第03話「契りの詠唱」1/3
PM18:35 花札駅
避難誘導により
『
ここで創伍は一つ賭けてみた。シロが言っていた過去の理想像とは、創伍がスケッチブックに描いた創造物――つまり創伍の作品である鎌谷と思わしき者の目撃情報を掴めれば、そこを辿ってシロと落ち合えるのではという淡い希望を抱いていた。
「宿命が導いてくれる……か」
半信半疑ながらも、もう創伍にはこの道しか無い。我慢強くモニターに集中していると、導かれるように新しい速報が入ってきた。
『――先程、昆虫のような姿をした不審者によって起きた連続殺人事件に新たな速報です』
(ビンゴ……)
『犯人は花札学園から逃走。現在は電気街で目撃され、今もなお犯行を続けている模様。現在、全路線も別の犯行グループによる襲撃を受けて停止中のため、近隣の地区には避難勧告が発令……』
「ったく……長距離走派じゃねぇのにっ」
電車は使えない。ならば親に貰った足だけで行くしかないだろうと、全力疾走で電気街へ向かい出す。
今だけは不思議と息切れや疲労というのを感じなかった創伍は、健康な体に産んでくれてありがとう、と思い出せない両親に感謝するのであった。
* * *
PM21:00 電気街
家電量販店とオタクの聖地と親しまれている電気街。立ち並ぶビルの下、歩行者天国は地獄に染まっていた。
「うっ…………」
見るに堪えない光景で、直視しようものなら吐き気を催す。グレー色のアスファルトは、百人以上の死体の血と、切り裂かれた臓物や手足などの部位、胴や首などによって埋め尽くされ、ほぼ足場が無い。
「世界滅亡の日」の再現だ。怪物が人間を殺し、死体の山を築く。嘗てそれを望んだ創伍の絵が、忠実に再現されている。
そして――
「鎌谷……」
「フッフフ……キミに限って俺を追ってきたりは無いだろうとタカをくくっていたが、まさか微塵でも
それを再現した実行犯——鎌谷という名を被った創伍の作品が、腕と白衣を真っ赤に濡らし、下を向いて立ち尽くしていた。
「一体、どうしてこんなことを……!」
「どうしてか? その問いに答えてあげる前に、真城君――キミはカマキリの故事を知ってるかい?」
何故などという問いすら愚かしいと言わんばかりに、鎌谷は昨日までの様な教師らしい説明口調で語り出す。だが血に染まった彼の振り向く顔に、人間らしさなんて残ってはいなかった。
「『
カマキリに逃げるという選択はない。どれだけ強大な相手でも立ち向かい、勝てば捕らえた獲物を捕食して生きていく昆虫。
「そして王はカマキリを見てこう言ったんだ。『あの虫が人間だったら、天下を統一できただろう』……ってね。しかし今の私にとっては逆だ。私は今日まで耐えに耐えていたんだよ。こんな人間の姿のまま、一生なりたい物になれないまま無駄な日々を過ごしていくのが苦しくて堪らなかった……!」
「………………」
「私は『
「黙れ…………」
その昆虫の渇望は、己こそ唯一輝ける存在であり続けたい――最強と自負する為にあらゆる生命を刈り取る姿は、幼少の創伍が描いた理想像の一端でもある。
そう解釈するだけで、現在の創伍の中からは猛烈な嫌悪感が込み上げていく。
「気が狂ってると思うかい? でもそれは違うよ。むしろ嬉シくて感謝しているんダ。私や他の作品達を触発さセたきっかけは、我々と同じく『英雄』でありたいと願ッテいタ同志であリ、産みの親でモある真城君! 他ナラぬキミなんダカラねぇェェ!!」
「黙れ…………!」
「アりガトう真城クン! 本当ニアリガトォォォォッ! キミノオかげで私ハ英雄にナレる!! お人好シナ道化師ノオカゲデナアァァァァ!!」
「黙れえええぇぇ――っ!!」
こんな奴を描いてしまったために、多くの人が犠牲に――記憶に触れるまで知る由もなかった創伍の罪悪感と怒りが爆発し、彼の足を突き動かした。
創伍は血に染まったアスファルトの上を駆け、無謀にも鎌谷に殴り掛かる。
「っづああぁ――!!」
創伍にとって、初めて人を殴った瞬間だ。避けられもせず横顔に拳が直撃する。そこそこの手ごたえと、歯が数本抜け落ちたような生々しい感触が気持ち悪い。
「ククッ……」
「なっ……!?」
だが相手は人間ではない。手加減されていたとしたら、愚行極まりない行動。
「アァ痛イ痛イ……道化師ラシク何か手品の一ツでも見セテクレルノかと思ッタラ、まサカの無鉄砲とはね……」
「くそっ……!」
「生徒ノ顔ニ痣ヲ付ケルノハ嫌いダガ仕方ナイ。殴ルトイウノハナ――」
喧嘩は"ド"が付く程に素人な創伍はどう回避すればいいのか分からない。迷っている内に伸ばしていた片腕が掴まれ、顔面は無防備となっていた。
「コウヤルンダヨォ!」
「がっ……!!」
返された拳打は金属バットと変わらない重い打撃となり、創伍を路上へと叩き付ける。
「ぶ……! ごふっ……!」
口の中が切れ、血の味で満たされる。そして痛みは死への恐怖となって創伍の全身に伝わっていく。
「人生デ最初デ最後ノ喧嘩ハドウダイ? 痛過ギテ逃ゲ出シタイんじゃナいカイ?」
「冗談……じゃねぇ! ここまで来て、逃げるわけねぇだろ!!」
「ホウ。戯ケルだケダッタ道化師ガ今ハ勇マシイネ……デモ――」
鎌谷は起き上がろうとする創伍の眼前に立ち、脇腹目掛けて回し蹴りを放つ。サッカーボールのように蹴り上げられた創伍は、背中から思い切り街灯へ激突した。
「うあっ……!」
「コウモ実力ノ差がアッチャア、ウッカリ殺しチャウかモよォ!?」
今度は創伍の頭を電柱に押さえ付け、胸や腹に蹴りを打ち込む。鎌谷の力は常人のそれを遥かに越えており、コンクリートの塊を直接叩きつけるような重い一撃に、創伍は絶叫することすらままならない。
「フフ……コンナンで死ナレテは勿体無イ。ヤハリ殺す時は痛めツケテからヨリも、なるベク新鮮な状態カら綺麗に斬リ落とす拘リガあってネ」
「うぅ……っ……」
とうとう創伍にトドメを刺さんと、鎌谷の肌が突如変色をし、本来の姿へと戻り始めた。禍々しい巨大な手足とその指代わりとなる鉤爪、尖った前歯、蜘蛛のように連なった複眼と巨大な羽が不気味に生える。
ヒュー・マンティス――不気味な液体を滴らせた汚泥色の怪物が、創り主の眼前に立つ。
「僕は殺スツモリはなカッタンだけドねぇ。コノ世界の裏側ヲ知っテシマッた以上は、生カシテ帰セナインダヨ……!」
「……くそっ、たれぇ……!!」
手から生えた鉤爪が創伍に向けられる。多くの人々を斬り殺した刃の先から垂れる血が、彼の恐怖心を煽る。
このまま死ねる訳がない――せめて一矢報いたいものの、全身が痛みで麻痺してしまった創伍は、動くこともままならない。
「ソレジャ、サヨウナラダ道化師。キミラシイ何トモ惨メナ人生ダッタナ」
そんな創伍に容赦なく、無慈悲な死が下されようとした時――
「創伍――」
時間が止まった。健気な少女の声が、鎌谷の手を止めたのだ。
その声を聞いただけで、死の直前に絶望していた創伍は一気に救われた気持ちになる。
忘れもしない。聞くだけで心安らぐような彼女の声を……
「シロっ……! シロぉ!!」
鉄橋下の横断歩道――死体の海の中心に、シロが悠然と立っていたのだ。
* * *
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