第26話*狼燧


 始めは戸惑いだった。そして次に感じたのは他ならぬ恐怖。


 少年がその瞬間が、ただただその場にいた全員の顔を驚愕で塗りつぶす。


 ――あの時と同じだ。あの第七永久動力炉での邂逅と。


「とりあえず、まあ逃げ道は塞いでおくか」


 後方に続いていた通路が爆ぜる。燃え上がる炎はまるで生き物のように、ハルト達を取り囲み、退路を断つ。


「きゃあ!」


「げほッ――」


 空気中の酸素が燃焼し、炭素を帯びて肺に入ってくる。体は堪らず拒否反応を示した。


「くそッ!このままだと酸欠で死ぬぞ」



 ――焦燥。



 四方を囲んだ焔が、ジリジリと身も心も焦がしていく。このままでは死は時間の問題だ。


「ははは!そんな簡単に殺さねェよ!」


 血に塗れた少年が高笑いをすると、それと呼応するかのように炎の勢いは増していく。


「この道化が――」


 何発もの銃声が空間を割って、少年へと降りかかる。しかしそれが身体を貫くことはなかった。


「ああ、うるせエな」


 そう言いながら気だるげに手を翳すと、エレアノールの拳銃は突如として火炎に包まれる。


「——ッく!」


 咄嗟に手を離したその刹那に、銃は跡形もなく蒸発していた。


「准将!ロキ、貴様……!」


 横に侍る従者と思われる女性はエレアノールの元へ駆け寄ると、目の前の敵へと恐れと恨みのこもった視線を向ける。


「お前ら二人を殺せとは言われてねえからな。退け。用があるのはそこの王子と――」


「……!」


 目と目が合う。その瞬間、ハルトの身体に戦慄が走る。


「よう。また会ったな。会いたかったぜ」


「俺たちは毛ほどもそんなこと思ってなかったけどな。欲を言えばテメエの面なんざ二度と見たくなかったぜ」


 そう軽口を叩くアシモの声は、焦燥を隠しきれていない。


「そいつは残念だ。でも良かったな、死ねばもう俺の顔を見ることはないぜ」


 嗤い、嘲る。絶対の自信が少年に不遜な笑みを絶やさせることはない。


「もう一つ、あるぜ」


 そう言うと、アシモはハルトに目配せをする。


「……?」


 アシモの藍色の瞳が、自分に何かを伝えたがっている。


「は?なにが有るってンだよ」


 少年の顔が不機嫌に翳った。この期に及んで往生際の悪いアシモに腹を立てたのだろうか。


「——ハルト」


 後方でダルシスが名前を呼ぶ声が聞こえた。


「思い出せ。この場所を」


「——!」


 その言葉に、ハルトの脳内を閃光が走る。


「お前をここで殺せば、二度とその面見なくて良いってことだよ!」


 アシモのその啖呵が合図だった。


 沸き立つ水流。にわかに空間を海水が満たし始める。


「……くっ。そういうことか」


 水が炎を食らっていく。火は、その勢いを衰えさせ、そして消えていく。


 ハルトは施設外殻の一部を分解し、海の水を招き入れる。


「でもいいのかよ、このままだとお前らも溺れ死ぬぞ?」


「その心配はない」


「——な」


 ダルシスが言うや否や、突如として現れた隔壁が少年との間を分断した。


 これでしばらくは炎と水の危険に晒される心配はない。


「今の内だ。フレイ、イチカ、それにエレアノール。君たちは施設後方に撤退しろ」


「……。了解だ」


 エレアノールは少し歯噛みをすると、続けて言う。


「しかしダルシス。お前はどうするつもりだ」


「私もお前たちと共に後方に下がる。アシモ、君もな」


「最初からそのつもりだ。あんなの最初から相手になんかするつもりねえって」


 アシモは分断する隔壁を見ながらそう吐き捨てた。


「ハルト、ありがとな。助かったぜ」


「ううん、あの時アシモとダルシス様の合図がなかったら、こんなこと思いつかなかったよ」


「謙遜すんなよ。ま、これで俺たちも後方に――」


「いや。ハルト、君は残れ」


「は?」


 アシモが信じられないという風にダルシスへと視線を向ける。


「おい、まさかお前……」


「そうだ。ハルトにはここに残り、を迎え撃ってもらう」


「ダルシス、テメエふざけんなよ……!ハルトを一人 殿しんがりにでもしようってのか、そんなのは俺が――」


「アシモ、いいんだ」


 ハルトは静かに、いきり立つアシモに告げる。こうなることはなんとなくわかっていた。


「ダルシス様、あの時——『君の役割だ』って言いましたよね?」


「ああ」


 ダルシスはその返答に短く答える。


「戦うことが、僕の役割なんですよね」


「——違う!」


 焦れたアシモが会話に割って入る。


「違う、そんなのはお前の役回りなんかじゃない。生きることだろ!この場を生き延びることこそが――」


「だが、そのためには戦わなければなるまい」


 何かが激しく燃えるにおいが辺りに立ち込める。


「くそ、隔壁が……」


 溶け始めている。高熱に焦がされ、形を失い始めたそれは、自分たちに時間が残されていないことを示していた。


「敵は、ぼくたちのいのちを脅かすもの……」


 静かに心臓が脈打ち始める。全身を途方もない力が占領していく。


「僕は戦う。だからアシモ、今は僕を信じて」


 未だ、自分の存在は明瞭な輪郭を持てずにいる。曖昧で、見失いそうになる。あの時、あの瞬間、第七永久動力炉の異変を皮切りに始まった堂々巡りの問答は、まだ答えを見つけられていない。


 しかし――。


 失いたくない。


 今あるこの気持ちに純粋に向き合うのなら、この身と大事なものを脅かすものと、自分は闘わなければならない。


「ハルト……」


「隔壁が持たん。覚悟を決めろ、アシモ」


 赤熱にうなされた壁は、もう崩壊の寸前に迫っている。


「……分かった。死ぬなよ、ハルト」


「はは、なんかその台詞。現実リアルで聞くとやっぱりはずかしいなあ」


 そんな戯言が口を衝く。この期に及んでもこんな言葉が出てくるのは、きっとこの場を凌げるという自信が、まだ自分に持てているからだろうか。


「急げ、時間がない」


 ダルシスたちが後方へ向かうと同時に、そこへ通じる路に再び壁が下りる。


 アシモの視線を後ろに感じながら、ハルトは再び眼前への壁へと向き直った。


「……ああ!ったく腹が立つ!だから海の中なんざ来たくなかったンだよ!」


 炎の熱に耐えられなくなった隔壁が、遂に。本来の物質ではあり得ないような青い炎色反応を示しながら、無惨にも掻き消えていく。


「あん?で、他の奴らは?」


「此処にいるのは僕だけだ」


「へえ。意外に残酷なことするねえ、あいつらも」


 まじまじとその姿を品定めするように、少年はハルトを睥睨する。


「ねえ、君は一体何なの?いや、は……」


「ロキ」


 少年はぶっきらぼうにそう告げる。


「俺の名前。ほら、聞き覚えあるだろ?」


「ロキ……」


 確かに、何故だかその名前は聞き覚えがある。此処とは違う何処かで、何度もその名でような、そんな懐かしさを感じる。


「はあ、まあ今のお前に言ってもわかんねエだろうさ。ハルトってんだろ、お前の名前」


「……うん」


 何故だろう。先ほどまであった一辺倒の倒錯した殺意が少し薄まっているような気がする。気のせいだろうか。


「ま、お前はだ。悪いけど、死んでもらうわ」


 少年――ロキの身体が炎に包まれる。その姿はまるで炎の権能を宿した天使のようだ。


「やっぱり、闘うしかないのか――」


「は!闘う?何寝言言ってんだ?」


「え――?」


 ロキの顔が嘲笑に歪む。……いや、それは決して嘲っている表情ではなかった。


「お前意外とめでたい奴だな」


 それは、何か悲しい者でも見るかのような、哀れみの表情かおだった。


「——ぐ、ああああああああああああ!」


 熱い、アツイ、あつい、ああ――。


 灼ける、焦げる、爛れる――。


 苦しい、空気が欲しい。しかし胸に入ってくるのは、また炎。


 ああ、どうして、どうして。こんなはずでは――。


「さっき言ったろ?今からやるのはだってな」


 朦朧とする意識の中で、焔を纏う少年はかく語る。


「最初からやろうと思えばできてたんだよ。さっきまではただ、遊んでただけだ」


「——あ、あ……」


「闘うっていうんなら、まずは相手の力量を少しは確かめたらどうだ?俺は燃やせるものなら、


 炎の勢いが増す。まるで暖炉にべた薪のようにパチパチと体が爆ぜていくのが分かった。


「ぐ、あ――」


「しかし、流石だな。まだ生きてるなんて」


「……」


 沈黙。その場には何もない。あるのは人の形をした、ただの焼け焦げた炭だった。


「はあ、あっけな」


 ため息が一つ。その声に反応する者は、もはやその空間には存在していなかった。



 ――***——

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