5

 新庄は楽な姿勢になると、口を開いた。

「『タップ』は危ねえってのは、本当だ。何しろ、外注の支払に、三ヶ月の先付け手形を切っているほどだからな。外注先からは、ぶうぶう文句を言われているよ。しかし『蒸汽帝国』が、きちんとオン・エアされれば、事情が違ってくる。何しろ、『タップ』制作って冠がつく……。今までの『タップ』は、大手の下請け、孫請けだったが、今度は元請だ! 代理店と直で取り引きできるんだ! もう、上の制作のピン撥ねなんか、一切ねえんだ……。それに、著作権料も入ってくる。それもこれも、『蒸汽帝国』がきちんと制作できるってえ、前提なんだ……」

 一気に捲くし立てると、背中を反らして、じろりと迫力ある目付きで全員を睨みつけた。

 新庄の目付きには「文句なんか言わせねえぞ!」と、無言の圧力が籠められている。

 市川は、ある疑問を口にした。

「どうして『タップ』が元請になれたんだ? 今まで下請けばかりだったんだろう?」

 新庄は苦笑いをした。

「木戸さんが、おれと同期だったからだよ! あいつとおれは、大学の漫研仲間だったんだ! あいつの口利きで『タップ』制作が決まったんだ!」

 今度こそ、全員に衝撃が走った。

 なぜか、市川に笑いの衝動が湧き上がる。

「な、な、なあーる、ほど……。あんたと木戸監督が同期の桜って、知らなかったよ!」

 けたけたと気違いじみた高笑いをする市川は、なぜこんなに可笑しいのか、自分でもさっぱり判らない。

 苦々しげな新庄、呆然とこちらを見ている洋子や、山田の視線を感じると、さらに爆笑の発作が襲う。

 山田が市川の背中を軽く叩いた。

「もう、その辺にしとけ」

 市川は「ひいーっ! ひいーっ!」と必死になって笑いの発作を抑え込む。あまりに笑いすぎて、息が苦しい。

 洋子が大きく、両手を上へ差し上げた。

「なるほどね、『タップ』の台所事情は、ぜーんぶ、判ったわ! でも、そんなの、あたしたちには関係ないわ! あたしは、どうしても、元の世界へ帰りたいわ! 何たって、こんな……こんな馬鹿げた衣装しか着られないなんて、耐えられないわ!」

 洋子は自分の身に着けている軍服を、忌々しげに睨んだ。

 胸元が大きく開き、ぴちぴちに短いスカートに、まるでSMショーの衣装のような長い革靴という格好である。じろっと市川を睨みつける。

「あんたのせいだからね! あんたが、こんな衣装を設定したから……。ねえ、どうしてもっと、まともな設定にしなかったの?」

 市川は、ぶすっと返答した。

「しょうがねえじゃないか。木戸さんの注文なんだから……」

 山田も考え深げに呟いた。

「おれだって、元の世界へ帰りたいのは同じだよ。おれにも家族がいるしな……。末の娘は来年、中学に進学だ。こんなところで、うろうろしちゃいられないんだ……」

 市川は、自分はどうなんだろう、と考えた。独身で、家族もない。恋人さえ、いなかった。

 杉並の、アパートに待つのは、DVDの山と、ゲーム機、それにネットに繋がったパソコンだけである。

 是非とも会いたいと思う、友人すら全然いない。

 思えば、中学卒業と同時にアニメ業界に飛び込み、無我夢中でやってきた。好きな仕事ができるだけで満足で、他の余計な考えが忍び込む余裕すら、欠片もなかった。

 市川は、それまで、ずっと黙って立ち尽くしている三村に注意を戻した。

 出し抜けに聞こえてきた〝声〟が、三村の役名である「アラン王子」の名前を耳にした瞬間、態度が激変した。

 三村は全員に背を向け、窓の外を食い入るように見詰めている。

 市川は、三村の背中に呼びかけた。

「おい、三村!」

 びくり、と三村の背中が緊張し、首がぐいと捩じ向けられた。

「は、はい、何でしょう……」

 表情に、以前の気弱な性格が戻ってきている。視線が、おどおどと周囲を彷徨った。

「おめえは、どうなんだ。おめえも、元の世界へ帰りたいんだろう?」

「は、はい……」

 一応、市川の問い掛けには返事しているが、まるで上の空だ。

 市川は心中「三村には注意すべきだ!」と決意していた。〝声〟の命令が本当なら、五人全員が揃っていないと、現実世界への帰還は難しそうだ。

 が、三村の様子を綿密に観察するにつれ、断固として現実世界への帰還を願っているようには、思えない。

 確かに自分には、待ってくれている愛しい相手はいない。元に戻っても、相も変らぬアニメ業界の、忙しい日々だろう。

 しかし、市川は、それでも構わないと思った。今、市川は、猛烈に、アニメの仕事への渇望が湧いているのを感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る