第8話 大宰相(1)
教皇会議の会場である暁の館は古くはここロシェ王国の王宮であった建物だ。
それがこうして会議の場として提供されるようになったのは、現在のロシェ王ことマヌエル六世から数えて五代前、賢明王ナタナエル一世の治世の時代のことになる。
当時、隣国で発生した戦争が長期化したことにより、海路を喪失し一時的な収入源を失ったロシェ王国。これを受けて、王都内に住まう聖職者・貴族・市民の代表者からなる陳情の一団の来訪を受け、ナタナエルは一ヶ月に渡る会議を宮殿で行った。
賢明王と当時から呼ばれていてナタナエルであったが、一方的な主張を繰り返すだけの一団への応対にはほとほと苦慮したらしい。
また、王宮内でも休まれる場所もないことに限界を感じた彼は、会議を代表者らの要求を飲む形で無理矢理に終結させると、ここ『暁の館』を離れて当時別宮だった今の居城に移動した。
以降この元王宮は、王族から議論により権利を勝ち取った場として、ロシェ王国市民の議論の場として広く認知されるに至った。
名目上は現在も衣国王持ちの居城の一つとはなっている。
だが、専ら市民たちの議論の場として活用される施設へと変わってしまったのだ。
怪我の功名というか、流石に賢明と言われただけあってか。
市民たちのこのクーデターとも言える暴動後も、ロシェ王の威光は衰えることはなかった。どころか、実情はともあれ、市民たちに自らの王宮を議論の場として差し出したと国内外では認知され、むしろ、市民の意を聞き入れる耳を持った賢君としての名声をさらに固めるに至ったのだ。
その名声が高まる形で、ここロシェの『暁の館』は、国家間あるいは身分の異なる国民間での会議の場として活用されることになっていった。
古くより教化圏の国家間で持ち回りで行っていた教皇会議。
その場を、ここに定めたのも、そんな経緯があってのことである。
「流石に元王宮というだけあって立派な建物ですわね」
「だな。金持ってる国は違うな。王宮でもないのにこんな城を維持してるんだから」
「どの国と比べて物を言っていますの」
そりゃもちろん、我らがアイゼンランド公国を指してよ。
海があると言っても、多くを外国と陸続きで接している内陸国である。
陸上運輸しかできない国と、海上運輸により国土の大半の地域とやり取りできる国とでは、国土以上に経済力の差があるというもの。
そんな事情を知らないわけでもないだろう。
なのに、「まったく貴方には愛国心というものがありませんの」と、飽きれた調子でヒルデはのうのうと言ってみせた。
愛国心も何も、行きがかりにでこの国に厄介になっているだけだ。
出身は違うのだから、そんなものある方がどうだというものだろう。
暁の館の正面入口。
各国の要人たちも出入りしている石造りの門を潜れば、そこは青々とした芝生の敷き詰められた広い中庭となっている。
太陽光を浴びて空に向かって逆さに吹き出す噴水の向こう。
人一人の分の背丈ほどあるだろうか、石が積まれてかさ上げされたその土台の上、蒼天に白く映える宮殿――そしてかつての王の間へと続く赤塗の木製の扉が見えた。
その、噴水の前。
教会の使節と思わしき道服を着た男が立っていた。
各国の代表が集まっての会議だが基本的に参加は任意である。
参加の表明は開催日の前日までに、ここ、開催場である『暁の館』にて、教会側の使節に対して出席の表明をするだけだ。
後についてはどこで何をしようと協会側は感知しない。
つまり、何か大事のような感じでここまでやって来たが、今日の仕事というのは、あの使節に挨拶をすれば終わりということである。
一応、迎賓館を幾つか備えている暁の館だ。
大陸でも有名および有力な幾つかの王侯、ならびにその親類貴族、あるいはその要人についてはそこに宿泊するものも多い。
だが、あくまでそれは一部の選ばれた人間達のみ。
俺達のような一般の来場者と変わらない、しがない地方貴族風情は、せいぜい、近場に宿を取るなり、縁のある地方貴族の食客になってその日を待つことになる。
「それじゃ、俺は申請してくるから、お前はマヤの相手でもしていてくれ」
「なんでですの。ここまで同行したのですから、私もついて行きますわよ」
「行きますわよって、一応、お前は貴族の娘さんだろう。どこに知り合いが居るか分かったもんじゃねえ」
というか、それならそれでだ。
ここに来るまでに何度も言ったが、ヘルマと逆で、ちょっと垢抜けない感じの化粧でもしたらどうなのか。
これで結構ヒルデも諸外国の面々に顔を知られている。
傍流の傍流とはいえ公爵家に連なるお家のご令嬢のである。
当たり前の話なのだが、本来、この任務をするに当たって、この女ほど自分の出自をさとられぬよう、気をつけなければいけない奴はいないのだ。
だのに、俺の言葉を、当然のように拒否された。
そんな化粧をするのは屈辱なんだそうな。
まだ魔法部隊の制服を着ている方が、彼女と分からないんじゃないだろうか。
なんにせよ、のこのことこのままヒルデの奴を連れて行って、俺達の素性を怪しまれる方がまずい。
「良いから、お前はここで待ってろ」
「いやですわ」
「待てないってのなら、俺と夫婦のふりをしなくちゃならんのだぞ。お前にそんな器用なことができるのか?」
「まぁ失礼な。これでも私、淑女としての一通りの振る舞いは既に納めておりましてよ。ルドルフ、貴方こそ私に釣り合う旦那様を演じることができまして?」
いや、そこに食いついてくるのか。
俺がお前の旦那役になる辺りに、もうちょっと、嫌悪感を持つかと思ったんだが。
フフンと鼻高々に何故だか胸をはるヒルデ。
俺とマヤはそんな彼女を呆れた目で見返した。
これが淑女ってんなら、密林育ちのユッテの方がまだ奥ゆかしさがある。
まぁ、軍隊に所属している時点で、おしとやかさなんてのは、本来であれば期待しちゃならんのだろう。
「うーん。別に普段通りでいいんじゃないの」
「いつも通りじゃダメなんだよ。怪しまれないように、仲良い家族を演じなくちゃならんのだ」
「ルドもヒルでも仲良しさんでしょ?」
誰が。
お互いに眉間に皺を寄せて睨み合って、それで、やっと冷静になった。
やめよう、子供の前でみっともない。
「まったく、本当に心外ですわ。どうして私がこのようなこと。ふんっ」
と、そんな捨て台詞を吐いて、ヒルデはそっぽを向いた。
なんだいその態度。
俺だってお前みたいなのと、任務でもなきゃコンビ組もうとは思わないっての。
と、そんな、怒るヒルデに対して、その背後から近づいてくる者があった。
修道服を着た浅黒い肌をした女。
妖艶な顔立ちとヒルデとは対局にある肉感的な体つき。
修道女にしておくには勿体無い姿の彼女は、ヒルデをしげしげと見つめると、不思議そうに首を傾げた。
やばい、まさか、ヒルデの知り合いか。
「あの申し訳ございません。私の勘違いかもしれませんが、アイゼンランド公国リーツ卿ご息女ヒルデ様でございませんか?」
「えっ、どなたでございますの?」
俺がヒルデに注意を促すよりも早く。
彼女はまぬけな俺の奥方様へと声をかけた。
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