第15章 アマノジャクな二人

第15章 アマノジャクな二人【1】

 僕はこれまで、マグナブラには永遠と荒野が広がっているものだと、勝手に勘違いしていた。


 何故なら、僕は今までマグナブラを出たことが無く、荒野の外の風景というものを、まったく見たことが無かったからだ。


 まさに、井の中の蛙大海を知らずだ。


 しかし僕は現在に至るまで……というより、特に勇者の夢を諦めてからは、その井の中で一生を過ごすのだろうと思っていたから、外の世界を見ようともしなかったし、興味すらも湧かなかった。


 だから僕は、この世界に生まれて二十四年経って、ようやく外の世界の風景を知ったのだ。


 荒野の先にあったのは、初めて見る緑の生い茂る山々に、幾多の作物が植えられている広大な畑、そして遠くには大きな湖のようなものまで見えている。


 そこには荒々しい土が露出する大地は広がっていない。そこらかしこに緑が茂る、生きている大地が広がっていた。


 僕は本当に世界を知らなかった……こんなにもこの世界には、精気が溢れているなんて。


 こんな美しい世界に、僕達は生きていたなんて。


「コヨミ、なにぼさっとしてるのよ! そろそろ出発するわよ!」


 一人で広大な風景を見ながら感動していると、背後でルーナが僕を呼ぶ声が聞こえてきた。


 マグナブラを離れて、正確にはゾフィさんの宿を離れて、かれこれもう三日目に突入する。


 最初は不安だらけのスタートであり、特に初日の夜は、どこを探しても宿泊施設が見当たらず、渋々野宿をすることになり、その時は本当に辛い思いに駆られ、ホームシックになってしまうほどだった。(主にルーナと僕が)


 しかし二日目には、マグナブラ荒野の丁度境目にあるという、ウィルダ―ターニングという大きな町(といっても、マグナブラほどではないが)に辿り着くことができ、そこの宿でふかふかのベッドで寝た時は、涙がちょちょぎれそうになるほど、ベッドのありがたみに感動したものだ。


 そして今、ウィルダ―ターニングを出て、六時間ほどバイクで移動をし、僕達はお昼の休憩を取っているところだった。


「ああ、分かったよ」


 僕は緑の風景から背を向け、バイクを停車している場所へと戻って来た。


「どうだったかコヨミ? 外の世界は?」


 そう尋ねてきたのは、ヘルメットを被り、既に出発準備を整えていたマジスターだった。


「うん……初めてだよ、草木がこんなに生えてる山を見たのは」


「そうか。まあマグナブラの周りには、人工の農地がちらほらある程度で、あとは全部荒野だからな。わしも最初にあの国を出た頃は、お前のようにこの緑の風景に感動したものだ。もう何十年も前の話になってしまうがな……」


 マジスターは明後日の方角を向きながら、その日を懐かしむように、うんうんと何度か頷いていた。


 やっぱりマジスターも、最初にこの風景を見た時は、同じように感動したんだな。


「へぇ~……わたしのいたノースハーウェンは、年中寒い場所だったから、雪ばっかりだったのよね。だけど寒さが緩む春になると、ここほどじゃないけど緑は多少生い茂っていたわ」


 ルーナはバイクのヘルメットを僕に手渡しながら、彼女の故郷ノースハーウェンのことを語り始める。


「そうなんだ」


 僕は手渡されたヘルメットを着用しながら、答えた。


「うん、だからアンタほど、この緑の風景に感動したってことは無いわね。むしろ最初にマグナブラの荒野を見た時は、世界が滅んだんじゃないかと思っちゃったわ」


「世界が滅ぶって……そんな大袈裟な」


「でもわたしにとってはそうだったのよ。だって年中豪雪の、植物にとって厳しい環境の場所でも、それでも雪の下で耐え忍んでいたのに、荒野にはそんな植物がまったく無かったのよ? そんな場所で、これからわたしは生きて行けるのかって、よく不安になったものだわ」


「なるほど……」


 うーん……でも、今ならルーナの言っていることが多少理解できるかもしれない。


 こんな草木に囲まれ、畑の広がる場所から、一転して地面が露わになっている、まともに農耕もできないあの荒野に連れて行かれたら、生きる術を失ったかの如く、僕なら絶望するだろうな。


 そう考えると、僕はとんでもない場所で二十四年間の時を過ごしていたんだな……いや、むしろ二十四年間、あんな場所でも快適に過ごせるようにしてくれた先人達に感謝だ。


 ……そんな場所からも、今は追われている身にすっかりなっちゃったけど。


「って、すっかり話し込んじゃったわね。ほらコヨミ、運転して」


「あっ、やっぱり僕なんだ」


「当たり前でしょ! 後半はアンタが運転するって前もって言っておいたでしょ?」


「はぁ……オッケーオッケー、了解です。その代わり運転が下手でも、文句言わないでくれよ」


 僕は渋々、バイクの運転席の方に跨り、その後ろに鬼教官であるルーナが乗車する。


 ルーナをバイクの後ろに乗せるのは教習以来で、その時の地獄のような日々のトラウマが僕の中に残っているせいか、ハンドルを握っただけで手汗が滲み出てくる。


 緊張していて、いつもの感じが出せない……。


「なにハンドル握っただけで固くなってるのよ? ほら、エンジンかける」


「おう」


 アクセルを回し、エンジンがスタートすると、僕はクラッチレバーを徐々に緩めていった……つもりだったが。


「ぬわっ!?」


 直後、ガコンッ! という音がすると、かけたはずのエンジンが急停止してしまった。


 エンジンストール、所謂エンストというものを起こしてしまったのだ。


「ちょっと何エンストしてるのよ! いきなりクラッチレバーそんなに緩めたらダメじゃない!」


「えっ……あっ……」


 左の手元を見ると、僕はクラッチレバーをほぼ全開にまで緩ませてしまっていた。


 こんなミス、教習の最初の時にしかしたことが無かったのに……ショックだ。


「えっと、もう一回エンジンをかけ直さないと……!」


「…………」


 僕があたふたと、慌てふためきながら再びエンジンをリスタートさせようとした刹那、ルーナの手がそっと、アクセルを回そうとする僕の右肩に乗った。


「……焦らなくていいから。アンタがちゃんと運転できることは、わたし知ってるから」


 それは、普段のルーナとはまるで別人のように優しい、和やかな声でそっと囁かれた。


「えっ……ああ……ありがとう」


 僕は何故かその声に、少しドキッとしてしまい、別の意味で動揺してしまった。


 これが巷で言う、ギャップというやつなのだろうか。


「ふう……よしっ! それじゃあもう一回!」


 僕は一呼吸入れた後、エンジンをリスタートさせ、今度はクラッチレバーを緩ませ過ぎないように気をつけながら、今度こそやっと、バイクを上手く始動させることができた。

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