第108話 カルテ:病名1 【呪詛による。右上肢(みぎじょうし)の化石化(ミネラリゼーション)】  病名2 【ポイゾナスルーティーン(毒回遊症)】

 「はい」


 九久津は九条の表情を確認しながらうなずいた。


 「九久津さんの現在の魔障は顆粒層止まりです。このぶんなら能力者ということもあり新陳代謝の早い若者ですので、あと一週間で自然治癒します」

 

 「本当ですか?」


 「ええ」


 (俺の証明は失敗……か……。バシリスクを完膚なきまでに叩きのめすそれが俺の証明だったのに……。机上の空論は……空論のままか)


 「今はまだつっぱったり動かしにくかったりすると思いますがこの魔障はあくまで皮膚の表面止まりです。日常生活でこれ以上悪化することはありません。ご希望であれば動きをスムーズにする軟膏なんこう処方しますけれど?」


 「いえ。自然に治るのを待ちます」


 「わかりました。正直僕は根治と苦痛を緩和する目的以外で処方す薬はでしかないと思ってますから」


 九久津は九条のとある言葉に反応して顔が険しくなった。


 「……」


 九久津は言葉につまりながらも――はい。とうなずく。


 「バシリスクは閉ざされた亜空間・・・の中で九久津さんには勝てないと悟ったのでしょう」

 

 九条がそっとカルテを閉じ九久津の顔を見ながら能力者の知識と医療知識をもって推論を語りはじめた。


 「えっ!?」


 九条の言葉は九久津にとってまったく予想外だった。

 バシリスクがあの状況で勝負を投げたとはとうてい思えなかったからだ。


 (あいつがそんな早くに勝負を捨てるはずがない……)


 「ですので九久津さんの利き腕にまとを絞ったと考えれば合理的でしょう」


 「先生それはどういうことですか?」


 九久津は主体的な立場にいるゆえに九条の意図に辿りつけなかった。


 「獰猛どうもうさではアヤカシの上位に入るバシリスクですが九久津さんとの戦闘時はどうでしたか? バシリスクなら荒々しいまでの猛攻をしかけてくるはずですけど?」


 「いや。あいつはじわじわと追いつめてくるような感じでした。なりふり構わずに襲ってくるようなことはなかったです」


 「粗暴そぼうなバシリスクが必要以上に攻撃してこなかったのは視線によって九久津さんを石化させる攻撃に切り替えたということだと思います」


 「あれは挑発の睨みじゃ……なかった……のか……?」


 九久津はその言葉を自分にいい聞かせながら極度に落胆した。


 (あいつの視線から目を保護まもるならまず百目を召喚してそこにぬりかべが正解か? いや、やまびこで視線を反射させればあいつ自身を石にすることもできたのかもしれない? だとしても硬度が足りないか……? ならもっと硬いゴーレムを……けどあいつ自身の視線があいつの皮膚を通るか……? くそっ!! どのみち後の祭りか)


 「自覚があるんですか?」


 「ええ。あの戦いで何度となくあいつと眼を合わせましたから」


 「そうですか。バシリスクは九久津さんの利き腕から封じやがて全身を石化させることに徹底したのだと思います。それがバシリスクじしんにとっての唯一の勝機だと思ったのでしょう」


 「あいつがあんなにらすようしてたのはそういうことか」


 「……だと思います。過去の文献や論文にもバシリスクの第二攻撃の選択肢は眼石がんせき能力だとはっきり出ていますから。知らなかたわけじゃないですよね?」


 「ええ。知っています。ただその能力を発動させる場合はあいつの瞳孔になにか変化があるのかと思っていました。その兆候がまったくなかったので……。俺はもしかすると負けていたかもしれないんですね?」


 「ええ、その可能性もあります。誰にも告げずに単独で上級アヤカシに挑むことは感心できませんね?」


 「先生は今、医者の立場ですか? それとも厚労省やくにんの立場ですか?」


 九久津は九条の目を見つめ非礼ひれいと知りながらもそう訊ねた。


 「僕は白衣を着ているときはいかなる理由があっても“医師”です。他所よそに秘密を漏洩もらすことはありません」


 九条はふたたびカルテを開き中身をじっと見つめ、また九久津へと視線を移す。


 「たとえきみが体内にを蓄積させていたとしても」


 九条のその言葉の最初と最後ではまるでニュアンスが違っていた。

 患者への改悛かいしゅんの願いで自然と「九久津さん」から「きみ」に変わた。


 「……」


 九久津はほんのわずかなあいだ沈黙した。


 「やっぱり……医者ってすごいですね?」


 九久津は九条の問いに肯定も否定もしなかったがどこか観念したようだった。

 相手は魔障を専門に扱うプロで、毒を飲みつづけてきたことを隠すのは無理だとわかっていた。


 「ええ。僕の仕事は魔障から命を救うことですから」


 「この先毒をめるとどうなりますか?」


 九久津の自白じはくともとれる言葉だった。


 「罹患者が召喚憑依能力者と限定した場合の一例ですが。無差別に悪魔を召喚して自滅するなどがあります。きみも知ってると思うけど“魂”がなければ転生はかなわない……」


 さらに九条は一呼吸おいた。

 

 「今のきみに病状をつけるならこうです」


 九条はデスクに向き直して白衣の胸ポケットからペンをとってカルテの上で走らせている。

 手の動きが多くて長めの文字を書いているとわかる。

 やがて九条の動きが止まり九久津の目の前でカルテを広げた。


 【呪詛じゅそによる。右上肢みぎじょうし化石化ミネラリゼーション


 【毒回遊症ポイゾナス・ルーティーン


 「とくに毒回遊症ポイゾナス・ルーティーンはきみしだいだけど。今後、重篤になる可能性もあります。劇症化げきしょうかすれば人間体のままでもブラックアウトすると頭の中に留めておいてください」


 「そうですか」


 (俺があのとき腕を制御できなかったのは魔障この影響なのか? それとも……? なんとなく体を乗っとられたような気も……)


 「ただぼくにはひとつ安心材料があります」


 「安心材料?」


 「ええ。きみが毒回遊症ポイゾナス・ルーティーンになった動機です」


 「動機?」


 「はい。きみはバシリスクを倒す。ただそれだけのために毒を飲んできたはず。今回その目的を果たした以上これから先は毒を飲む必要はない」


 九久津の顔からすこし笑みがこぼれた。

 それはなにかの呪縛から解き放たれたように晴れやかだった。


 「先生にとってそれだけの判断材料が揃えば俺が毒回遊症ポイゾナス・ルーティーンになった理由を推理するのも簡単ってことですか?」


 「ええ。わりと」


 「先生のいうとおりで俺にはもう毒を飲む理由はありません」


 「では毒回遊症ポイゾナス・ルーティーンの治療をしましょう。一朝一夕で治る症状ではありませんけど自分自身の身体に毒を蓄える呪法は古来からありました。たとえば蠱毒こどくで勝ち残ったむしのみを食べたりするなどです。ですので魔障において毒回遊症ポイゾナス・ルーティーンはわりと一般的な疾病しっぺいといえます。ただ九久津さんの場合毒の性質がすこし厄介かもしれませんけれど」


 九条の話しかたがふたたび柔らかくなり、九久津への呼びかたが「きみ」からまた「九久津さん」に変わった。

 それは九久津が九条に心を開きはじめていると九条が感じたからだ。


 「先生。俺はどんな代償を払ってもいいと思って毒を飲んできたんです。目的を果たした今はどんな治療でもします」


 九久津から憑き物が落ちたようだった。


 「これからは美子ちゃんのサポートをしながら友だち・・・の沙田とそして雛ちゃんとこの六角市まちを守りたいと思います」


 「前向きな心は免疫力を高めます。それに人を守りたいという想いは僕も同じですので。なにより心まで救うのが本当の魔障専門医だと思っていますから」


 ――いずれそのとがに喰われるがいい。

 九久津の頭にバシリスクの言葉が過った。


 (俺の咎とは毒を携えたこの体のことか? でもあいつがそんな脅しにもならないことをいうわけがない……)

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