新生

 歴史は生き物だ。私たちは、巨大な龍と共に生きていく。

 ティアマット。

 海は切り裂かれ、新たな世界が生まれる。

 創造し、維持し、破壊する女神。私の名前にはそのような意味があったという。

 今の私は「個人」ではない。

 私は世界樹を眺めながら天に昇る。古き神々の遺産だという世界樹を超え、大気圏外に抜けた。

 何て美しいのだろう。

「地球は青かった」

 かつての地球の宇宙飛行士の言葉を思い出す。私も、その宇宙飛行士と同じく、母なる惑星ほしの美しさに見とれる。


 長い、夢を見た。



「委員会の連中が騒ぎ出す前にサッサと降りるんだ」

「もちろんだ」

「後は俺が何とか奴らを言いくるめよう。気をつけて行け、果心、緋奈」

「了解した、フォースタス。いや、


 石の卵が天から水に落ちる。


蓬莱ホウライは内乱の真っ只中だから、泰夏タイシャに頼るしかない」

「どの王家に頼るの?」

子鳳しほう…もう一人のフォースタスの実家…。あいつの種違いの兄貴に頼もう」

 私は果心カシン緋奈ヒナと一緒に空中帆船に乗って旅をしていた。この二人は魔法戦士の夫婦だけど、私の実の両親ではない。

 私、この二人の子供だったら良かったのに…。何度かそう思った。果心と緋奈は黒目黒髪だけど、私は二人とは違って、青い目に淡い金色の髪を持っている。私は正体不明の孤児だった。

 私たちは〈緑の大陸〉東方の大国・泰夏に来た。この国には、東西南北四つの王家があり、その四王家の男性王族たちの中から、泰夏皇帝が選ばれる。ただ、皇帝に選ばれるためには、厳しい修行に耐えなければならない上に、生涯独身の純潔の身でなければならないという。

 フォースタス、またの名を趙翔ちょう しょうあざなは子鳳は、皇帝候補者の立場を捨てた人だった。この人は「泰夏皇帝は純潔の身でなければならない」という掟を逆手に取り、父「北王」の後宮の女性に頼み込んでを捨てようとしたのだ。しかし、それが事前に知られ、半ば呆れられながら「皇帝の雛の巣」から追放された。

 フォースタスの種違いの兄である趙蘭ちょう らん将軍ことランスロット・ファルケンバーグは、元々〈緑の大陸〉西方の大国アヴァロン帝国の〈東方十二諸侯〉の一つファルケンバーグ家の一員だったが、お家騒動により国を追われ、母親の公妃と共に泰夏に亡命し、公妃は北王の側室になり、ランスロットの異父弟フォースタスを産んだ。フォースタスが泰夏の王族でありながらも西域風の名前を持ち、ランスロット義兄あに上が泰夏風の名を持つのは、そういう事情があるからだ。

 果心と緋奈は、フォースタスと私の師匠だった。剣術と魔術、さらには様々な言語や学問。私たちは貪欲にそれらを学んでいった。

 多分、それが自分が何者かを知る鍵となる。幼い私は直感的にそう思った。


「ねえ、果心」

「何だ、アスターティ?」

「大昔は動く紙芝居があったって本当なの?」

 私たちは、果心と緋奈に太古の話について尋ねる。果心たちは、太古の驚異的な文明について語る。

「今では失われた技術テクノロジーが不可能を可能にしていたんだ。〈聖なる星〉から来た人たちがこの世界を開拓して、人々が住みやすくしたんだよ」

「その人たちって神様?」

 果心はしばらく首を傾げてから言う。

「まあ、今の世の中なら神様だろうね」



 泰夏タイシャの北王は、いや、北王の側室の一人である元公妃は、私をフォースタスの許嫁いいなずけにした。

 確かに私は、フォースタスが好きだ。しかし、泰夏の王家が正体不明の孤児を婚姻関係で取り込むのは奇妙だった。

 北王家の公子であるフォースタスは、皇帝候補者の立場を自らドブに捨てていたので、半ば実家から勘当同然の身だった。そんな彼を庇護しているのは、異父兄の趙蘭将軍…ランスロット義兄あに上だった。

 私は15歳になっていた。

「アスターティ、お客様よ」

 義姉あね上が呼んでいる。

 ランスロット義兄上の妻である義姉上は泰夏の東王家の公女で、本名は田琳でん りんという。義姉上も義兄上と同じく、優れた魔法戦士の資質を持っている。

「はーい」

 私は返事をする。

「お客様?」

 私と同い年の女の子が訊く。赤い目に白い髪と白い肌の女の子だ。この子は病弱な体なので、あまり外には出られない。

「誰だろう?」

 私は客間に行った。

 義母はは上が客人に私を紹介する。そこには果心と緋奈もいる。私の養父母であり、師匠でもある二人は、いつまでも若い姿だ。私が物心がついた頃から、二人は変わらない。

「オースリン様、この子がアスターティです」

 そこには、黒髪の西域人女性がいた。年はおそらく40歳前後、理知的な美人だが、私はこの人が強力な魔法戦士であるのを感じ取った。

「アスターティ殿、初めまして。私はアヴァロン帝国の宰相、オースリン・フォーチュンです」


「アスターティ、行っちゃうの?」

「ごめんね、清香サヤカ

「あのオースリン様というお方、私のお父さんと知り合いらしいけど、お父さんは今どこにいるのかな?」


 私はレディ・オースリンの養女として、空中帆船に乗り、アヴァロンへの旅に出た。フォースタスとの婚約はそのままで、私は泰夏から出て行った。

 フォースタスはすでに、私たちとは別に武者修行の旅に出ていた。宰相オースリン一行は衛兵たちに守られていたが、フォースタスは一人旅だった。

 レディ・オースリン…母上は帝国の宰相であると同時に、帝国の〈筆頭剣士〉である。魔法戦士の大半は剣を武器にするが、アヴァロン帝国の魔法戦士たちの頂点とされる者こそが筆頭剣士だ。

「アスターティ」

「は、はい」

「私もあなたと同じく孤児だったのよ」

 私は目を見開いた。大国の宰相が孤児だったとは、驚くべき身の上話だった。

天女船フーリーシップ。あなたも聞いた事があるでしょう? 私はあの船から逃げ出してきたの」

 天女船とは、「天女」と呼ばれる神秘的な美女たちを乗せて空を飛ぶ帆船である。この空中帆船は数年に一度、地上に降りて、天女たちが男性たちとの間に子供を作ると言われている。男の子は地上の人間に預けられ、女の子は新たな天女として船内で育てられる。

「つまり、私は天女のなり損ないなのよ」

 母上は自嘲する。

 私たちが乗る空中帆船の窓の向こうに、世界樹が見える。大体、大陸の真ん中辺りだ。あの世界樹を取り巻く神殿には巫女たちがおり、人々に予言や預言をする。その周りには、聖地として集落が出来ていた。

「なぜ、あなたが私の養女になったのか。それは、泰夏とアヴァロンの友好関係のためなの。アヴァロン王家の養女になった私の、さらに養女になったあなたがフォースタスと結婚する事が、二つの国の架け橋となるのよ」



 私たちの空中帆船は大陸を横断し、島に渡る。緑の島アヴァロンだ。アヴァロン帝国の領地は大陸の西部まであるが、この島こそが帝国発祥の地だった。

 アヴァロン帝国の首都アヴァロンシティは、西域の大国にふさわしい繁栄がある。私は、その豊かさに圧倒された。

 母上…アヴァロン帝国宰相にして筆頭剣士であるレディ・オースリンの屋敷は、書生などの食客たちが養われていた。そして、母上の夫である父上は、アヴァロン大学の学長だが、この世界最古の大学は、帝国そのものよりも歴史が古いという。

 私は、その最古の大学を目指す。魔法戦士たちの最高学府だ。

 そして、母上の実の息子であるニケ…イクティニケ・フォーチュンと彼の妹ナンナ・フォーチュンがいた。ニケは私と同い年であり、ナンナは2歳下だった。

 私はこの国の皇帝と面会した。

「君が噂のアスターティだね。よろしく」

 現皇帝べレナス陛下はまだ22歳、威厳よりも親しみやすさを感じさせるお方だ。陛下は、先帝である父君を亡くしたばかりの新米皇帝だった。

 ちなみに先帝の即位には不思議な事情がある。先帝の兄であるお方が突然弟に譲位し、自ら大船団を率いて大航海に出たのだ。

「伯父上は父上の葬儀が終わってから、またいなくなったけどね」

 陛下は苦笑いした。


 桜吹雪の中、私はアヴァロン大学の練兵場を見学する。魔法戦士たちが〈マスコット〉の訓練をしているが、マスコットとは魔法戦士たちの補助をする動物たちであり、人の言葉を話す。主に犬や猫であり、他の動物たちもいるが、犬や猫の方が多く、犬は「化け犬」カバル(cabal)、猫は「化け猫」キャスパルグ(cathpalug)と呼ばれる。彼らマスコットたちは魔法戦士ほどではないが、ある程度の魔法を使える。

 そこに、一人の若い男性魔法戦士が一匹の犬を連れていた。愛嬌のある卵型の顔をした白い犬、そして、懐かしい人。東方の人間に多い黒髪と黒い目の人は微笑む。

 私の愛しい人。

「フォースタス!」

「アスターティ?」

「久しぶりね」

「元気か?」

「ええ、ここの暮らしにはまだまだ慣れないけどね」

 私たちは桜並木を見渡す。それぞれが体験した事を話しながら、私たちは並木道を歩く。

 フォースタスは言う。

「この世界には三種の神器がある。一つは東の果ての島国蓬莱ホウライにある〈聖鏡〉、もう一つは世界樹の巫女たちが護る〈聖剣〉、そして、常にどこかをさまよい続ける〈聖杯〉だ」

「聖杯?」

「その聖杯とは、三種の神器の中で最も神聖な奇跡の力を持っている。ただ、その実態は誰も知らない」

 聖杯。それは〈聖なる星〉から伝わった宝だという。私たち人間は、〈聖なる星〉からこの大地に降りた神々に作られたと言われている。

「そうだ、ちょうど良かった。以前の仕事の報酬のオマケとしてもらったのだけど…」

 私たちは立ち止まる。フォースタスは腰のポーチから小さな巾着袋を取り出し、私に中身を手渡した。金色の鎖に、金色の星型の飾り。

「この首飾りは?」

「魔除けのお守りらしいんだ。お前にやる。多分、似合うよ。お前は『フォーチュン』だから」

 私は星型の飾りを見る。表は何もなくつやつやしているが、裏を返すと文字がある。

〈FORTUNA IMPERATRIX MUNDI〉

 運命の女神、世界の支配者。星形のペンダントトップの裏面には、そう刻印されている。


「ありがとう、フォースタス」


 私の愛しい人、フォースタス。多分、私は生まれる前からあの人を知っていた。

 私は自室の窓から夜空を眺める。私たち人間や他の生き物たちを生み出した神々がいたという〈聖なる星〉。その星はどこにあるのだろう?

 流れ星が視界を横切る。


 武器ではなく花を。平和の果実を食べに行こう。


 あの天の向こうへ。

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