第228話 帰路

 「雛。まだ着かないアルか?」


 「エネミー起きたの? あとちょっとよ」


 「そうアルか」


 エネミーが社に返事をすると車内には街灯の光が射しこみ小さな影ができていた。

 タクシーが道を進むたびに車内には闇と影のコントラストが途切れ途切れに浮かび上がってくる。


 「雛。ここに護衛のアヤカシがいるアルか?」


 エネミーは両足を浮かせパタパタさせながら足元の影を指差した。


 「そうよ。九久津くんが代替召喚そうしてくれたんだし。美子もエネミーがいちばん避難しやすいように亜空間の調整もしてるしね。あのふたりがそうしたんだから安心して」


 「そうアルな。うちは九久津も美子も好きアルよ」


 「良かったね。みんな仲良くしてくれて。沙田くんは?」


 「沙田も好きアルよ。繰も好きアルよ。うちはみんな好きアルよ。でも雛がいちばん好きアルよ」


 「ちょっとエネミー。そんな優先順位つけないでよ」


 社は微笑む。


 「先にエネミーの家から回ってもらうから。いいわよね?」


 「雛。帰りたくないアルよ~」


 エネミーは社の制服の腕を強く握った。


 「さっき――まだ着かないアルか。って訊いたでしょ? あれって帰りたいからでしょ?」


 「それは帰りたくないからアルよ」


 「そうなの。録画のアニメは?」


 「そんなのどうでもいいアルよ……」


 「どうして? 早くアニメ観たいんじゃないの?」


 「怖いアルよ」

 

 「なにが?」


 「おうち」


 社は単純にエネミーが家に帰って部屋で独りになる瞬間に怯えているのだと思った。

 だとするならばエネミーは九久津も寄白も信用していないということになる。

 今のエネミーは九久津と寄白の防護策に絶大な信頼を寄せている。

 社はエネミーのおそれの正体を見誤ったまま、ふたりを乗せたタクシーは進む。

 

――――――――――――

――――――

―――

 

 国立六角病院の八階、VIP専用のフロア。

 戸村は引き戸を開きどこかの病室に入っていった。

 当然、部屋の中にいる人物はそれなりの人物・・・・・・・ということだ。


 繰に会ったときとはまるで別の服装で誰が見ても医療の従事者だとわかるピンク色のスクラブをまとっている。

 スクラブの胸元にも国立六角病の院従事者がつけるネームプレートがしっかりある。

 

 戸村は新聞紙に包まれたままの花束を持ち足音を殺しながら病室の奥へと進んでいく。

 ベッド脇に置かれていた花瓶の前で新聞紙を広げ花瓶の中で萎れていた花とを挿し替えた。

 必然的にこれが職務だということもわかる。

 

 殺風景な部屋には不自然なほどに医療機器がない。

 ベッドに横たわっている人物の頭上には【担当医 Dr:九条千癒貴】の札が見てとれた。

 つまるところ、それは九条の担当患者ということだ。

 下には患者の名前も書かれている。


 【市ノ瀬微未いちのせまどみ


 「市ノ瀬さん……」


 戸村はそう声をかけずれてもいない布団をかけ直した。


 「花を変えました。この世界には、もう、こんなに花が咲いているんですよ」


 戸村は自分で挿し替えた花に視線を移した。

 陶器の中で青紫の葡萄ぶどうのような花がただ人工的に咲いていた。


 「ムスカリです。……市ノ瀬さん。願わくばずっと眠っていてください。あなたが覚醒するとき。……それはつまり……タイプGの……」

 

――――――――――――

――――――

―――


 九久津は夜の国立六角病院に正面きって入っていった。

 病院に近づくにつれて九久津はあることに気づいた、それは己を尾行していた者が国立六角病院びょういんの院内にいることだった。


 タクシーが進めば進むほど遠隔混成召喚した百目と臭鬼がそのにおいを捕らえはじめた。

 院内に潜んでいるその人物は逃げも隠れもすることはない。

 そこで九久津も召喚を解除した。

 

 「九久津さん、遅いですよ?」


 病院を抜け出して門限を破った者に放たれた言葉だ。

 なにを隠そう、とっくに閉鎖されたはずの玄関を開錠して九久津を出迎えたのは

戸村その人だった。 

 

 (この看護師は戸村……)


 九久津はここでかける言葉を瞬時に弾き出す。

 言い訳も挨拶も社交辞令も探りもいらない。


 「単刀直入に訊きます。今日あなたは繰さんと会いましたか?」


 「ええ。一緒にお食事しました。しかもパンケーキをご馳走になっちゃいました」


 戸村も同じく余計な返しはしなかった。


 「あんた何者だ?」


 「私はただの魔障専門看護師ですけど」


 「なぜ俺の尾行をした?」


 「えっと、そんなことはしていませんけれど」


 戸村は九久津の言葉を訝しむこともせず抑揚よくようなく答えた。

 九久津がそっと自分のスマホを取り出そうしたとき戸村はものすごい瞬発力で九久津の右腕をがっしりと掴んだ。

 すらっとした指先が九久津の手首を握っているけれど驚くほど力は込められていない。


 (俺の行動を先読みしたのか……? 顔を撮られちゃまずいってことでいいんだよな?) 


 戸村は掴んでいる九久津の腕をするっと放し、そのまま手のひらを頭に撫でつけて髪型を整えはじめた。


 「どうぞ? 私の顔を繰さんに確認してもらうんですよね? でも、髪だけはきちんとさせてくださいね?」


 「……」


 (くそっ……読まれたか。ここでこの人が最初に繰さんの名前を出してきた時点で今日の出来事の証明みたいなもんだ)


 九久津はなにもいえないでいる。


 「いちおう女子ですからきれいに撮ってくださいね? 誰に見られるのかわからないですし」


 九久津は黙ってスマホのホームボタンボタンを押した。

 静まり返ったこの場に――カシャン。っと音がする。


 「それと【パンケーキごちそうさまでした】ってお礼も添えておいてくださいね?」


 (これも今日の出来事の追加のアリバイ証明みたいなもんだ)

 

 「……」


 九久津はさっそく繰にメールを送信しようとする手前で液晶をタップするを辞めた。


 (この場合はこっちだ)


 すべての操作をいったん白紙にしてスマホの中にあるアプリを起動させた。

 電子共有ノートの【Viper Cage ―蛇の檻―】がさっと立ち上がる。

 九久津は書き込み情報が共有できて参加者の全員がファイルをダウンロードできるという機能を使うことにした。

 これなら繰にメールするよりも全員で情報共有できるからだ。


 九久津は戸村の【パンケーキごちそうさまでした】という一文を添えて顔写真をアップロードする。

 戸村の顔を全員で把握しているほうがみんなにとってメリットが多いからだ。

 それから一分もしないうちに繰の書き込みがあった。


 【うん。この人間違いなくこの人が戸村さんだよ。”また機会があったら食事にいきましょう”って伝えておいて】


 「――”また機会があったら食事にいきましょう”と、のことです」


 (……自分の顔を写メで撮らせた時点で決着はついていた。それはつまり隠す必要がないからだ。繰さんが今日会ったのがこの人のなら俺を尾行していたのは目の前いるこの人・・・・・・・・じゃないけれどこの戸村ひとと同じにおいの人物)


 「ええー!? 本当ですか。楽しみです。今度はなにを食べにいこうかしら。九久津さん……よくわからないけれど。私の疑惑は晴れましたか?」


 「はい。疑ってすみませんでした」


 (臭鬼が感じたのもこの人のにおい。……厳密には俺を尾行けてたのはこの人じゃない。なにより俺がタクシーで国立六角病院ここに向かってる途中、今度は俺が追う立場だった。そのかん院内ここから逃げることができたはずなのに目の前この人は逃げも隠れもしなかった。そのすべての条件に当てはまる事象となると……やっぱり分身わけみか?)


 「あの、あなたの能力は?」


 「私ですか?」


 「ええ」


 「魔障に罹患した患者さんの治療の補佐ですよ」


 (うまくいいくるめられた。能力って問いに職業スキルを返すことは間違いじゃない……)


 「たしかに。治癒のときはお世話になりました」


 「いえいえ。九久津さん右腕の化石化ミネラリゼーションだいぶよくなったみたいですね?」


 「はい。おかげ様で」


 (今日これ以上踏み込むのはやめだ。そもそも俺らが知らなかったジーランディアの情報を繰さんに提供するくらいの人……ふつうなわけがない。それにさっきの動き十中八九能力者だろう。大人お得意の組織のしがらみで情報を小出しにしかできないってパターンか? まあ、俺らに敵意がないのがわかっただけで上出来だ。俺、あるいは俺らへ攻撃・・じゃないならいったんスルーでいい。俺が病院を抜け出した自業自得な部分もあるし)


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