第111話 ナイトメア・リフレイン

 九条は九久津にいい返したこともたくさんあったけれど、諸々の事情を飲み込み冷静に気持ちと折り合いをつけた。

 医者という職業柄モンスターペイシェントに当たることも多く、それを流すことを心得ている。


 「ええ。むしろ今回のことで十年前の解析部の落ち度の可能性が色濃くなりました」


 九久津が心を許しはじめた矢先、九条に当局の影をみると九久津の中でふつふつと反抗心が生まれてきた。

 九条の“医師”の下に“役人”があるという言葉の意味が九久津の中でていをなさなくなってきていたからだ。


 九条もそんな九久津の変化をいち早く察知した。


 「まあ今のきみなら自然な考えかた……かな……」


 九条は小さく息を吐き、どこか強張っていた顔を意識的に緩めた。


 「みっつめ。バシリスクが自分から進行してきたわけではなく何者かに引き寄せられた可能性についてはどう思いますか?」


 九条はそこから言葉のニュアンスを弱めて極めて穏やかに接した。


 「引き寄せられた?」


 九久津は九条の予期せぬ質問に急激に感情が冷めていった。

 心ではまだ論争がつづくのだと思っていたのに自分の知らない事象によってバシリスクが日本に上陸したということで興味の対象が逸れたからだ。


 「ええ。解析部の解析ではバシリスクの急激な進行速度と路線の変更をかんがみてそう結論づけたそうです」


 「それについてはまったく心当たりがありません。解析部の解析は本当に正しいんですか? ますます疑いたくなります」


 「僕がはっきりと答えます。解析部の能力を見くびらないでください。彼らは、0.000パーセント以下の緻密な数字の世界で生きているんです。それは“想定外”さえ“想定内”ということです」


 九条は人をアヤカシから守るために日々を捧げている「職業人」の矜持きょうじのために九久津にはっきりと告げた。

 つまり「職業人」の中には医師業を邁進まいしんしている自分もいるということだ。


 「でも俺は納得できません」


 「そうですか」


 九条はふたたび話を飲み込んだ。

 ここでの論争はやはり得策ではないと考えたからだ。

 自分のいいたいことを一言は告げただから九条の中で決着はついている。

 

 九久津と九条ふたりの心は接近と離反を繰り返す。


 「まあ解析部のことはいったん置いておきましょう」


 「……はい。わかりました」


 九久津は大人でもないが一般の高校生こどもでもない。

 九条の意思を読み解き多少の素直さをみせた。

 九久津の中に去来しているものは解析部の汚点どうのこうよりも結局のところはバシリスクへの憎悪だ。

 バシリスクを倒した今もなお九久津の中に暗い影を落としつづけている。

 

 「バシリスクが不可侵領域を経由してきたことは?」


 九久津にとってそれは寝耳に水のような話だった。


 「不可侵領域を? いえ知りません。そもそも不可侵領域とはなんなんですか? 一般人もふくめて俺たちはむかしからあそこには絶対に近くづくなといわれて育ちました」


 「不可侵領域とは負力の溜まり場です」


 「負力の溜まり場ってそのままじゃないですか?」


 前のめりになった九久津の呼吸が乱れはじめ、九久津が羽織っている白衣も小刻みに揺れている。

 吸う、吐くの循環の中に――スーハー。と、ときどき早い呼吸が混ざっていた。

 

 九条は興奮のためだと思って気に留めないでいる。

 この呼吸の仕方はときに憤怒ふんぬと呼ぶこともあるからだ。


 「ええ。ただし不可侵領域に溜まる負力は市内発生の負力も含みますが世界中の負力も集まってきます」


 「世界中?」


 「そうです。世界といってもすべてはひとつです。世界中でも大きな負力がうねって地球上を対流しています。それに六角市の不可侵領域は世界中からの負力が合流して各国それぞれの性質が混ざるために合流後にどんな反応をするのかはっきりとは解明されていません」


 「なるほど。俺はどこかで区分けされてると思い込んでいました。だから各国に対アヤカシの組織があるんだっ……た」


 九久津は自分にいい聞かせスクラップ記事をまとめるようにそれらの情報を整理する。

 

 「まあ、各国それぞれが独立しているように錯覚もしますけれど、各国それぞれがそれぞれに世界の安寧あんねいのために組織を運営しています。もっとも自国を守ることがいては世界のためになるということですけれど」


 「そう……です……よね」


 九久津の呼吸がさらに乱れた。

 明らかに肩と背中で呼吸をしていて、九条もわずかに注目している。


 「ただ僕の同期の見解だと六角市の不可侵領域には地下、つまり風穴ふうけつが存在していて、そこにも負力が流れているかもしれないという考えでした」


 「地下にも……。六角市はそういう地形だってことですか? 同期って医者ですか? それとも役人ですか?」


 「国交省の役人です。最近六角市にきていたんですよ」


 「あっ、死者の反乱のあとに六角市の結界を強化するための……」


 九久津は言い切る前にまた息を吐いた。


 「そうです。近衛ってやつなんですけど。見かけたことないですか? オールバックで面長のやつ。あの、九久津さん大丈夫ですか? さっきから呼吸が……」


 九条もようやく九久津の体調の変化がおかしいと感じはじめた。


 「だ、大丈夫です。お、俺は会ったことはないと思います」


 (きっと、沙田が会った人だ)


 「大丈夫ならいいんですけど。それでは最後の質問に移ります。これはとても重要なことです」


 九条は九久津の正面に向き直して自分の膝に手を置きゆっくりと九久津の目を見つめた。

 九久津も釣られるように九条と目を合わせた、と同時に体全体で大きく呼吸している。


 「当局がいちばん訊きたいこと。それはきみが悪魔と本体契約したのか?」


 九条はもったいつけるようにをあけた。


 「していないのか? ということ」


 九条はすぐに九久津の表情の変化を見逃さないように気を配っている。

 九条の職業柄、意図的に魔障の原因を隠す患者とも日常的に触れ合っているからだ。

 たとえば九久津のような【毒回遊症ポイゾナス・ルーティーン】の患者などがそれに当たる。

 魔性専門医はそんなうそを見抜き適切な処置を施すのもまた仕事だった。


 「いいえ。してません」


 肩で息をする九久津は首を真横にふって即座に否定した。


 「そう、です……か。九久津さん大丈夫ですか? やはり体調が……」


 「だ、大丈夫です」


 「もうすこしで話は終わります。悪魔と契約していたと仮定すればバシリスクを引き寄せることも可能だと思うのですが?」


 「やっぱり俺を疑ってるってことですね?」


 「いいえ。便宜上べんぎじょうの聞きとりです」


 「魔契約まけいやくをすればそれはできると思います。それに俺は召喚憑依能力者ですので疑われるのも仕方ないと思います。ただ俺は神に誓って悪魔と契約はしてません」


 「わかりました。これで質問は終わりです」


 結果的に九条の中で九久津のこの答えがさらに疑念を強めることになった。

 本来の九久津ならば理論立て反論をしてくるはずだ。

 それは九久津が魔契約をしているかどうかの疑念ではなく、どうしてそんな粗のある答えをしたのかということだった。


 今回は九久津は――神に誓って。という極めて抽象的な言葉で己の潔白を証明しようとした。

 九条にはそれがあまりに稚拙ちせつに思えた。


 「はい……」


 九久津はこの質問を受けているあいだ、しばらく九条の青いスクラブに視線を集中させていた。


 (青い悪夢。俺はあの日……)


 九久津の呼吸がさらに乱れて、もはや肺で呼吸をしているというよりは体全体で呼吸しているようだった。

 ゼェゼェとした喘鳴ぜんめいがつづく。


 「青……青……蒼」


 「九久津さん大丈夫ですか?」 


 九条は同時に医師の視点でも九久津をていた。

 途中で九久津の容体が急変すればそれは思考を妨げる理由になるからだ。

 体調不良は質問に対して思考放棄する原因としてはありえることだった。

 九条はこれがさきほどの九久津の稚拙さに繋がったのだと思いすぐに医師の顔つきに戻った。


 九久津は九条が“医師”の下に“役人”があるということを実践したことを知らない。

 これ以上の追及は【毒回遊症ポイゾナス・ルーティーン】の治療の妨げになる可能性をはらんでいるため九条はその質問をやめた。

 

 「随伴症状ずいはんしょうじょうか? なんの影響だ」


 「蒼褪めた夜だった。あの日は」


 「あの日? ごめん。ちょっと脈を」


 九条は九久津の首元に手をあてた。


 「あ、蒼い夜」


 九久津の口からノイズのような呼吸音がする。


 「蒼い夜? フラッシュバックか? 戸村さ~ん。ちょっといいですか?」


 九条は大きく頭を振りかぶってドア越しに声をかけた。

 緊急事態であるがゆえに患者にそれを悟られまいとあくまで穏やかに戸村を呼んだ。

 こんなときに狼狽うろたえるような医者に誰もその身を預けはしない。


 「えっ、あっ、はい」


 戸村がザッとカーテンを開く、戸村はすでに金属トレイに乗った緊急用医療キットを持っていた。

 九久津は乱れた呼吸で――蒼。とつぶやきつづける。


 (ざーちゃん。俺は怨んでなんかいない。むしろ感謝してるんだ。うちから出ていったのは俺のせい・・なんだろう)


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