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新庄は楽な姿勢になると、口を開いた。
「『タップ』は危ねえってのは、本当だ。何しろ、外注の支払に、三ヶ月の先付け手形を切っているほどだからな。外注先からは、ぶうぶう文句を言われているよ。しかし『蒸汽帝国』が、きちんとオン・エアされれば、事情が違ってくる。何しろ、『タップ』制作って冠がつく……。今までの『タップ』は、大手の下請け、孫請けだったが、今度は元請だ! 代理店と直で取り引きできるんだ! もう、上の制作のピン撥ねなんか、一切ねえんだ……。それに、著作権料も入ってくる。それもこれも、『蒸汽帝国』がきちんと制作できるってえ、前提なんだ……」
一気に捲くし立てると、背中を反らして、じろりと迫力ある目付きで全員を睨みつけた。
新庄の目付きには「文句なんか言わせねえぞ!」と、無言の圧力が籠められている。
市川は、ある疑問を口にした。
「どうして『タップ』が元請になれたんだ? 今まで下請けばかりだったんだろう?」
新庄は苦笑いをした。
「木戸さんが、おれと同期だったからだよ! あいつとおれは、大学の漫研仲間だったんだ! あいつの口利きで『タップ』制作が決まったんだ!」
今度こそ、全員に衝撃が走った。
なぜか、市川に笑いの衝動が湧き上がる。
「な、な、なあーる、ほど……。あんたと木戸監督が同期の桜って、知らなかったよ!」
けたけたと気違いじみた高笑いをする市川は、なぜこんなに可笑しいのか、自分でもさっぱり判らない。
苦々しげな新庄、呆然とこちらを見ている洋子や、山田の視線を感じると、さらに爆笑の発作が襲う。
山田が市川の背中を軽く叩いた。
「もう、その辺にしとけ」
市川は「ひいーっ! ひいーっ!」と必死になって笑いの発作を抑え込む。あまりに笑いすぎて、息が苦しい。
洋子が大きく、両手を上へ差し上げた。
「なるほどね、『タップ』の台所事情は、ぜーんぶ、判ったわ! でも、そんなの、あたしたちには関係ないわ! あたしは、どうしても、元の世界へ帰りたいわ! 何たって、こんな……こんな馬鹿げた衣装しか着られないなんて、耐えられないわ!」
洋子は自分の身に着けている軍服を、忌々しげに睨んだ。
胸元が大きく開き、ぴちぴちに短いスカートに、まるでSMショーの衣装のような長い革靴という格好である。じろっと市川を睨みつける。
「あんたのせいだからね! あんたが、こんな衣装を設定したから……。ねえ、どうしてもっと、まともな設定にしなかったの?」
市川は、ぶすっと返答した。
「しょうがねえじゃないか。木戸さんの注文なんだから……」
山田も考え深げに呟いた。
「おれだって、元の世界へ帰りたいのは同じだよ。おれにも家族がいるしな……。末の娘は来年、中学に進学だ。こんなところで、うろうろしちゃいられないんだ……」
市川は、自分はどうなんだろう、と考えた。独身で、家族もない。恋人さえ、いなかった。
杉並の、アパートに待つのは、DVDの山と、ゲーム機、それにネットに繋がったパソコンだけである。
是非とも会いたいと思う、友人すら全然いない。
思えば、中学卒業と同時にアニメ業界に飛び込み、無我夢中でやってきた。好きな仕事ができるだけで満足で、他の余計な考えが忍び込む余裕すら、欠片もなかった。
市川は、それまで、ずっと黙って立ち尽くしている三村に注意を戻した。
出し抜けに聞こえてきた〝声〟が、三村の役名である「アラン王子」の名前を耳にした瞬間、態度が激変した。
三村は全員に背を向け、窓の外を食い入るように見詰めている。
市川は、三村の背中に呼びかけた。
「おい、三村!」
びくり、と三村の背中が緊張し、首がぐいと捩じ向けられた。
「は、はい、何でしょう……」
表情に、以前の気弱な性格が戻ってきている。視線が、おどおどと周囲を彷徨った。
「おめえは、どうなんだ。おめえも、元の世界へ帰りたいんだろう?」
「は、はい……」
一応、市川の問い掛けには返事しているが、まるで上の空だ。
市川は心中「三村には注意すべきだ!」と決意していた。〝声〟の命令が本当なら、五人全員が揃っていないと、現実世界への帰還は難しそうだ。
が、三村の様子を綿密に観察するにつれ、断固として現実世界への帰還を願っているようには、思えない。
確かに自分には、待ってくれている愛しい相手はいない。元に戻っても、相も変らぬアニメ業界の、忙しい日々だろう。
しかし、市川は、それでも構わないと思った。今、市川は、猛烈に、アニメの仕事への渇望が湧いているのを感じていた。
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