Fortune ―ファウストの聖杯―
明智紫苑
本編、アスターティ・フォーチュンの物語
桜吹雪の季節
「やっぱり桜ってきれいね」
アヴァロン連邦暦345年、4月。桜吹雪の季節が来た。私は今年も、セントラルパークの桜並木の写真を撮っている。かつては地球の日本の象徴だった花。淡いピンクの雲のように、セントラルパークを埋め尽くしている。
公園には、何組かのカップルがいる。家族連れもいる。ペットと散歩している人たちもいる。いずれも「人間」。そう、普通の「人間」だ。
私も表向きには、普通の人間として生きている。しかし、本当は違う。
バール(baal)。人工子宮から産み出される人造人間。私、アスターティ・フォーチュンは、アヴァロンシティの内陸部アガルタ特別区にある研究機関〈アガルタ〉の人工子宮から産まれた人造人間なのだ。
私たちバールは、人間たちの「錬金術」の産物だ。どれだけ優れた資質の人間を産み出せるか、どれだけ肉体的な若さを保てるか? かつての地球人たちの夢から産まれたのが、私たちバールだ。
アガルタ生まれの「官製」バールたちは、兵士や警察官や看護師として使われる。その姿は、ほとんど普通の人間と変わらない。私の髪はプラチナブロンドで、目は空色だけど、普通の人間の北欧系白人の女の子と変わらない姿だ。しかし、裏社会とのつながりのある民間企業が産み出すバールたちは、目や髪の色が人間離れしている人たちが少なくないらしい。さらに、手術で耳を猫や
そのように人間離れした姿形に作り出されたバールたちは、違法な性風俗産業で使われるそうだ。さらに、一部の富裕層が道楽でそのようなバールたちを手にいれて「かわいがる」らしい。私、そのような境遇でなくて良かったな。
私は今、学校で軽音楽部にいる。なぜなら、私はプロのミュージシャンを目指しているからだ。そう、私はアガルタの先輩たちには許されなかった「自分の望み通りの」生き方を許されている。
その代わり、私には重大な使命がある。それは、私自身のもう一つの夢でもある。
「フォースタスの新作」
カメラ付き携帯電話で一通り写真を撮り終えた私は、ベンチに座って本を読みながらミルクティーを飲んでいた。しかし、家でじっくり読んだ方が良いと思って、バッグに本をしまい、ミルクティーの空き容器をゴミ箱に入れた。この小説の作者こそが、私の大切な人なのだ。
7月になれば、私の誕生日。それを過ぎた秋には10年生、
私は、アヴァロンシティのアガルタ特別区にある研究機関で産まれた。アガルタにある人工子宮には、地球の神話に登場する大地母神の名前が付いている。私と弟アスタロスは〈アシェラ〉という名前の人工子宮から産まれた。そして、私の名前は〈アシェラ〉と同じく古代フェニキアの女神に由来し、弟の名前はその女神を元に作られた男性の悪魔に由来する。
アスタロスは、私の2歳下の弟だ。しかも、遺伝子上でも血のつながっている「実の弟」だ。私とアスタロスが並ぶと、双子のように似ている。
しかし、私は6歳になってからアガルタを出て、「人間」として暮らし始めた。私の里親となったのは、アガルタの研究者の一人である「お母さん」ミサト・カグラザカ・チャオ博士の親友である「ママ」ミヨン・ムーン・ヴィスコンティ女史だ。
「ママ」ミヨンさんは芸能事務所〈ゴールデン・アップル〉の社長だ。私は、ミヨンママの下で色々と勉強する事になった。私は「人間」としての戸籍を得て、「アスターティ・フォーチュン」という名前の人間として暮らしている。私はミサト博士を「お母さん(Mother)」、ミヨンさんを「ママ(Mom)」と呼び分けている。私にとって二人は「人間としての母親」なのだ。
私は、ミヨンママの実子であるミナ…カーミナとブライアンと一緒に暮らし始めた。この二人は、私にとっては義理の姉と兄だ。ただし、私は正式にヴィスコンティ家の養女になったのではない。私はあくまでも「アスターティ・フォーチュン」という個人だ。
✰
「どうだ、アスターティ。お前も弾いてみるか?」
私がアガルタを出る前の日、アガルタの研究者の最長老、フォースタス・マツナガ博士は言った。私とアスタロスは、博士のピアノの演奏に聴き惚れていた。
私の隣にいる人も、目を閉じて感動していた。
フォースタス・チャオ。ミサト博士の息子で、私より5歳年上。この人の名前は、マツナガ博士にあやかって名付けられた。そして、この人は私の婚約者だ。
私の外界での「使命」とは、この人との関係だ。
私たちバールは、本来ならば生殖能力を持たない。いや、持たされていない。性行為自体は出来ても、子供は作れない。それゆえに、民間企業製バールたちは、アンダーグラウンドの性風俗産業で重宝されている。しかし、私は違う。
去年、私は初潮を迎えた。そして、アガルタで検査を受けて、妊娠能力があるのを確認された。
なぜ、バールである私はフォースタスと婚約したのか?
アガルタの研究者たちが言うには、人類は
そもそも、バールたちは元々人間の亜種である人造人間であり、様々な点で人間より優れた資質を持っている。その「強い」血を人類と混ぜ合わせる。それで実験台に選ばれたのが、アガルタの研究者の一人ミサト・カグラザカ・チャオ博士の息子であるフォースタスと、古代フェニキアの太女神の名を持つ私だった。私は、アガルタの研究者たちから次世代の「聖母」「女神」となるべく期待されて産み出された。
「生ける偶像」「超人類」であるバールたちを、再び「人」に戻す。そんな重大な使命のために、私たちは婚約したのだ。だけど、私はまだまだ子供だ。フォースタスからは「妹のような存在」としか見なされていない。フォースタスは私に優しくしてくれるけど、私はあの人の後ろに他の女性の影を感じる。
確かに私はまだまだ子供だから、フォースタスと深い関係になる訳にはいかない。だけど、私はあの人の心を奪う見知らぬ人たちに嫉妬していた。
ただ、私自身も常に誰かに嫉妬されていた。いや、多分、今でも誰かに妬まれているだろう。バールたちはたいてい、知能や身体能力の高い美男美女として産み出されるが、私は学校では、見た目や学力や運動神経などで一方的に嫉妬され、距離を置かれていた。
しかし、子供社会であからさまないじめを受けるのはむしろ、家が貧乏だったり、勉強や運動が不得意だったり、容姿やコミュニケーション能力に恵まれないなどという、明らかな「弱者」の立場にいる子たちだった。私はその子たちに同情していたけど、何も出来なかった。なぜなら、私自身が新たないじめのターゲットになるのが怖かったからだ。それに、ああいう子たちは、下手に助け船を出されてもかえって逆恨みする場合があるのだ。
実際、自分に馴れ馴れしく親しげに振る舞う「正義の味方」気取りのクラスメイトを罵るいじめられっ子がいたのだから。
✰
かつての日本には「
そして、ある女性作家はこの「姥皮」を「女社会」のサバイバル術になぞらえた。女は自らの美質を鼻にかけてはいけない。さらに、自らの美質それ自体に対して「無自覚」のポーズを取らねばならない。他の女たちの嫉妬心をかき立ててはいけない。そして、他の女たちを出し抜いて男に取り入ってはならない。
それで、過酷極まりない女社会でのサバイバル術として、いかにうまく「自虐のフリ」「自己評価が低いフリ」が出来るかが重要になる。例えば、他の女から「あんた、胸大きいね」と言われたら、すかさず己の腹の肉をつかんで「お腹の方が立派だよ!」と自らを笑いものにする演技だ。
この「姥皮」理論の作家は日本人女性だったから、かつての日本の女社会限定であるかのように思える。しかし、実際には日本人女性だけの事情ではないし、現代の惑星アヴァロンだって例外ではない。
性差や民族性などの違いを超えて、人は他人の優越感やナルシシズムを嫌う。
私はヴォイストレーニングを受けている。それに、中学校に入学してから作詞作曲を始めた。ピアノやギターを弾いている。
私は中学校では軽音楽部に入っているけど、後輩のルシール・ランスロットという女の子とは仲が良い。この子は明るくサバサバした性格で、他人に対して嫉妬心をあらわにする事態は滅多にない。さらに、ルシールの幼なじみで親友のフォースティン・ゲイナーという女の子もいる。この子もルシールと同じく一年後輩なのだが、美術部員だ。ルシールが強気なキャラクターなのに対して、フォースティンは温厚でおとなしい性格だ。
ルシールは日本人のご先祖様がいるらしいけど、燃えるような赤毛。それに対して、フォースティンは私の髪に似たプラチナブロンドだ。この二人は、髪の色からしていいコンビだ。
ルシールの実家はラーメン屋で、結構人気があるお店だ。この店はラーメンだけでなくカレーも扱っている。ご両親とお兄さんが、この店を切り盛りしている。
フォースティンには二人のお姉さんがいる。上のお姉さんジェラルディンは内科医で、下のお姉さんマリリンはロックバンド〈フローピンク・アップルズ〉のリーダーでヴォーカリストだ。
この二人に対しては、余計な演技は必要ない。ただ、自分がアガルタ生まれのバールである事を隠すだけ。
「ねえ、アスターティ。あんたのクラスにマークという男の子がいるよね? 作家のアーサー・ユエの息子」
私たち三人は、学校帰りにオープンカフェに立ち寄っている。そこで、ルシールが私のクラスメイトの話題を持ち出した。
マーク…マーカス・ユエ。フォースタスの大学時代の恩師であるアーサー・ユエ先生の一人息子。彼は私とはまた別の方向性で、クラスの「異分子」だった。
別に、誰かをいじめても誰かにいじめられてもいない。ただ、クラスメイトたちと距離を置いている。私が自分の正体を隠している上に、女子クラスメイトと一部男子クラスメイトの嫉妬や劣等感を不愉快に思うのとはまた別の「影」が感じられる。
外見は、そこそこ美少年と言っても良いくらい整っている。何しろ、父親のユエ先生は、少年時代は天才子役俳優として売れっ子だったし、画家である母親のライラ・ハッチェンスさんは、ミステリアスな美貌の女性だ。私はライラさんを写真でしか見た事がないけど、マークは間違いなく母親似だ。
「あの人、しょっちゅう一人で駅前のゲームセンターに寄っているようだけど、友達がいないのかな?」
「確かに、あの子はクラスのみんなから距離を置いているね。私も話しかけづらいし、第一、下手に近づいて変な噂なんて立てられたくないもん」
「確かに、なんか暗そうだね」
そう。もし私がマークに近づいたら、一部の女子クラスメイトが悪意たっぷりの噂を流すだろう。ミーハーで小賢しい連中。男子クラスメイトにいじめられて「男嫌い」になってしまっている女子クラスメイトに、わざとらしく「今、好きな人いるの?」と、相手の神経を逆なでしていたぶる質問をするバカ女たち。
確かに私が、あんな連中から「孤立」しているのは大正解だ。さもなくば、私は精神的に汚れまくるだろう。
そんな連中なんかより、このルシールとフォースティンの方がはるかに人間として、そして同じ「女」として信頼のおける子たちだ。少なくとも、今の私にとって「親友」と呼べるのは、アガルタの外ではこの二人だけだ。
「ロクシーの新曲、いいよね」
フォースティンは言う。
ロクシー…ロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンド。元々カリスマモデルだった人気歌手。金髪碧眼の華やかな美人。今の私にとっては雲の上の人だけど、私がやりたい音楽とは違う。私がロック志向なのに対して、ロクシーはダンスミュージックの歌姫だ。
少なくとも私は、歌手としてのあの人は嫌いではない。しかし、どうもあの人には何か秘密がありそうに見える。私が正体を隠して「普通の人間」として暮らしているように。
「これから歌いに行こうよ」
ルシールは、これからカラオケボックスに行かないかと言う。私はもちろん、賛成した。これもヴォイストレーニングの一環なのだから。
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