第288話 idol ―痩身(そうしん)―
電子機器が禁止の院内で若い女の子が持っているスポーツ新聞の見開きには、赤で囲まれた黄色い文字の「
「先生。これどうやって持てばいいの?」
慣れない手つきで新聞をめくる角からぐしゃぐしゃと崩れていき、その女の子はついに診察ベッドで新聞を広げはじめた。
今ではスラっとした手に戻った指先で新聞の右端をつまむ。
ただ右手の手の甲にぼこっとしたひとつの膨らみがある。
「あっ、もう大丈夫。こうやって
「そう。ふだん新聞なんて読まないもんね?」
「まあね。おお!! これが
「けいせいぼうかん?」
「只野先生知らないの?って昨日の今日で知ってるわけないか」
「なにかの四字熟語?」
カルテに向かっていた只野は黒い丸ぶち眼鏡の縁を触りながら思わず訊き返した。
「そうだよ。
「ああ!! アイドルの、ね。僕ちょっと芸能界のことは疎くて」
「それでも只野先生ワンシーズンは知ってるんだよね?」
「それくらいはね。アスちゃんのいるグループだし。四季だったっけ? 僕でもその四人は知ってるよ。あっ、そっか二十四節季も季節に関する名前だね」
只野はようやく座ったままでアスのいる診察ベッドに向き直した。
「そう」
アスは人差し指を立てる。
――よ!!
もったいつけた語尾が響く。
「芸能界ってだいたい三か月前には計画がはじまってるんだよね~。ドラマとかソロデビュー企画とかさ。もっと前から動いてる企画もあるしさ~
「そういうこと、ね」
「この
「人気アイドルが献血を呼びかけてくれると若い子にも献血が広まって医療業界も助かると思うよ」
「はぁ……」
アスはため息をつく。
「こんな私でも献血のCMに
「アスちゃん、治療中にもいったけど、今は
只野の呼びかけにアスは右手の甲の膨らみを隠すように左手を添えた。
「先生、わかってたんだ。これ?」
アスは――ガサっと音立てながら新聞を閉じた。
「
「っていっても先生って
「……」
只野はなにもいわずに無言でうなずく。
「でもなにもいわないんだ?」
「ちよっと分野が違っててね。一般の医科にもコンサルできるけど。アスちゃんの考えを訊く前に僕の一存で紹介はできないから」
「じゃあ内緒にしておいて。いつかそのときがくるまで。
「そうだね。ただ親御さんには……」
「お母さんにもいわないで。ただでさえこんなになって迷惑かけちゃってるんだから。親子の夢なの。お母さんが叶えられなかったものを私が背負ってるの」
「わかった。そこはアスちゃんの意見を尊重するよ」
「
「そして辿りついたのが過食嘔吐だね?
「私。病み憑きになってるときのことなんにも覚えてないんだけど、スマホの支払い見てみてびっくり。ちゃっかりクーポンまで使ってるの」
アスは只野から目を逸らし睨むように壁を見ている。
「それが病み憑きっていう魔障の症状なんだよ。症状が表面化するまで他人は異変に気づけない」
「店員さんは店員さんで単品メニューをバラバラで頼むよりもお得な物だからっていくつかをセットメニューにしてくれててさ。私どんな顔してそのメニュー頼んだだろ? 食べ物に執着した鬼みたいな
「急性期症状から逆算すると、そうだな、そのころはきっと、アイドルにいそうなくらいかわいい顔してたんじゃないかな? まだ身体の変化は現れてないはずだから」
「先生ってそんなこともいうんだ!? あっ、そっか患者相手だからお世辞のひとつもいわないと。だよね?」
アスは目から自然に涙が浮かんできている。
「私、気づかないところで人の優しさに触れてた。あっ、これは違うの」
アスは慌てて身振り手振りで否定した。
「あの店員さんがセットメニューにしてくれたことだよ。何十円かお得じゃん」
「セットメニューってそういう仕組みなんだ。僕、そういうのにも疎くて」
「っぽいよね?」
アスはそういったきりうつむいた。
「誰かを笑顔にしたい。そんなふうにしてアイドルになったはずなのに。ますますなんのためにアイドルやってるかわからなくなっちゃうな。先生はすごいですよね?」
アスの言葉尻が敬語に変わった。
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