第18章 民衆の街【9】

 着替えるためにトイレに入ってから数分後、ルーナ達が買ってきた服を着用し、マジスターがトイレの中から出てきた。


「おっ、おお~……」


 その姿を見て僕は、腕を組みながら、嘆声をもらす。


 マジスターの着用していたものは、濃いモスグリーンの色のミリタリーシャツに、同じ色のカーゴパンツ。そしてアクセントに赤茶色のネクタイと、普通の洋服であるはずなのに、マジスターのがたいの良さと風貌から、それがいかにも軍服であるかのように見えてしまう、まさに彼に合致した服装だった。


 そして、そんなマジスターの姿を見て僕は、希望を持つことができた。


 今日は仮装大会にはならない。ファッションショーの始まりを、確信した。


「うん、やっぱりマジスターさんならこういう服が似合うと思ってた!」


 ルーナはそんな彼の姿を見て、ニッコリと満足そうに、うんうんと何度も頷く。


 どうやらあの服を選んだのはルーナのようだ。あとの二人は服を選ぶのに自信無さげにしていたし、それに、彼女のセンスに全てを委ねるみたいなことを、ヒソヒソと話してたしな。


 しかしそれは正解だ。彼女は良いセンスを持っている。


「うむ……自分で服を選んでも、ここまでしっくりくるものは選べないほど、自分に合っている服だ。サイズも申し分ない」


 マジスターがルーナの選んだ服を絶賛していると、彼女は誇らしげに胸を反らせてみせた。


「ふふん! これでもわたし、一応一国の王女だったから、昔から服装については厳しく、細かく教育されてたのよ。だから服の目利きに関しては、かなり自信があるの!」


「そうなのか……いやぁ……本当に良い物を選んでもらった。ありがとうルーナ!」


「どういたしまして」


 マジスターは礼を告げ、ルーナは微笑んで返した。


 そういえば彼女は、ノースハーウェンの王女だったんだよな。元とはいえ、王女様って雰囲気を、彼女は全くというほど出さないから、時々そのことを忘れちゃうんだよな。


 まあ、そんな彼女だからこそ、こうやって親しみやすいというのもあるんだけどね。


「さて、じゃあ次はロクヨウね。はいこれ」


「おう、じゃあ着替えてくるよ!」


 僕はルーナから残りの紙袋を受け取り、意気揚々と、トイレへと向かって行く。


 実は僕も、マンハットやライフ・ゼロに言えたもんじゃないほど、洋服を選ぶセンスは皆無であり、マグナブラ兵団に入団してからは、平日も休日もずっと、制服ばかりを着ていたというような、そんなズボラな人間だったのだ。


 だからこうやって洋服に袖を通すのは、実に数年振りであり、そしてマジスターのように、自分に合う服が着れるというのは、センスの無い僕にとって、持っていないモノを手にしたような気分になれるので、これほど嬉しいことは無かった。


「さてと!」


 個室トイレの中に入った僕は、ウキウキ気分で早速紙袋を開封する。


 まず最初に出てきたのは、黒い帽子。キャスケットという、深く被ることができるタイプの帽子だった。


 なるほど、これで目元を隠すということか。


 そして次に引っ張り出したのは、黒のテーラードジャケットに、赤というよりは、茜色といった感じのインナーシャツと、これまで出してきた物から推測するに、とにかく映えるようにしない、目立ちにくい色彩の服をチョイスしていることが分かった。


 その中で、インナーシャツをあえて茜色にしたのは、多分全体を黒くし過ぎないための配慮だろう。あまりにも全体が黒々としていると、夜は周りの風景に溶け込めることができるが、しかし逆に、昼間は浮き出て目立ってしまうからな。


 それに茜色は、赤と比べて暗い色をしているため、夜でも目立つことは無い……まさに全てが計算し尽くされた、街に溶け込むための迷彩服といった感じのチョイスとなっていた。


 人に似合う服を選ぶだけでなく、こういう服装も目利きできるとは……ルーナの服選びのセンスには、僕も感服させられた……はずだったのだが。


「ん?」


 最後の紙袋を開いた瞬間、いくら洋服を選ぶセンスが無い僕でも、瞬時にこれはオカシイと判断できる物が、そこには入っていた。


 いやまさか……と思って、僕は恐る恐るそれを取り出すと……。


「えっ!? ちょっ……ええっ!!!!!」


 僕はそれを持って、個室トイレを飛び出し、ルーナの元へとダッシュした。


「あれ? どうしたのよロクヨウ、まだ着替えてないじゃない?」


 ルーナはキョトンとした顔で、僕の顔を見てくる。その顔に、まったく邪気は無かった。


 むしろその後ろに突っ立っているライフ・ゼロが、ずっと僕の手に持っているものを見て、ニヤニヤと、へらへらと、悪意しか感じ無いような表情をしていやがった。


「どうしたってルーナ……これ、スカートじゃないか!!?」


 そう言って僕が突き出したのは、黒の、およそ膝丈までしかないフレアスカートだった。


「そうよ、スカートよ?」


 しかしルーナは、それのなにが悪いの? と言いたげな、そんな雰囲気で言葉を返してくる。


「いや……僕一応男なんだけど……」


「男だからスカートを穿いちゃいけないってことは無いでしょ?」


 そういうことでは無いんだけど……ダメだ、この手の質問をしていても、堂々巡りになるだけだ。攻め方を変えよう。


「うーん……じゃあルーナ、何であえてスカートを選んだんだい? ズボンっていう選択肢もあったわけじゃない?」


 質問を変えてみると、ルーナは「ああ!」と言って、やっと僕が何をさっきから問い掛けていたのか、その意図を汲んでくれた。


「それはカムフラージュのためよ」


「カムフラージュ? 一体どんな?」


「だって指名手配に掛けられているのは、ロクヨウ・コヨミという男なんでしょ? だったらメンズじゃなく、レディースの恰好をしていたら、性別が違うんだから、最早見向きもされなくなるじゃない」


「…………」


 ルーナの言いたいことはすごく分かる。分かるのだが、イマイチそれを鵜呑みにできない僕がいる。


 そういえばこの子は一度、僕を船に乗りこませるために、キャリーバッグの中に突っ込んで貨物室に乗せようなんていう、トンデモナイことを大真面目に考えついた張本人だった。


 そのことを忘れていた……迂闊だったぁ……。


「それにスカート以外にも、男っぽい体つきを隠すためにジャケットにしたり、帽子で人相を隠したり、全体的に目立たない色合いにしたり、色々考えた上で、この服を選んだのよ?」


 ルーナは膨れっ面になりながら、僕に迫るようにして訴えてくる。


 彼女がふざけてこの服装を選んだのなら、こっちも怒って反撃することができるのだが、しかし至って真剣に考えた上で、これを選んだのだから、むしろ買って来てもらっておいて文句を言っている、僕の方が分が悪くなってしまっており、反撃に出るどころか、罪悪感すら感じるようになってきた……。


「すう……はぁ……分かったよルーナ……僕はこれから……女になってくる!」


 このままでは、ルーナの気持ちに背くことになってしまうので、根負けし、ついに僕は、僕の中の迷いを断ち切れさせ、スカートに足を通す覚悟を決めた。


 ルーナが一生懸命考えてくれたコーディネートなんだ……僕にはやっぱり……彼女の気持ちを裏切ることはできない!


 ロクヨウ・コヨミは男を見せるために、今から女になるのだ!


「女になるって……あくまで女装だからね?」


「それは分かってるよ。ところでルーナ」


「なに?」


「せっかく女装するなら、カワイイ方が良いんだけど」


「大丈夫、わたしのセンスは信じなさい!」


 そう言ってルーナは、得意満々な笑みを浮かべて、右手の親指を上に立ててみせた。


 そうか、心強いよ……これが女装じゃなかったら、心の底から喜べていたんだけどね。


「よっしゃあっ! 着るぞっ!」


 僕は最後に気合を入れ直し、自分に言い聞かせ、フレアスカートを握って再び個室のトイレの中へと戻った。


 もう迷うことは無い! 僕は更にスカートが入っていた紙袋の中を漁っていく。


「あ……ああ……」


 しかしその紙袋の中身を見た瞬間、今までの覚悟が総じてぶっ潰されるほどの絶望感を抱き、僕はトイレの便器に座り込んで、一人頭を抱えた。


 そう、その中に入っていた物は、スカート以上に僕の頭を悩ませるようなグッズが、三つも入っていたのだ。

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