第123話 データを消した人

 『なあ九条。医者のやりがいってなんだよ?』


 「やりがい……か? たとえば疳虫かんのむしをとったあとにうそのように穏やかになって手を振り返してくれる子どもかな。患者の笑顔が最高の幸せだ。医者冥利につきる」

 

 『そっか。それは当局の真ん中なかにいる俺や二条じゃ味わえないことだ』


 「かもな。手の甲への注射にだって罪悪感がある。できることなら針先の痛みにさえ麻酔をしてやりたいと思うよ』


 『あっ、俺も注射は嫌いだけど』


 「大人だろ?」


 『注射の痛さに大人も子どもも関係ねーよ!! だからこそ鋳型・・の一部にもなるんだろ?』


 「わかってるよ。潜在的でも注射を嫌がる大人は多い」


 『だろ?』


 「ああ」


 『んで』


 「俺は医療に陶酔してる」


 (それが俺の根源だ)


 『医療は日進月歩で新しいものが出てくるもんな~』


 「でもな一条。最新治療や新薬ってのは毒なんだよ。一歩手前で頓挫する。約束が反故ほごにされる。情報公開からつぎの情報公開まで年単位で待たされるなんてのもザラだ。待つってのは辛い行為だ。あれは人を闇に落とす理由になりえる」


 『ふ~ん。結局そういうのが魑魅魍魎になるんだろ?』


 「そうだ。闘病とはどうしようもない苦痛がつきまとう。だから“希望”とはすぐ手に入る状態になって渡すべきだ」


 『心底しんそこ医療人だな。その医療人のためなら俺はなんでもしてやるよ』


 「頼む。データが消された件だけどやりかたが杜撰ずさんすぎる。まるで表紙だけを切り取った雑誌みたいで、あまり隠す気がなさそうなんだ』


 こんな駆け引きをしていても九条は一条に絶大な信頼を置いていた。

 それは九条たちの出生に伴う絆だ。

 

 『情報を隠蔽するにも不自然だと?』


 「ああ」


 『内部犯だろうな』


 一条がぽつりといった。

 

 「だろうな」


 このとき九条はなにも考えなかった、ただ一条がいうことだからそう思った。

 九条はときどき一条のさっきのような鋭い洞察力と頭の回転に魅了される。

 二条とてそれは同じだった。

 

 『隠蔽体質か。部署、機関、国、どこでもしがらみは変わらねーな……』


 一条の元でオイルライターのふたが開く音がした。

 そのあとに――ふぅ~。と一条の息がもれた。


 「一条タバコは辞めろよ? 体に悪い」


 だが一条は九条の忠告を無視して聞き流した。

 ただし聞き流しながらいていた。

 一条は他人の思いやりを無為にするほど薄情ではない。


 『なあ九条、UFO見えてるか?』


 そしてまったく整合性のとれない質問を返してきた。


 「……当たり前だろ。俺たちはずっとミッシングリンカーのタイプCなんだ。……なんでそんなこと?」


 九条は一条のその意図が読めなくてもただ受け入れた。

 その言葉が心の中にストンと落ちていく。


 『おまえがすっかり人や組織に馴染んでるから』


 「それはおたがい様だろ? 一条だって外務省の仕事が楽しいって」


 『ああいった。仕事って楽しいよな』


 「それは俺も同じだ。楽しくてしょうがない。ただ組織は苦手だ」


 『九条っぽい。けどこの世の中で恵まれた環境で働けてる人間なんてごくわずかだと思わないか?』


 「それは同意するよ。俺は今の勤務地・・・で満足だけど」


 『低賃金でヘトヘトに疲れ果ててそんな中で死を願いながら働く人をどう思う?』


 「俺はそんな人も救ってやりたいとは思う。というかそんな人のセーフティーネットを作るのが政府の仕事なんじゃないのか?」


 『そう。おまえがいってることは正しい。でも役人の言い訳。――そこまで手が回らなねー』


 「……まあ俺もそこまで子どもじゃない……どうにもならなことがあるのもよくわかってるさ」


 『茜ちゃんのことは……。許せるのかあの会社・・を?』


 (一条も茜の名前を出すとは)


 「許すもなにも……あれは複合的な要因が重なったことによるものだ……」


 『ならいい。おまえが本当にあの件にけりをつけてるなら。日本の人口は約一億三千万人。現実問題、政府は苦しんでる人の分母をいかに減らすくらいしかできねー。おまえは役人だけど医者だからすこし立場が違うか? 俺と二条なんてもろ役人って感じだからな。二条はそれで寄白姫に嫌われてるし』


 「寄白姫って寄白美子? そうなの?」


 九条は「茜」という名の人物を心に封じ込めた。

 医者として命に執着するそれよりももっと重い命の尊厳を植えつけた、いや傷として残した女性の名を。


 (俺はさっき二条を怒らせた。二条にも二条のやりかたがあるんだよな。……そっか……患者第一も俺のやりかただ。誰にも邪魔されたくない。つまりはそういうことか)


 『二条は否定してたけど、おもいっきりな』


 「俺はこの病院にいる以上寄白家には頭が上がらないよ」


 『まあ六角市の市民はそうだろうな。株式会社ヨリシロ。六角市の光』


 電話越し、一条の周囲で慌ただしい気配がしている。

 人が足早に歩くような音と紙のこすれるような音とともに人の咳払いとハァハァという吐息も聞こえた。

 一条にもとに歩み寄ってくる誰かの気配が受話器からも伝わってくる。


 『九条。部下に調べさて現時点でひとつわかったことがある。九久津堂流のデータを消したのは……』


 「誰だ?」


 『今、PC使えるか?』


 「ああ」


 九条が瞬時にマウスを操作するとPCはスリープからすぐに目覚め数秒でディスプレイに光が戻った。

 

 『厚労省の九久津堂流のページにアクセスしろ』


 「わかった」


 九条がそう答えると一条はある指示をした。

 九条はそれに沿ってPCを操作する。



 『そう。そのページの右下だ』


 マウスのカーソルがなめらかに下に流れると――チカッと画面が光った。

 正確には光ったわけではなく同色の中に別の色が混ざっていた錯覚のようなものだ。

 九条はすぐに左上から右下にカーソルが移動させて、その個所すべてをドラッグした。

 するとそこに浮かび上がってくる人の名前があった。

 

 「隠し文字だったのか?」


 『そうだ』


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 担当者 鷹司高貴たかつかさ こうき



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 「まさか。官房長が!?」


 『おまえも気づいたと思うけど、おっさんが自分の署名を残しておくってことは、なんかあったら直接訊きにこいってメッセージだ。おっさんと面と向かって話せるやつなんてかぎられてるからな』


 「そうみたいだな」


 『日中、官邸抜け出してここにきてたんだけどな。九条、悪いけどあとの質問は海外出張から帰りしだいまとめて報告する。俺にも外務省おれの仕事があるんでな』


 「わかった。一条助かった。気をつけてな」


 『……あの場所にも寄ってくる』


 「あの場所? どこだ。あっ!?」


 『××××年。あいつが具現化して俺と二条が一時避難した場所だ』


 「アンゴルモアの?」


 『ああ。俺が現在進行形で追ってる案件の鍵があるかもしれない』


 「わかった。いろいろ頼んで悪かったな。じゃあまたな」


 『いや。気にするな』


 九条は鷹司の名前が出現したことによってさらに事が複雑化したことを強く感じた。


 (これは官房長、四仮家先生の件にも噛んでそうだな。二条の話じゃ国税が動いたって。……国税を動かせる人物ってそれなりの地位だろうし。……この一連の流れからすると九久津堂流の死はかなりの難治症だ。いや九久津家とバシリスクを中心に巡る因果のすべてが、か)


第三章 END

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