アストレア国物語

紫陽花の鼬

手放したい少年

第1話 来訪



 霧の立ちこめる街だった。

 アダムミストストリートの石通路を馬車の音が走る。

 ミルク色の通りには、左右に虹の輪を広げた街の外灯が浮かんでいた。それが僕にはランタンを抱えてうずくまる人の影のように見えたし、ちょっと薄気味悪くも思えた。


 通りには人の姿がない。夜になると商店のほとんどが扉に施錠をしてしまうらしく、無人の通りは教会裏の墓地のようだった。

 ――通称、『変人通り』と呼ばれる路地だ。

 ミルク色の霧を、光の灯る馬車が裂きながら走り抜ける。



「……坊ちゃま。このまま道なりに進んでもようございますか?」

「ああ。構わないよ」


 不安になったのか、馭者ぎょしゃ窓からの召使いに僕は答えた。

 初めての街というのは、どうしてこうも幻想的であり、恐ろしいのだろう。

 僕は冒険家でいうところの、地図を片手に、コンパスを持った航海者の気持ちか。未知が違うかもしれない不安が波のように押し寄せる。


 しかし、心配は杞憂だったらしく。

 少し進むと、目印となる『本を手にする女性』の看板が軒先に吊された店が見えてきた。



「――セダンは、ここにいて。もし野犬が襲ってきても馬車の上にいれば安全だから。それに、護身用の短銃は持っているね?」

「はい。それは、万全でございますが」

「よかった。じゃあ、任せたよ」


 不安そうな馭者に声をかけ、僕は後部席から降りた。

 通りの石畳を踏みしめると、妙に夜風が肌寒く感じた。これだけ霧が立ちこめているんだから風は強くないはずだが、なにせ湿った空気が手の先を冷やしてくる。

 僕は夜用の外套で背中を丸めると、指先にぬるい息を吹きかけ、店先のドアをノックした。

 ――トントン。

 吊り下がった金具を使って叩く。

 二度。

 三度。


 ……ずいぶんと店先で待たされた気がするが、反応がない。

 どうしたのだろう。やはり他の店と同じ、ここも夜の霧を前に閉店してしまったのだろうか。よくよく見ると窓に灯っている光が見えるので、中に人はいると思うのだが。


 仕方なく、諦めて帰ろうとすると、


 ――ガチャ。


 扉から、何やら金属の触れる音がした。



 ……? いま、鍵が開いたのか?

 僕は振り返る。普通、こういうときって「どうぞ」と顔をのぞかせて客人を招き入れるものではないのか。鍵が開いた以外に、扉の向こうからはなんのリアクションもみられなかった。



 入って、いいものか?

 僕は戸惑いながらも、扉に手をかける。やはり開いた。鍵が開いた以上、このまま帰る道理もなかったのでそっと中をのぞき込んだ。



 暗い。

 最初に思ったのは、それだった。人の気配はある。ところどころに燭台しょくだいの火が灯っており、それがなぜか嵐の夜に落雷で光る室内を思わせた。



 僕は思いきって、足を踏み入れてみた。


 本が、たくさん並んでいた。

 まるで図書館だ。

 巷で人気になっている冒険小説や、探偵小説。学書などもある。これほど蔵書しているところもそうないのではないか。なにせ、アストレア国での本は『高価なもの』と相場が決まっているのだ。




 書架には専門的な『自然の力学』や『生命樹と、万有なる引力』、『悠久なる旅の書』など、専門的なものや、変わった表題の書も見受けられた。『クラウス錬金学』という書もある。その書を横目に、僕は以前に自分もクラウス派の錬金学に興味を持ったことを思い出した。


 あの時は、彼の後裔こうえいのアトリエが発版する本を買ったものだ。背表紙の色は違ったが、これも類するものだろう。スライド移動ができそうな金属歯車の書架におさめられていた。


 ……いや、それはいい。

 僕は思考から抜けた。豊かな蔵書を持つ主がいるということは、ここアストレア国でも喜ばしいことだ。


 ただ、肝心の家主は……?

 僕は見回していた。部屋数が意外と多く、まるで図書館の本棚の迷路でもさまよっているようだった。点々と、等間隔に続く灯火に導かれながら、僕が迷路屋敷ともいえる書架の森を進んでいると、



「……。ここよ」


 無感情な声がした。振り返る。

 僕は、驚いた。本を山積みにしたスペースの中央。ちょこんと椅子に腰掛ける銀髪の少女がこちらを見ていたからだ。


 ――人形。

 じゃあ、ないよな。僕は不安になる。

 それほど彼女の容姿は浮き世離れしていた。抜けるような白い肌は優美を通り越して、どこか不安な工芸細工を思わせる。瞬きさえしていなければ、そのまま、部屋の飾りの中に埋もれてしまいそうだった。



「…………なによ。人を見てその顔。失礼ではなくて?」


 指摘を受け、やっと気づく。

 僕は驚いていた。

 この少女――フリルのついた豪奢なドレスと、床にまで届きそうな長い銀の髪。そして、ガラスのように透きとおった緑の瞳をした少女はこちらを見ていた。僕の反応を訝しむように。


 洗練された、神の子の造形。

 触れてしまえば壊れそうなで。脆もろさと、美しさを体現していた。全体的に幼く完璧な容姿は、不機嫌で、どこか妖しく人を拒絶しているように見えた。



「きみ、は……?」

「私は、ここの書店の主をしているオリゼ。まぁ、オリゼはオリゼよ。好きに呼ぶといいわ。全ての真名は、オリゼフィール・マドレアンというの。でも、いきなり女性の名前を聞くなんて、アストレアの紳士にあるまじき行いではなくて?」


「……!」


「相手の名が知りたかったら、まず自分から名乗るのが礼儀なのではないかしら。リトル・ジェントルマン?」


 少女は小悪魔のように、笑っていた。


 僕は気づいた。

 自分よりも、年下の少女に諭されているのだ。


 つい恥ずかしくて顔から火が出そうになる。……なんという不覚だろう。確かに僕は、目の前の相手につい見とれてしまって、先に名前を問いかける非常識な振る舞いをしてしまっていた。



「申し訳ありませんでした。ミス・オリゼ。僕はミヤベといいます。……ミヤベ、ジュン」

「ミヤベ? この辺りでは聞き慣れない名ね」

「はい。東からここの土地に移り住んできた士族……といえば、理解してもらえるでしょうか。僕はその二世にあたります」

「ああ、あの――」


 俗世のことを思い出したように、このアンティーク調の椅子に腰掛ける少女は遠い目をした。



「――そういえば、そういう人たちもちらほらいる。って聞いたことがあるわね。確か刀匠としての技術を伝えたり、武道を教えるために東の果てより招かれた人たち……だったかしら? 士官学校の教官をしている人もいるそうだけど」

「……はい。僕の父がそうですが、僕自身は成人したら故郷の東に向かうつもりです」

「ふうん。面白いわね」


 やっと興味が湧いてきたのか、少女は本を閉じた。

 どうやら、久しぶりに面白そうなお客さんが現われた――といった好奇の感情らしい。椅子より立ちあがった彼女の動きも、一つ一つが洗練されていて、思わず見とれてしまうほどに美々しかった。


 彼女は、煌めく。

 そこにいるだけで暗い室内が、光によって眩しく染め上げられる錯覚すら覚えた。鱗粉をまく蝶のように、森に光がもたらされるように彼女はそこにいた。

 例えるなら銀の光だ。穢れなく、純粋で、どこまでも眩しい。書架の景色に煌めく姿は僕に浮世離れを感じさせた。



「さて。それで、その教官さんのご子息が私になんの用件かしら?」

「……困っていることがあります。僕の手元でどう始末していいかわからず、かといってこの件で父親の手を煩わずらわせたくもない」

「それは、つまり『書』の話なのね?」

「ええ。書の話です」


 僕は頷いた。

 ここを訪れた時点で、彼女と僕の間には暗黙の了解がある。

 この店は『そういう話』を持ち込むための解決の場所であり、普段の日常ではとても解決のできない問題を持ち込む場所でもあるのだ。



 それは。

 教会の悪魔祓いとも、違う。

 街角の占い師とも、違う。


 明らかな『見えざる脅威』に対する備えであるのに、他のどの機関でも不可能なことなのだ。僕がこの場所を訪れた理由はそこにある。


 金の工面でそれなりの苦労はしたが、それでも代えがたい『脅威』がある。彼女のことを噂話で集めるのにずいぶんと苦労した。それで、ようやく行きついたところが街の裏側『変人通り』というわけである。



「――では、どうぞ。出してみて。きっと力になれると思うから」

「これです」


 僕は、腰に止めていたベルトから、銃でも止めるように厳重に下げていた『古い書』をとりだした。


 表面が、ざらざらとした手触りにつつまれ。

 歳月のせいか、腐食も進んでいる。虫食いで頁ページに穴があき、表題のインクすらも薄れていて読めなかった。内側に挟まっていた埃は固まってしまっており、砂のようにパラパラと落ちてくる。



 少女は、小さな手でそれを受けとった。

 瞬間、不敵に微笑んだ。


「………………ふうん。なるほどね。とってもいい香りがするわ。とっても――禍々しい。爆発しそうな危険な香りがね。間違いなく本物よ」


 ……本物?


「そ。偽物でも、気取った作り物でもない。本物。――偽物なんて私がすべてお見通し。私が求めるのは、真実の書。この世のありとあらゆる偽りが流れ、川面に浮かぶ純金の砂のように輝く探求の書。そう、それはいわば、『叡智の結晶』よ」



 ……それは?


「それが、いわゆるね。この世に生み落とされた『魔導書グリモア』と呼ばれるものなのよ」



 少女は、楽しそうに笑っていた。


 幻想書。

 グリモワール。

 双書。

 運命の座標。


 ――呼び名は、星の数ほどある。

 それは、半信半疑でこの場所を探り当てた僕にとって、あまりにも衝撃的な言葉だった。



 そう、なのだ。


 この店は、『魔導書』を扱う専門店である。本物なのかどうか成否を見定め、

取り引きし。そして、一般人では手に負えない『害悪』の書の災厄をすべて取り払い、引き取る場所であった。



 オリゼフィール・マドレアン。

 魔導書引き取りの専門家の少女と、僕との。最初の出会いだった。



「――へくちっ」

「……あの、寒いのですか? だったらすぐに火を灯して、燭台の温もりをお持ちしますが。淑女マド・モアゼル」


「ええ。気遣いはアストレア国の国民の嗜みだわ。紳士ジェントルマン」



 ……まぁ、大丈夫かな。って懸念はちょっとあったけど。


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