さんを殺した盗賊団に寝返ったくせによく言う」
「お前、一応姉さんなんだから、そういう口の利き方ないだろ」
「部外者は黙ってろ」
「関係者だ」
エリオットはさらに進む。
「これ以上来るな。言ったろ?」
「なんのハッタリだよ。お前が持ってるのは腰に差した大嫌いな盗賊団のナイフだけじゃないか」
「俺はこの神殿に精通している。両親の蘇生に失敗してから、ずっとここに来ることを考えてた。いいか? この上巻を祭壇から取れば罠が発動する。俺はどうなるか知ってる。つまりこれ以上、来るとお前は死ぬ」
「両親の蘇生に失敗? なんだよ、生首家族か?」
「父さんと母さんは死んでから随分年月が経てた。だから生き返らせても蠢く肉塊にしかならなかった」
「あんた、そんな酷いことを」とデイジーが呟いた。
「デイジー、全部あんたのせいだろ」
「あんたが父さん母さんと呼んでる奴らは――」
ここでデイジーが言葉をとめた。
沈黙。
「なんなんだよ」
アントーニオが言う。
「もう、あたしには何があんたの為なのかわからないよ」
デイジーが弱音を吐く。
「もうこれ以上、お姉さまを苦しめるな」
エリオットが言った。「家庭のごたごたはこりごりなんだよ」
「進むな、と言ったろ」
「お前のハッタリなんざ怖くないね」
エリオットが前へ進んだ。
アントーニオが祭壇の上にある惑星の書上巻を引っ手繰る。
「じゃあな」とアントーニオ。
祭壇の向こうへ飛び移った。
神殿が揺れ轟音を響かせると、床が砕ける。穴が開いた。
「マジだったのかよ」
エリオットとデイジーは宙に放り出されて、落下する。
「これは偽物の惑星の書だ。罠なんだよ。本物はこの先になる」
アントーニオの声だけが聞こえた。「お前らを遊んでやったのさ」
それから足音が小さくなっていった。奥へ進んだらしい。
「クソったれ。また落とされた。ずっと落ちてる」
エリオットは体を起こした。「腰が痛い。頭も痛い。ふざけるなよ」
釜の取っ手を持った。
「エリオット、あんた見なかったのかい?」とデイジー。
「何を?」
「それを」
「ん?」
驚いて腰を抜かしそうになった。
部屋の隅で蠢く物体。
波打つように長い身体をくねらせて、どこへ向かうのかもわかならないように、必死に何かを探し求めている。
「マジか」
大蛇った。とぐろを巻いている。体長を測ることは難しい。だが頭はエリオットの顔くらいの大きさがあった。胴体も樹木のような太さだ。
身体には目のような模様がある。
「エリオット、毒への耐性はあるのかい?」
デイジーが聞いた。
「これもしかして毒蛇なの?」
「そうだね」
「身体が大きい優しい蛇じゃないの?」
「そんなんじゃないよ、あいつは。あの模様は猛毒を持つ証拠さ。しかもよく育ってる」
「ちなみにさっきの質問に答えると耐性なんてない」
「あたしはあるよ」
「報告どうも。生首だけになって毒の耐性もあるのかい」
「体質だからね。毒牙のデイジーだから」
「なるほど。毒牙のデイジーね」
大蛇は長い舌を震わせ、牙をむき出し威嚇を繰り返していた。牙からは液体が滴り落ちる。
「こっちにくるな」
剣を振り回して、蛇をどける。
だがエリオットは反対側の隅へと追い詰められていく。
「クソ、蛇に殺されるなんて絶対に嫌だ」
エリオットは釜を置いて、剣を握りなおす。「デイジー、悪い」
「大蛇を殺そうってのかい?」
「俺はそこそこ強い」
頭を伸ばして引っ込めてを繰り返し、距離を測る大蛇。
「死ね」
エリオットは伸ばしたときに、剣を振りかぶった。
大蛇の鼻の先に切り傷。
大蛇が怒りを覚えたのか、さらに喉の奥を震わして乾いた声を上げる。
「殺したのかい?」
「人間の尊厳を見せつけた」
「しっかりしておくれよ」
「デイジー、そんな声出すな」
「蛇に尊厳もクソもないんだよ」
大蛇が首を揺らしながら、近づいてくる。
頭を突っ込んできて、そして引っ込める。左右に揺らして、長い舌を振るわ焦る。
この繰り返しだ。
エリオットは剣先を揺らして、大蛇の頭を追う。
「大丈夫、俺なら出来る」
大蛇が突っ込んできた。
エリオットは身体を滑り込ませて、間合いを詰める。首の下へ入り込んだ。丁度、大蛇の顎が頭上にある。
大蛇は頭を上げて、下に入り込んだエリオットを捕らえる。口を大きく開き、そのまま挟むかのように迫る。
「がら空きだよ」
エリオットは剣を大蛇の開いた口に突き刺した。喉の奥を突き破り、首の後ろを突き破った剣先が飛び出た。
大蛇は痙攣した。頭、目、長い舌は動かないが、長い身体が振動している。
頭を引っ繰り返すようにして、床に落として、剣を抜く。
「見ろ、すごい気持ち悪い」
エリオットは釜の中からデイジーの顔を出した。
大蛇の身体が、移動する蛇のようなしなやかに波打つ動きでなく、無規則で小刻みな病的振動をし、最後のときを迎えようとしていた。
「蛇は頭を切っても動くからね」とデイジー。
「早く終わって欲しいな」
エリオットが言ったとき、左腕に痛みが走った。
「ふざけんなよ――」
小さな蛇がエリオットの左手首を噛んでいた。すぐに引き剥がし、頭を踏みつけ潰す。
「デイジー、これは何だ」
噛まれた患部を抑えるエリオット。
「毒蛇だよ。大きい奴と同じ模様だろ」
「クソったれ。この小さい蛇は兄弟かな? それとも親子?」
「そこまではわからんね。友達同士かもしれなかったし」
「毒って死ぬ毒か?」
「大抵、そういうもんだね」
噛まれた痕を見る。青く変色していた。出てきた血はどろどろの粘度のように膨れている。「油断したね、エリオット」
「助かる手立ては?」
「二つある」
「どっちも教えてくれ」
「一つは噛まれた腕を斬りおとすこと」
「痛いのは嫌だ。却下。次」
「もう一つは私の髪飾りに仕込んである解毒剤を使うこと」
「さすが毒牙のデイジー。持ってるなら早く言え」
エリオットがデイジーの髪飾りに手を伸ばしたときだった。
二人の落ちた空間の壁が崩れた。
砕かれた石の埃は立ち込める。
「今度は何だよ」
エリオットは叫んだ。途端に咳き込む。
身体が熱くなってきた。汗が吹き出る。意識が煮込まれたように混乱して、思考の整理が追いつかない。噛まれた左前腕が二倍に腫れてるように見える。痛みが鼓動に合わせて、左前腕から全身へと伝う。「何なんだよ」
「エリオットか」
アンナの声だ。
「どうしたんだい?」とデイジー。「随分、派手な登場じゃないか」
「向こうから壁を壊して進んできた。緊急事態だ」
アンナはニーナを抱えていた。「ニーナが毒蛇にやられた。最後の言葉をかけてやれ」
なんでこんなときに――。
「小娘、こっちも緊急事態なんだよ。エリオットも毒蛇にやられた」
デイジーが叫ぶ。
吐き気。痛み。朦朧としてきた。
アンナに抱えられているニーナを見る。目を瞑り、上を見たまま動かない。青白い顔と首筋に二つの牙の痕。腕はだらんと下を向き力がない。
「クソ。デイジー、解毒剤はいくつあるんだよ」
エリオットが聞いた。
「解毒剤?」とアンナ。
「一つだけだよ」
デイジーが言った。
「本当か? それ本当か? 五つくらいないのか?」とエリオット。
「一つは一つだ」
「解毒剤があるならいい。それならエリオットに使おう。こいつのほうが戦力だ」
アンナが言う。
「聞こえてるぞ、アンナ。俺はいいから。解毒剤はニーナに使え」
「何言ってるんだ、死ぬぞ、エリオット」とアンナ。
「ニーナが死ぬのはもっとやだ」
「本気か?」
「本気だよ。解毒剤はニーナだ」
「どこだ?」
「デイジーの髪飾りだ」
「これだよ。飾りの先を突き刺して、宝石を潰せば、身体に注入される」
デイジーが言った。
「よし、わかった」
アンナが動き出し、デイジーの髪飾りを取った。「刺せばいいんだな?」
「そうだよ。患部にぶっさしな。勢い良く行くんだよ」
「ニーナ、しっかりしろよ」とアンナ。
患部に髪飾りの先端を突き刺した。
「できたか?」
エリオットが言った。跪き、うな垂れていた。喋るのも辛い。
「あぁ、やった。それで、お前はどうする」
アンナが聞いた。「死ぬのか?」
「腕を切れ。頼む、あんたならうまくやってくれそうだ」
エリオットは剣をアンナに向けた。
「いいのか?」とアンナ。「本気か?」
剣を受け取った。
「優しくな」
「お菓子作りとは違うぞ」
「お菓子なんて作るのか? 嘘だろ? 早くしてくれ」
「首にしとくか? 楽になるぞ」
「生きていたい。それにまだ右腕があるさ」
「恨むなよ」
「あんたでよかった」
「嬉しいな。行くぞ。歯を食いしばれ」
「よろしく頼むよ」
腕が軽くなった。火傷のような熱さ。
痛み。消えた左前腕を見る。落ちていた。
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