第4話



「どういうことだ?」

「そのままの意味だよ!今朝、セオリア様の世話係が彼女の部屋に行ってもど こにもいなくて、机の上には『第三皇女セオリアを誘拐した』って書いてあったらしいんだ!!もう、国中大騒ぎだぞ!兵士団も血なまこになって探しているよ。」

 矢継ぎ早に話を進めるリョウの様子が、事件の重さを物語っている。昨日の今日でこんな事が起きたのだ。動揺しないはずが無い。そのはずなのに、俺の口から出た言葉はまるで、自分自身のものではないかのように非情だった。

「そうか。」

「そうかってお前なぁ!」

「俺はもう兵士じゃないし、彼女を救う義理もない。なにより、それを知ったところで俺にどうしろと?居場所も特定出来ないんじゃあ探すだけ時間の無駄だ。」

「…ってめぇ!」

 冷たく言い放つ俺に、掴みかかるリョウは今にも俺を殴り飛ばしそうだ。

 だが、俺も動じない。俺はもう兵士団にいた頃の俺ではない。皇女様を守る使命などありゃしないのだ。だから、行動しても決して無駄なことはしない。国中で騒ぎになっているなら、見つかるのも時間の問題。そこは兵士団や騎士団に任せた方が懸命である。

 それが、リョウの話を聴いて率直に抱いた考えだ。そうだ。それでいいんだ。そう自分に言い聞かせている自分がどこかにいた。

 リョウは俺の考えが気に入らないようで、襟を自分の前まで引き寄せて叫んだ。

「探すだけ無駄だとか、そう言う問題じゃあねーだろ!動くか動かないか、その判断をすること自体に意味があんだよ!!」

 リョウの手はわずかにだが、震えている。アイツがここまで必死こいて叫んでいるのを見たのはいつぶりだろうか。息を荒くしたまま、掴んでいた襟をゆっくりと降ろし、俺に背を向けた。そして、リョウは少し進んではまた立ち止まり、思い立ったように言う。

「知り合いの兵士の話だが、攫われたと思われる時間帯から今まで、王都から出た者はいないらしい。おそらく、まだこの国にいる。俺は港辺りを探す。お前は商店街を見てくれ。」

──待ってるからな。

 無言の信頼がリョウの背中から伝わってくる。俺は何も言わずに彼が立ち去る姿を見届けることしかできない。

 第三皇女と面接をしたあの時から、俺はムキになっていたのかもしれない。目の前であんなものを見せられて、まるでかつての自分を鏡で見ているようだったのだ。天才でなくても、どんなに逆風が来ても、自分の剣だけを追い求めていたあの頃に。だからこそ懐かしくなり、彼女が羨ましくなって、嫉妬して、ヤケになって、俺は今この場でただ足踏みしている。俺自身がすべきことから背を向けていた。

「俺はどうすれば良いんだよ……ナナ。」

 答えるまでも無い問いと、最愛の少女の名前が口から溢れ出る。自分のすべきことは分かってる。なのに踏み出せない。もう俺は昔のようにがむしゃらに前を進むことが出来なくなってしまった。

 その時だった。どこからともなくやって来た淡い風が、体を優しく撫でた。その風は一つの塊のようになって、とっ、と俺を小突く。不意を突かれ、若干の視界がよろめく中で、一瞬の間だけ山吹色の髪がそこにはあった。

──ナナ!

 もう離さない、その一心で必死に伸ばした腕は無惨にも空を切る。正常に戻った視界には誰もいない。しかし、見間違えるはずもない。彼女は確かにいた。そして、悩んでいる俺を小突いて、目を覚まさせようとした。俺に進めと伝えたのだ。

 幻想かもしれない、まやかしかもしれない、況してや彼女と言う姿をかさに着た都合の良い考えに違いない。それでも、俺は信じたかった──

 俺は慌てて家の中へ飛び込んだ。床に落ちている上着を着て、開けっ放しの物置の奥底へと手を伸ばす。ホコリ被ったそれを片手に商店街へと走った。



 商店街を闇雲に歩き回っても意味は無い。そんなことで見つかるのであれば、そもそもこんな自体にならないはずだ。セオリアと犯人は王国から出ていない。それは紛れもない事実だろう。だとすれば一体どこで身を隠しているのか。

 誰が、何のために、どんな目的で、よりによって何故このタイミングでこんな事をしたのだろうか。

 疑問は一向に解決せず、積もるばかりである。

 商店街の真ん中で人々と交差する。すべてが怪しく、すべきが敵に見えてしまうような錯覚に陥る。このままでは埒があかない。焦るな。考えろ。相手の感情を読み取り、行動を予測しろ。犯人は身動きが取れないこの状況で、どうやってこの国から脱出するつもりなんだ。

 そんなことを考え込みながら、商店街の奥深くへと歩みを進める。

「きゃあ!」

「うぉ!」

 商店街の角を曲がろうとしたところで誰かとぶつかる。同時に木箱が音を大きなたてて落ち、中味の果物が辺りに散らばる。思考の渦に呑み込まれていたせいであろうか、前を気にするのを疎かにしていた。何だか申し訳ない気持ちになって、ぶつかった衝撃で尻餅をついた少女に手を伸ばす。

「君、大丈夫か…ってミーシャじゃないか。」

「ハバキリさん!?急にぶつかって、す、すす、すみませんでした!」

 ミーシャは目を大きく見開き、慌てて立ち上がると、残像が見えるくらいの勢いで頭を下げた。今にも泣き出しそうな声が小動物を彷彿とさせる。思わず少し笑ってしまった。

「気にしないで、俺の不注意のせいでもあるから。拾うの手伝おうか?」

 そう言って、俺は落ちた果物を木箱の中に入れる。木箱の中には綿の様なものが詰められていたおかげで、傷が一つもついていなかった。その事に安堵しながら、ミーシャと一緒に果物を次々と詰め込んだ。その時、ふと思った。

──待てよ、木箱と言えば確か…

 今朝、たまたま出会ったジャック・ゴルバーのことを思い出す。

あの人気の少ないタイミング。あの時に抱いた明らかな不自然さと違和感。あの男が向かった方角。覇気の欠けらも無い後ろ姿。そして、台車で大切そうに引いていた巨大な木箱。

 頭の中でバラバラになっていた歯車が噛み合った。

 もし、この考えが真実であれば時間がない。急がなければ、間違いなく逃げられる。もう2度と、彼女と合うことがなくなってしまう。

「じゃあ、俺はこれで。」

 果物を拾い終えるとミーシャの返事を待たずに俺は走り出した。ひたすらに足を動かし続けた。息が上がっても飲み込むように押し殺し、鉛と化す足に鞭を打ち続けた。

 事件の真相はすぐそこだ。後押しするかのような風が、そう確信させてくれる。




 何も見えない。

 何も聞こえない。

 動けない。

 動かない。

 徐々に覚醒しつつある意識のなかで、私は誘拐されたのだと察した。目に布のようなものが巻かれ、手足は何かで拘束されている。膝を伸ばそうにも何かに当たって阻害させられる。

 分かるのは、何かに閉じ込められ自分がどこかに連れ去られているという事実と、私のことを誰も助けに来ないという現実だけだった。

 強くなければいけない。何者にも屈してはいけない。それが王族としての、何より国の上に君臨する者としての、義務であり、指名である。それなのに、そう出なきゃいけないのに……怖い。全身が自分の意思に反するように畏怖している。肌から伝わる振動が心臓の音と呼応して震えている。

 幸い口は塞がれていない。助けを呼ぼうとすればいくらでも叫ぶことができる。しかし、それでも口は言葉にならないほどの掠れた弱弱しい声しか出なかった。魔法の仕業でも何でもない。表面上では屈していないと言い張っていても、私の心はとっくに折れていたとでも言うのか。どうしようもない真実が突きつけられた気分だ。女が剣を握らないというこの国の摂理のように、認めたくもない真実が私の前に立ち塞がる。悔しい。何も出来ない自分が悔しい。

 この後、私の身がどうなろうが構わない。それよりも私が私で無くなるほうが何よりも恐ろしかった。無償の恩を与える白馬の王子様なんて絵空事は望まない。それでも、お願いだから───誰か助けて!



「やっぱりいた。」

 口にも出せない心の叫びが届いたかのように、聞き覚えのある男の声が微かに聞こえた。ゴソッと擦れた音が鳴ると何かが私を包み込んだ。真っ暗だった視界に光が差し込む。頭に巻かれていた布が取り払われたのだ。ぼやけた視界がはっきりすると、私はすぐにその正体を確認した。

「よ!また会ったな。」

 この国では珍しい黒髪をなびかせた少年は子供っぽい笑みを浮かべてそう言った。私は目を見開かずにはいられなかった。彼のことを見間違えるはずがない。忘れるはずがないのだ。

「あ、あなたはハバキリ・アマノ……」

 恐怖で震えていた口は何の戸惑いも無く呟かれた。その言葉が自然と不安を払拭する。

 しかし、心臓の震えは落ち着くどころかむしろ強く高鳴っていた。初めての感覚だった。名前の知らないそれは、不思議と心地よい。

「ほら、さっさと逃げるぞ。早く立て。」

「ここは?」

「貨物船の中だ。ここは荷物室とでも言ったところか。もうすぐ船が出る。その前に早くここから出るぞ。」

 ハバキリ・アマノはそう私に促す。彼の急ぎようからして、無断で侵入して来たのだろう。

 しかし、私の行動はそれに反していた。否、そうせざるを得なかったのだ。頭では立とう立とうと思っていても、力が全く入らない。

「なんだ?もしかして、腰抜けてる?」

「……はい。」

 ハバキリ・アマノの指摘に私の顔は熱を帯びた。穴があったら入りたいとはまさにこのことを言うのか。もしあったとしても、今の状況では隠れることすらままならないだろうが。

 助けを求めるようにハバキリ・アマノへ無言で訴えかける。彼は困った顔をしていた。

「…ったく、しょーがねーな。」

 彼がそう言うと、突然、私は浮遊感を覚える。彼の腕が私を優しく抱きかかえていた。それが俗に言うお姫様抱っこだと気付くのは、いとも簡単なことだった。彼はそのまま急ぎ足で歩き出す。

 緊急時だからとは言え、やはり気恥ずかしいもので、私はしばらくの間彼を直視できなかった。

「ちょっとそこのお二人さん。どこへ行こうとしてるのかなぁ〜?」

「ゲハハハ、逃がさねーぜ!」

「うわぁ、バレるの早いなぁ。リョウのやつ、あれだけ時間稼いどけって行ったのに……」

 敵に見つかった。いや、この場合、待ち伏せされたと行ったほうがいいのかもしれない。ざっと見て相手は6、7人いる。勝てるはずが無い。いくらハバキリが強くても、数の利には敵わない。彼だってそれを分かっているはずだ。にもかかわらず、ハバキリの目はなお死んでいない。むしろ余裕すらあるように見える。

「お前はここで待ってろ。」

 彼は私を端へ優しく降ろしたあと、私に背中を向けた。このままでは彼は死んでしまうかもしれない。

 待って、と言いたかった。無茶だ、無謀だと言って彼を引き止めたかった。なのに、私は最低だ。最低最悪の人間だ。こんな状況で、彼を助けることも力になることも出来ない中で、少し期待している自分がいる。もしかしたら、彼ならば、ハバキリ・アマノならば出来てしまうのではないかと。

「来いよ。お前らに剣というものを一から教えてやる。」

そう言って、彼は剣を構えた。

























































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