第309話 哀藤祈(あいとういのる)

 「そういう子ほど追い詰められるんですよ?」


 「軟弱なだけだろ?」


 「班長。今の時代にそんなこといったら終わりですよ?」


 「はぁ?」 


 「おっと。今度はパワハラですか?」


 女性警察官の一言で六波羅の立場が逆転する。


 「おまえな。いいから黙ってきけ」


 「わかりましたよ」


 「哀藤祈あいとういのるについて、あるコンビニ店員の証言がある。哀藤祈あいとういのるは虚ろな目で遺書を書くためにノートが欲しいといっていた、と」


 「……その時点で相当、追い詰められてるじゃないですか?」


 「コンビニの店員いわく最近はイタズラ動画の撮影なんかもあって遺書なんて言葉がでてもあんまり相手にしなかった、だとよ」


 「たしかにイタズラかどうか見分けるのは大変そうですね。”あいとういのる”もその店員が一言だけ。大丈夫ですか?って声をかけただけで別の選択ができたかもしれないですし」


 「哀藤祈あいとういのるは他に相談できる人はいなかったのか?」


 「班長。現代っ子ってみんな冷静で頭が良い子なんですよ。だから悟りの境地にいっちゃうんです。これは冗談じゃないですよ。物も欲しがらない。ミニマリストなんて効率いいですよ。部屋は広いままで余計なゴミもでない、出費も減る。無駄がない」


 「そんなんで楽しいのか?」

 

 「いや、いまやSDGsエスディージーズは世界標準ですよ?」


 「はいはい。あの突然、現れた、環境に良さげなやつな」


 「国連がそういう目標で全世界に発信したってことは地球環境の危機ってことじゃないですか?」


 「たしかに最近の環境を考えるとそれもわかるけどよ」


 「ゼロのカード捲られますよ」


 「0ゼロのカード?」


 「そうです。SDGsには0番のカードっていうのがあって」


 「おい、またそっち系かよ」


 「いいじゃないですか。班長と私の世間話なんですし。お客さん・・・・はあっちに夢中ですし」


 「それが捲られるとどうなるんだよ」


 「なんと」


 「なんと?」


 「十七の項目を遵守まもらなくてもいいらしいです」


 「どういうことだ?」


 「SDGsは大きく分けて十七の目標があって、さらに二百近くの指標があるんですけど、そのすべてが無効化されるとか」


 「じゃあ、最初からその0番やっちゃえばいいじゃねーか。めんどくせー」


 「班長よく考えてください。ものすごく細かく分かれた目標ぜんふを無くすんですよ。それがどういうことかわかりますか?」


 「ん? それは子どもが癇癪かんしゃくおこして、テーブルひっくり返すのと同じことか?」


 「じゃないですかね。現代科学ならどうにでもなりすよね?」


 「こわこわ。けど俺は歩道歩きながらナイフ振り回してるやつのほうがよぽど怖いけどな。だから各市町村に警察が必要なんだろ」


 「完全に笑い話にしましたね?」


 「当たり前だろ。おまえ、それぜんぶ鵜呑みにしてねーだろうな?」


 「ま、まさか。へへ」


 「終末論は宗教と相性がいいからな。だからそこ公安部や法務省の公安調査庁こうちょうが目を光らせてる。そういうスケールのでかいことよりも俺らは目先の事件だろ」


 「は、はい」


 「にしても。最近の若者は無気力すぎるだろ」


 「他人が助けてくれるなんて一ミリも思ってないんですよ。だから自分で蓄えるしかないんです」


 「なんでそんなに捻くれてんだ?」


 「そうなりますよ。低賃金で使い捨てられ。テレビつけても誰かが誰かを責め追い詰めてる。そこに組織の縮図を見るんです。溺れる犬は死んだって叩かれます。なにも欲しがるなって諦めることを教えたのは大人たちじゃないですか?」


 「それいわれりゃなー、わかるかもしんねーな。むかしはこうもっとズバッとわかりやすい勧善懲悪だったんだけどな」


 「だから”あいとういのる”だって人生を諦めた瞬間にもう後戻りできないって思ったんでしょうね」


 「おまえやけに詳しいな」


 「私だってそれなりのことがあったから警察になったんですよ。最近は信頼が下がってますけど警察ってやっぱり市民を守るものじゃないですか? 保育園児はまだ・・おまわりさんは正義の味方だって思ってくれてますよ。あの子たちって絶対犯罪を犯さないですよね」


 「仮になにかあっても責任は親だ」


 「そうです。不可抗力による事件なら起こるかもしれませんけど、あの子たちはたくらまないしくわだてません。交通安全教室では、全員が手をあげて横断歩道を渡ってくれます」


 「そう考えりゃ、この世界にはある一定の年齢まで犯罪者はいないってことになるな」


 「そうなんです。成長していく過程でなにかきっかけがあるはずなんですよ。それが芽生えるのは、やっぱり自分の存在が脅かされるとき」


 「なんだかんだ。おまえは警察に向いてるな。哀藤祈あいとういのるも、巡回中におまえ声でもかけられてりゃまた別の道があったかもしれないな。運命ってやつか。結局、哀藤祈あいとういのるの家のどこを探してもそんなノートはなかった。仮にノートを買ってもなにも書いてなけりゃただのノート。そこらへんに捨てられてりゃただのゴミ」


 「運命ってのはそうかもしれませんね。……うちの署長、黒杉工業に対してちょっと及び腰なんじゃないですか?」 


 「ゴルフ仲間だからな」


 「うわ~。そういうことですか」


 「川相総かわいそうが飛び降りた日も北町の守護山近くのゴルフ場で他数人とゴルフしてたらしくて、夜の会食のときには地鳴りでビビったっていってたな。ちょうど駅前の読みづらいアルファベットの柱が動いたって日だ」


 「それこそ、その柱ですけど、”あいとういのる”と川相総かわいそうの呪いだって騒がれてましたよ。何件か通報も入ってましたし。結局、あの柱は株式会社ヨシリロヨリシロのイベントの一環だったんだんですよね。いろんなことが起きた一日ですね。地鳴りの原因ってもう判明してるんですか?」


 「あれは市が第三セクターであるYORISHIROヨリシロ LABORATORYラボラトリーに調査依頼した結果、守護山の麓で崖崩れがあったってことだ。もともと六角市の守護山の近くは地盤が脆いんだろうな。なかでも北側はそういうのがあるから不可侵領域なんてたいそうな名前つけて人を寄せつけなくしてるんだろ」


 「落盤事故とか有毒ガスとか救出活動、難航しますもんね? DMATディーマットも大変ですね」


 「はじめから人がいかなきゃ事故は起こらない。ほら、おまえの好きそうな学校七不思議とかもそうだろ? 理科室には危険物があるからホルマリン漬けの動物が動くとかいっときゃ、たいていは怖がって近づかない」


 「私のときは人体模型が走るっていわれてました。ときどき肝試しとかであえていく人もいますけどね」


 「それでもいくやつの分母は減らせるだろ」


 「ですね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る