第一章 奴隷皇子と亡命の魔女

2.十三歳の誕生日

 1425年1月6日、ヴァロニア王国 ヘーンブルグ領アレー村――。


 新しい年を迎え、ヘーンブルグにもようやく本格的な冬が訪れた。

 羊が出産シーズンに入り、年明け早々、村の羊飼いたちは朝から晩まで仕事に明け暮れていた。臨月の羊は暖かい小屋の中に移動させられ、大人の羊飼いが日夜交代で様子を見守っていた。


 村の少年ウィルダーは、羊小屋近くの干草置き場で干草の積みおろしをしていた。

 空には雪雲が広がり、真昼の太陽をさえぎる。風は冷たく、吐く息は白い。

 少し離れた羊の産屋うぶやから、幼馴染おさななじみの少女ジェードが飛びだしてきたのが見えた。少女は三角に折りたたんだ布を頭にかぶっている。その背中には、ゆるゆると波うった、長く黒い髪がゆれていた。

 ジェードはまわりをきょろきょろと見まわし、ウィルダーの姿を干草置き場に見つけると、手を振ると歩み寄ってきた。ジェードのほほは寒さで真っ赤に染まっている。

「さっき、もう一匹生まれたの。双子だったのよ!」

 朝に産気づいた一頭の母羊が、難産のすえ子羊を産んだ。その母羊は、産後もなかなか体力が回復せず弱っていると思ったのだが。どうやら腹の中にもう一匹子羊がいたらしい。

 十四歳のウィルダーは、おととし義務教育を終えて羊飼いの職についたばかりだった。羊の出産期は、まだ二度しか経験していない。同じ年頃の女の子たちは、少年たちよりも少し早くから職についているので、同じ年の男たちよりも経験では勝っていた。

「双子だって!?」

 ウィルダーは驚いて、干草の山からすべりおりてきた。

「あの母羊、朝に見たときはすっかり弱っていたから、もうダメかと思ってたよ」

 午前中、必死に母羊を介助していた幼馴染の前ではとても言えなかった本音がこぼれた。

「きっと天使様のおかげよ。あきらめないで良かった」

 ウィルダーを見つめて、ジェードは赤くなった頬をほころばせた。

 二人の間を冷たい風がびゅうっと吹いた。北の空から、風に飛ばされた雪がちらちらと舞いおちる。

「双子の羊なんて初めてじゃない? 見にきてちょうだい! すごく似ていているのよ!」

 そう言って、ジェードはウィルダーの手を引いた。

 ウィルダーにとっては、どの羊も同じにしか見えない。引っぱるジェードの手をしっかりにぎると、その場に引き止めた。

 ジェードは怪訝けげんそうな顔を少年に向ける。

「いや、えっと、今日はジェードとホープも誕生日だろ? その……おめでとう」

 思いがけないウィルダーの言葉に、ジェードは戸惑いを見せた。

「あ、……ありがとう、ウィル。でも、わたしとホーは今年は忌年きどしだから。お祝いしちゃいけないわ」

 クライス信仰者達は、十三を忌数としている。その数にまつわる日に祝い事をする事を避けているのだ。今日十三歳になったジェードも、もちろん祝いは禁忌きんきだった。

「でも、わたしたちの代わりに、あの双子ヒツジちゃんたちのお祝いならできるわ」

 ジェードは、急かすように手を引いた。だが、ウィルダーはまだその場から動くことに抵抗した。

 二人が呼吸するたびに、白い息がこぼれる。

 なかなか動こうとしないウィルダーに、ジェードの顔が不機嫌になろうとした時。

「ジェード、これ」

 ウィルダーが細かい干草がいっぱいまとわりついた手袋を外すと、ズボンのポケットから何かを取り出した。

 ジェードに差しだされたのは、銀の聖十字のペンダントだった。これはジェードへの誕生日の贈り物なのだろう。

「これ、わたしに? ……でも……」

 少女のかすかな戸惑いに、少年は気づかなかった。

「誰も見てないよ」

 ウィルダーはかじかむ手で、鎖の金具をはずした。正面からジェードの首の後ろに手をまわし、金具をとめる。

「ホープの分もあるんだ」

 ウィルダーは再びポケットに手を突っ込むと、先にジェード渡したのと同じものを取り出した。

「ホープのやつ、ジェードだけに贈り物をしたら、きっと怒るだろ?」

 苦笑するウィルダーに、ジェードは申し訳なさそうな顔になった。

「……ごめんね。ホーはもうペンダントを持っているの。ホープは教会から支給されてるのよ」

「えっ、そうなのか」

 贈り物をすることを秘密にしていたことが、裏目に出てしまった。ウィルダーは、春に羊毛を売りに隣町に行ったときに、ひそかに準備していたのだ。今年は誕生日祝いをされない双子のために、なけなしの金をはたいたウィルダーの気持ちは、半分だけ無駄になってしまった。

 この村の住人は皆それほど裕福ではないのを知っているだけに、二人の間に少し気まずい空気が流れた。

「……それなら、わたし、ホーよりウィルとおそろいがいいわ」

 双子のジェードとホープはいつも同じものを好み、行動を一緒にしていたが、一昨年からジェードのそばにいるのはホープではなくウィルダーだ。ジェードの提案に、ウィルダーは自尊心をくすぐられた。

 ジェードは白い息を吐きながらほほえんだ。渡されたもう一つのペンダントの金具をはずすと、ウィルダーがジェードにしたように、正面からウィルダーの首の後ろに両手をまわす。首の後ろで鎖の金具をひっかけると、ジェードはそのままウィルダーの頬に口づけた。

 ほんの数秒、二人のまわりの時間が止まった。

 ウィルダーの顔は冷えきっていて、すぐにはジェードのぬくもりを感じることができなかった。

 キスをされるのはこれが初めてではないのに、ウィルダーは相変わらず照れくさそうに笑う。そして誰かに見られてないかと慌てて周りを見まわした。

「誰も見てないって言ってたじゃない」

 ウィルダーを見てジェードはおかしそうに笑った。

「ねぇ、寒いわ。早く行きましょ!」

 今度こそジェードに手を引かれ、生まれたばかりの双子の子羊を見るために、二人は産屋へと走った。




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