第19章 鞭と飴の演説【5】

「ありがとう……」


 礼を言って、ルーナはそっと僕の手を取る。


 今まではへとへとな表情をしていたルーナだったが、しかしその時だけ、彼女は頬を緩ませてくれた。


 それからルーナの手を放さないよう、しっかりと握り、僕は先頭を歩きながら人を掻き分け、彼女はその後を着いて来る。


 しばらく上ると階段は終わり、僕にとっては既に天敵となりつつある、自動改札機が見えてきた。


「わたしが先に行こうか?」


 すると改札を前にして、ルーナが僕にそう提案してきた。


「えっ?」


「さっき警告音鳴らしたから、苦手意識持ってるんじゃないの?」


「あはは……よくお分かりで」


「ふふ、じゃあ先に行くから、ほら」


「ん?」


「手を放してよ。行けないじゃない」


「あっ……ああ、そうだね! そうだった……」


 言われて、僕はやっとルーナの手を放した。


 改札の通り道は一人しか通れないようにできているので、手を放すのは当たり前だということは頭で分かっていても、それでも体が惜しんでしまい、彼女に言われるまでずっと繋ぎっぱなしにしてしまっていた。


「それじゃあ……」


 ルーナは切られた切符を、黒いデニムのショートパンツのポケットから取り出し、そして乗車時の改札と同じように、最も手前にある溝に切符を入れ、金属の棒を回して通る。


 切られた切符はどうやら、乗車時のように通った後に出てくることは無いらしく、勝手に改札機によって回収されてしまうようだ。


 うむ……後から切符が出てこないんだったら、僕でも大丈夫だ!


 それから僕は、コートのポケットの奥に無くさないように入れていた切符を手にして、ルーナと同様、今度は警告音を鳴らすことなく、難なく通過した。


「ふう……どうにか通れた」


「なに改札通っただけでやり切った顔してるのよ……それより、はい」


 そう言ってルーナは、僕の前に手を差し出してくる。すると僕は、今度はその意味を瞬時に理解し、すぐに彼女の手を握った。


 放す時は鈍感だったのに、繋ぐ時は異常なほど敏感だった。


「それじゃあ向かいましょ」


「おう!」


 僕達は手を繋いで、人の流れに乗りながら駅舎の外へと出て行く。


「おおっ……!」


 そして駅舎の外の風景を見て、僕は思わず息を呑んだ。


 そこには空に伸びゆく無数の摩天楼が三百六十度立ち並んでおり、もう夕方になっていたので、それらの建物からは無数の光が放たれている。


 そしてその中でも、最も目につくものと言ったらやっぱり、正面にあるビルの巨大ディスプレイだろうか。


 巨大ディスプレイと言っても、ただ四角い巨大なディスプレイがビルに着いているのではなく、そのビルの下から半分までが全て丸ごと、映像を映し出すディスプレイとなっていたのだ。


 やはり僕の予想は正しかった……ここはマグナブラよりも断然、格上の規模の都市だ。


 さすがは最大交易都市と呼ばれるだけのことはある。


 広い通りは既に人で埋め尽くされており、その影響で車は渋滞と言うよりかは、もうまったく動くことが無い通行止め状態となってしまい、永遠と先まで並んでいる。


 そしてそこに居る人々のほとんど全員が、青い色の黄色い線が描かれたシャツを着用しており、どこからともなくブーイングを飛ばしたり、わけの分からない大声を上げたりと、最早お祭り騒ぎのレベルはとっくに凌駕している、まさにカオス状態に陥っていた。 


「おーい二人とも! こっちだ!」


 声が聞こえ、そちら側を振り向くと、先に地上へと上がっていたマジスターがライフ・ゼロを連れて大きく手を振っていた。


 僕達は二人の元へと、人を掻き分けながら進んで行き、そして合流する。


「いやしかし、すごい人だかりだなこれは……まさかこれほどのものになっているとは……」


 マジスターは大騒ぎをする人の群れを見ながら、しみじみとそんなことを言ってみせる。


「ああ……でもそれだけ、ヤツの言葉っていうのには力があるってことだよな」


「そうだな……セブルス・カレンダーは今や、マグナブラのトップ2だ。ヤツの言葉は即ち、外からはマグナブラの声だと捉えられ、内側ではあの男がそうだと言えば、国はそうやって動く。今やそれほどの権力を有した実力者だ」


「ふん……真実を明るみに出せば、それだけで大騒ぎを起こせそうだ」


「だがそれもすぐに揉み消される……力とはそれほどに強固で、揺るがないものだ」


「…………」


 僕達のような非力な者達が何と叫ぼうと、世界はそんなに安直には変わらない。


 そう……ここで罵声を浴びせている人々も同じこと。彼らが何と言おうと、何と叫ぼうと、おそらくマグナブラとアクトポートの統合が無くなることは無い。


 本当に変えたいのなら、言葉に出すだけではダメなんだ。戦わなければ、ダメ。


 そしてそのためには、対等に戦える力を持たなければ……。


「ロクヨウ見て!」


 ルーナが、僕の手を握っている手とは反対の方で、先程僕が見て感動していた、下から半分までがディスプレイとなっている正面のビルを指差す。


 すると、さっきまでは炭酸飲料の映像が流れていたディスプレイには、背後にマグナブラの国旗が掲げられている、演台の映像が映し出されたのだ。


 その瞬間、ドンチャン騒ぎとなっていた周囲の状況が一変して、しんと静かになった。


『大臣、お時間です』


『ふむ……』


 一人は知らない男の声、そしてもう一人は、僕のよく知っている男の声が聞こえてくる。


 そしてその直後、画面の端からセブルスが姿を現し、そしてやつは演台へと立って、演説の第一声をあげた。


『アクトポートの皆さん、わたしはマグナブラの国防大臣、そしてマグナブラ兵団中枢管理委員会の長官を兼任しております、セブルス・カレンダーです。わたしは今、アクトポート庁舎より映像を通して、皆様へ向けて演説を行っておりますが、アクトポートスクエアの光景は中継にて、随時わたしの方で確認できるようになっております。これだけ大勢の方々にお越しいただき、ありがとうございます』


 そう言って画面の中のセブルスは、頭を下げる。


「中継で演説とは侵略者のくせに高みの見物かっ! 堂々と前に出てきやがれぇっ!」


「この臆病者ぉっ!!」


「ここは民主主義の街だっ! ここに独裁主義者の言葉を発する場所など無いっ!!」


「そうだそうだぁ~っ!!」

 

 すると、周りのデモ隊だと思われる人々がこぞって罵声をあげだし、再び周囲は演説が行われる前の、取り留めの無いカオス状態へと返る。


 おそらくこの光景はセブルスの言った通り、ヤツに見えているのだろう。アイツは黙ったまま一分ほど待機していたのだが、それでも自然と人々の収拾が着く気配が無かったため、やつは黙って右手を挙げた。


 その刹那、このアクトポートスクエアの至る場所から何十発もの銃声が聞こえ、煮えたぎっていた場は一気に凍り付き、沈静化させられた。


「…………」


 その時、ルーナは黙って周りを見回していたが、しかし彼女の手には明らかに力がこもっており、そこから恐れというものを、僕は繋いでいた手から感じ取った。


 だから僕は、少しでも彼女の不安を和らげようと、彼女の手を強く握り、そしてこう声を掛けたのだった。


「ルーナ、大丈夫。何があっても僕が守るから」


「えっ……」


 不意の出来事だったので、ルーナは一時的に戸惑っていたようだが、しかしすぐに僕の言葉の意図を理解してくれたのか、表情を和らげ、そして優しい口調で返事を返してくれた。


「うん……ありがとう」


 そんな互いに勇気づけている僕達とは裏腹に、周囲は恐怖と動揺に包まれ、沈黙しきっていたのだが、しかしその静寂を破ったのは、おそらくそうなるように企てた、画面に映っているセブルスだった。

 

『フフ……アクトポートの皆さんは威勢が良い。しかし人の話は最後まで聞きましょうと、学校で習いませんでしたか? ここは互いの意見を戦わせる討論会の会場でも無ければ、ヤジが飛び交うだけで、まともな法案も練れない議会でもありません。わたしの演説会場です。聴衆オーディエンスには、静粛に、円滑にわたしの演説を聴いていただけますよう、街の至る場所に兵を配置いたしました。今の銃声はわたしの合図で、彼らが上空に向かって空砲を撃っただけですので、あしからずご了承ください』


 セブルスは落ち着いた笑みを口元に浮かべ、そして今度は先程よりも浅く、会釈をする程度に頭を下げてみせた。


 アイツはそれっぽく言っているが、要するにセブルスが言いたいのは、お前らは兵士に囲まれていて、自分のサイン一つで蜂の巣にすることができるのだから、無駄な抵抗は諦めて、黙って自分の話を聞け……ということだ。


 アイツのことだ……おそらく街を包囲しているのとは別に、この民衆の中にも兵士を紛れ込ませて、いつでも交戦できる準備を整えているのだろう。


 そう、まさにこのアクトポートスクエア全体が、今やセブルスの独壇場となっていたのだ。

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