4

 ターラン大公は、もじもじと居心地悪そうに身動きし、眉を顰めた。

 ぴーんと張り詰めた緊張が、その場を支配している。誰も、言葉もなく、三村を──アラン王子──と、エリカ姫を見詰めていた。

「どうか、なさいましたかな? わが国の出迎えに、何か、手違いでも?」

「いや」と、三村が王子らしく、悠揚迫らぬ態度を保ったまま、軽く会釈をする。

 唇の端に軽く笑みを浮かべながら、大公を見詰め「お国の歓迎には、深く感謝いたしております。両国の友誼は、ますます深まるでしょう」と、すらすらと答えた。

 しかし、三村の横に、べったりと貼り付くように控えていた騎馬隊長は、そうではなかった。

 表情に、ありありと不審の念を浮かべ、澄ました顔で端座しているエリカ姫を睨んだ。

「そちらの……エリカ姫と仰いましたな……。我ら、全く同じ顔をした曲者に出会っておるので御座る!」

「曲者ですと?」

 大公は、思い切り渋面になった。

 穏やかな温顔をした、品の良い物腰をした老人が、困惑の表情を浮かべている。

 騎馬隊長は、さらに厳しい顔付きになった。

「さよう……アラン王子殿下は、あろうまいか、貴国に向かう旅の途中、兵士と偽った女暗殺者の襲撃を受けたので御座る! その暗殺者こそ、そこにおわす、エリカ姫!」

 いきり立ち、隊長はさっと立ち上がった。指を姫に突きつけ、怒号する。

「咄{とつ}! 貴様の正体は何だ! きりきりと白状いたせ! 王子殿下を狙った訳は? 背後に糸を引くのは、大公殿か?」

 あーあ、本気で時代劇やってらあ、と市川はシラけていた。本人は大真面目なのだろうが、傍から見ると、馬鹿みたいである。

 しかし、大公は騎馬隊長の台詞に、まともに反応した。

「余に疑いを掛けるだと? お主こそ、正気であろうな? いいや、正気であるはずがない! 正気であれば、そのような世迷言、口にできぬわ! 証拠があるのか?」

 ざざっ、と音を立て、ドーデンとバートル両国の兵士が身構えた。皆、剣の柄に手をやり、今にも抜き放とうという勢いだ。

 その時、広間の入口から、ドーデン帝国の軍服を着た、一人の若い男が現れ、素早い動きで騎馬隊長に近づき、膝まづくと何事か口早に囁いた。

 騎馬隊長は、兵士の言葉に大いに頷く。

「わしは、王宮に招かれる直前、この兵士を斥候として辺りを探らせておりました! 何と、この者の調査によると、バートル国王宮近くに、乗り捨てられた我がほうの軽飛行機を発見した、との報告で御座る! しかも、飛行機からは、王宮に向かって、足跡が一筋、残されておった! 暗殺者は襲撃に失敗し、飛行船の軽飛行機に乗って逃走しております。これこそ、動かぬ証拠!」

 大公の唇は、怒りのためか、細かく震えていた。顔色は真っ青である。

 が、隣に座っていたエリカ姫は、全然、欠片ほども動じなかった。ゆっくりと顔を挙げ、真っ直ぐに三村を見詰める。

 ふっと、姫の口端に笑いが零れた。すっと一挙動で立ち上がると、無言で右腕を背後に回す。

 微かに刃の滑る音がして、まるで魔法のように、姫の右手には剣が握られていた。

 呆気に取られている全員の目の前で、姫は、たんっ! と床を軽く踏みしめ、跳躍する。

 姫の視線は、三村に向けられている。

「アラン王子っ! 覚悟っ!」

 姫の叫び声は、広間に凛と響いていた。空中で拝み斬りのように振りかぶる。

 市川は無我夢中で飛び出していた。

 ちらりと視界の隅に、洋子も同じように飛び出すのを認めていた。

 がきーんっ! と三人の剣が交錯し、危うく市川は、三村の脳天に殺到した姫の剣を受け止めていた。

 姫は背後の護衛兵たちに叫んでいた。

「皆の者! このアラン王子は、ドーデン帝国の尖兵ぞ! 妾との婚儀に託け、いずれはバートル国を併合しようとする、意図は明らかである! 国を愛する気持ちがあれば、妾と共に戦うべし!」

 それまで呆然と突っ立っているばかりだった護衛兵の間に、姫の喚き声は電流のように貫いた。

 ふらふらと彷徨っていた柄に置かれた手が、がっしりと握りしめられ、ざあっと津波のように剣を抜き放つ。

「うぬうっ!」と、騎馬隊長は興奮に顔を真っ赤に染め、剣を引き抜いた!

「者供っ! 王子をお守りしろっ!」

 わあっ! と一斉にドーデン側の護衛兵たちが叫び返し、バートル国側に突進する。

 がきーんっ、ちゃりーんっ! と、広間に数十人が一斉に切り結ぶ剣戟の音が響いた。

 市川と洋子は、夢中になって三村を守りながら、エリカ姫の攻撃を受け止めていた。

「ま、待てっ! 戦いはならん!」

 広間で、ターラン大公がおろおろ右往左往しながら、弱々しい叫び声を上げていた。

 だが、もはや誰も、大公の叫びに耳を貸す者はいない。

 糞! どうすればいいんだ……。

 市川は、大いに焦っていた。

 姫の攻撃を受け止め、刃を受け流す。だが、ただただ防御に徹するだけで、逆襲など考えも浮かばない。

 山田が近づいてくる。山田は手に武器を持っていない。代わりに、調理道具の麺棒を棍棒替わりに振り回している。

「市川君っ! こんな所に釘付けになったら、ヤバいぞ! 外へ逃げろっ!」

 山田の言葉に、市川は目が覚めたようになった。そうだ、何も馬鹿正直に戦っている場合じゃない!

 騎馬隊長に叫ぶ。

「飛行船へっ!」

 ただ一言だけで、隊長は理解したようだった。大きく頷くと、さっと腕を大きく回し、味方に、退却の合図をする。

 じりっ、じりっと後退を続け、出口へと近づいていく。三村の周りにはドーデン側の兵士が密集隊形を作って守っている。

 ようやく、出口へ辿り着いた。

 姫は諦める様子もなく、口をきっと引き結んで、剣を振るっている。

 市川の頭上に電球が灯った!

 新庄を見る。新庄は近衛兵たちの隊長らしく、足下まで隠れる堂々としたマントを翻している。

 市川は新庄に身を寄せた。

「新庄さん、あんたのマントを貸してくれ!」

 新庄は、くるっと市川に顔を向ける。市川の顔付きを見て、何か悟ったのか、無言で自分のマントを外すと、投げつけてきた。

 市川は新庄のマントを受け止めると、姫に向かって全速力で駆け出した。

 足音に気付き、姫が顔を捩じ向けた時には、すでに遅かった。市川は新庄のマントを、大きく広げ、すっぽりと姫を覆っていた。

 市川の右拳が、姫の鳩尾に決まっていた。腕の中で、姫の身体がくたりと力を失うのを感じる。

 市川は我ながら驚いていた。自分にこんな技があるとは、思ってもいなかった。無意識に身体が動き、熟練の戦士のように当て身を食らわしていたのである。

 しかし鳩尾に当身を食らわしただけで、相手が気絶するわけはない。息が詰まって、行動の自由を奪うかもしれないが、これで気を失うなどありえない。これもアニメの嘘……いや、ドラマの嘘だろう。

 姫の身体を担ぎ上げ、市川は城から飛び出した。城の前庭には、一行をここまで送ってきた馬車が停まっている。

「引き上げ──っ! 飛行船へ帰還する!」

 騎馬隊長が喚き、一行はまっしぐらに馬車に飛び乗っていく。三村は兵士たちに守られ、馬車に押し込められた。

 新庄は身軽に御者台に飛び乗ると、立てかけてある鞭をぴしりと鳴らす。

 馬が嘶き、馬車が動き出した!

 城下町を全速力で駆け抜け、飛行船を目指した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る