【破】Ⅴ『背水の陣で四面楚歌』


〇 〇 〇


「ハァ、ハァ!」


 シオンとの邂逅を果たした後、陽介は息を乱して懸命に走っていた。荒い呼吸を繰り返された喉が痛み出す。積み重なった疲労によって全身に激痛が走る。


 ここで立ち止まるわけにはいかない。


 シオンを追い駆けたい気持ちだけが先走り、肉体は限界を告げるように強張っていく。一歩足を踏み出す度に痛み出す筋肉に陽介は顔を顰めた。

 もう少しだけ頑張って欲しい、と願いながら陽介は走り続けたが不本意なゴールを迎えることとなる。


「み、見失っちまった。」


 空の色に溶けてしまったシオンを諦めるように陽介は走る速度を徐々に落としていく。

 シオンとの再会を夢見ながらも果たすことなく見失うという結末に陽介は落胆する。 

 彼の言葉に促されるままシェルターへ行けば良かったのか?其処に避難して全ての《アンノウン》が殲滅されるのを待てば良かったのか?


 自問自答しながら陽介は数歩進んで息を整える。彼は静かに立ち止まると空を仰いだ。青い瞳に入り込むのは《アンノウン》を産み出す母艦である。

 町を飲み込むように不穏な雰囲気を漂わせながら旋回する巨大で凶悪な戦艦の下、今も戦い続ける誰かがいた。


「俺は何が出来る?何をしなければならない?」


 陽介は改めて自身に問い掛ける。自身が導き出す解答によっては善し悪し関係なく人生が大きく変わってしまうかもしれない。

 それを受け入れて、受け止めて最期まで突き進む精神を自身は持ち合わせているだろうか。


 直ぐに解答が出るわけがない。それは承知の上である。答えなければならない時に何も言えないなど格好悪い。胸を張って、堂々と口に出来る答えを用意しておく必要があった。

 この意志はただの独り善がりである。曖昧で、あやふやでも自身の心が「行動しろ」と突き動かすのだ。 


 空っぽの心臓に血液ねんりょうが送られる。

 悲鳴を上げていた筋肉に気合でんげんが入れられる。

 

「行くしかない、のか?」


 もう逃げられない。〈諦めないでくれ。〉

 もう引き返せない。〈振り返らないで。〉

 もう後戻りは出来ない。〈最果てを目指せ。〉

 もう一歩を踏み出している。〈突き進んで欲しい。〉


 陽介は気を引き締めると前を見据えた。止めていた足をもう一度踏み出す。


「よし、行こう。」


 シオンが飛び去った方角を目指して地を蹴った、その時である。突如、地面が大きく揺れ動いた。

 遠方に存在する建物が次から次へと倒壊し、轟音が徐々に音量を上げて陽介へと迫り来る。


 状況を把握するために陽介が立ち止まろうとした際、目の前を白銀の何かが通り過ぎて行く。

 悲鳴のような声が聞こえたと同時に陽介の近辺にある建物が砂埃を撒き散らしながら倒壊する。

 破片を勢いよく押し退けながら瓦礫と化した建物から現れる人影に陽介は息を呑んだ。


 まさか《アンノウン》なのか?と一定の距離を置く陽介の視界は黄色の長髪を持つ女性を捉えた。

 彼女もまたシオン同様に白銀の鎧を身に纏って戦っているのか?と動揺しながら陽介は名前を口にする。


「エミリア・ジョルトイさん?」

「あ?何さ、アンタ?」


 今はとんでもなく忙しいんだから話し掛けるな、と露骨過ぎるほどにエミリアは不機嫌な雰囲気を漂わせていた。

 陽介は冷や汗をかく。テレビの中では朗らかに笑う彼女が銃と剣を手に無自覚の威嚇をしている。


 蛇に睨まれた蛙というわけではない。だが陽介は悟る。何か一言でも発したら額か心臓に風穴が開く。

 やばいマジ怖い。《アンノウン》よりめちゃくちゃ怖い。陽介の決意は折れかけていた。


 結局自身は何も出来ない普通の一般人でしかないのかと項垂れる直前、彼はエミリアに胸倉を掴まれた。

 何か気に障ることをしたのか?と驚く陽介の青い瞳に入ったのは焦りを色濃く滲ませた彼女の顔である。


 逃げろ。


 エミリアの唇がそう告げるように微かに動いた。呆気に取られる陽介を無視して彼女は後方へ強く突き飛ばす。


 直後、エミリアの頭上に巨大な足が落とされた。陽介は彼女の手を取ろうと腕を伸ばす。だが彼の指先は空を切るだけに終わり、轟音が二人の間に壁を作った。

 砂埃が舞い上がり、瓦礫の破片が飛び散る。まるで陽介を嘲笑うように陽介を吹き飛ばした。


〇 〇 〇


「イエロー・ギア、出力低下!このままでは奏着者の生命に関わります!」


 予備の【歌力】に切り換えます、と動揺を隠せない様子でフォルテはコンソール画面を操作する。

 切り換え用のプログラムを入力後、実行ボタンをタッチしようとした彼女の手をミランダは制止した。


「フォルテ、命令だ。止めなさい。」

「ミラ姐さん、上の連中と何話してたのか知らないですがジョルトイの状況見てたじゃないですか?」


 このままじゃアイツ死にます、とザクロ色の瞳で訴えるフォルテにミランダは栗色の瞳で諫めた。

 沈黙が二人を包み込む。灰沢は困ったように眉間に皺を寄せ、千鳥とラルゴは無言のまま見守り、桃花は周囲への関心を持たなかった。桃花はミランダから与えられた命令に従って陽介の身辺を調査していた。


 《アンノウン》による被害状況や軍隊への連絡、そして負傷・殺害された被害者及び親族への保険手続きを行うのも仕事の内である。

 特例によって惑星内外に存在する人間型生命体の情報がアクセス可能になっていた。膨大なデータから該当者の身許を詮索した。

 コンソール画面を操作し、メインコンピューターに保管されているデータベースから検索する。


「理解不能です。理解困難です。」


 しかし、どんなに身辺を調査しても陽介と思われる該当者は発見されなかった。地球の西洋圏を中心に調査しても認証に引っ掛からず、他の惑星から来た可能性を視野に入れても転星届の痕跡は無い。

 不法侵入は論外である。地球が他の惑星と同盟を結んだ当初ならばいざ知らず、取り締まりが厳しくなった今では宇宙船に付いた宇宙蟻すら入れない。


「あなたは何者ですか?」


 桃花はミランダから提供された陽介の画像をスミレ色の瞳で見つめながら問い掛けた。

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