第43話 鏑木コウヤVS遠宮キヨネ 三戦目
だらりと下ろした手の指先が、焦げ付いたようにヒリヒリとする。
右腰のデバイスホルダーに差した拳銃型デバイスが、抜かれる瞬間を今か今かと待っている。
気持ちが逸ってもどかしい。
あと一秒後にはアナウンスが流れるかもしれない。そう思うと、次の一秒が無限に引き伸ばされたような感覚に襲われる。
おそらくそれは、向かい合う少年も同じ気持ちだろう。
張り詰めた表情に浮かぶ一欠片の興奮。合図の瞬間を待ち望んでいながら、今この一瞬を楽しむその表情は、彼が自分と全く同じ気持ちを抱いている証明だった。
未だ来ない一秒先を期待して急く気持ちを押さえつける。
なだめることなんて出来やしない。自分の内側で暴れるこの感情は、理性なんかで制御できるようなお行儀の良い獣ではない。
自分を試したい、相手と競いたい、鎬を削りたい、そして――勝ちたい。
目の前のシューターに勝ちたい。
それは、何物にも代えがたい欲求だった。
(きっと鏑木くんも同じはず)
そうじゃなかったら、こんな試合とは関係ない馬鹿げた提案など受けるわけがない。
コウヤからすれば、キヨネがメインデバイスを捨てた時点で霊子弾を叩き込んでしまえばそれで良かったのだ。それなのに、彼はわざわざこんな娯楽のような決闘に乗ってくれた。
コウヤもまた、キヨネとの勝負を望んでいる。
それくらい相手に意識してもらえていることが、嬉しかった。
(デバイスを抜いて霊子弾を撃つまで一秒もいらない。だけど、それは相手も同じはず)
普通の魔力弾ならばデバイスに触れずとも発射することは出来るが、霊子弾は銃型デバイスの引き金を引く必要がある。必ず相手に銃口を向ける必要があるので、自然と取れる手段は限られてくる。
故に、如何に自分の霊子弾を相手に当て、逆に相手の霊子弾を避けるかが重要だ。
(私と鏑木くんの得点差は9点。最悪、同士討ちになっても私は勝ってしまう。……でも、そんなの勝ったなんて言えない)
鏑木コウヤは、キヨネの霊子弾を受けずに当ててくる方法を考えるだろう。なら自分も同じ事を考えないとフェアじゃない。
避けるか、弾くか、そもそも撃たせないか。
(早撃ちだ)
そう決めたのは、一番自信があったからだ。
何より、それは決闘にふさわしい。
相手が撃つよりも早く脳天に霊子弾を叩き込む。それこそ、西部劇でよくあるクイックドロウだ。
ホルスターから抜いた瞬間、腰の横で銃口を向けて引き金を引く。銃型デバイスを持てば誰もが一度はやったことがあるであろうごっこ遊び。それを真剣勝負の場で行える歓喜に期待を膨らませながら、キヨネは必要な弾道補正の魔法式を脳裏に展開する。計算を少しでもミスれば霊子弾はあらぬ方へ飛ぶ。けれど、もし正確ならば確実に相手を仕留められる。
一秒が長い。
メインフェイズはまだ終わらないのか。
張り詰めた空気に皮膚の表面がひりつく。
少しでも触れれば切れてしまいそうな緊張の糸がどこまでも伸びていく。口の中が乾く。呼吸をするのももどかしい。次の一秒、次の一瞬。永遠にも等しい時間に頭がくらくらする。
ああ――この時間が、いつまでも続けばいいのに。
クレーが空気を切る音が耳朶を叩く。
向かい合う二人のシューターの間を、最後のクレーが通り抜けていく。フィールド全体がシンと静まり返り、静寂が最後の時間を彩る。
息が詰まる時間に終焉が迫る。
遠宮キヨネは右手を。
鏑木コウヤは左手を。
それぞれ腰に差した拳銃型デバイスに触れるか触れないかのところでさまよわせる。
そして――
『メインフェイズが終了しました』
デバイスに手が触れた。
※ ※ ※
その瞬間。
時間が止まったような錯覚を覚えた。
※ ※ ※
拳銃型デバイスに触れ、その銃身をホルスターから抜いて銃口を前に向ける。
限界までシミュレーションしたその動きは完全で、コンマ秒の時間を考えるより先に体が再現する。
思考はさらにその先、霊子弾を放って命中させた瞬間まで先取りし、成功を確信して疑いすらしなかった。
だから。
デバイスごと右手が吹っ飛んだことに気づいたのは、一瞬後のことだった。
「―――ッ、ぁ」
右腰のところで構えていたはずの手のひらが弾き飛び、拳銃型デバイスを取り落とす。
ゆっくりと流れる時間の中、デバイスが地面に落ちる音が耳朶に響いた。
吹き飛んだ右手から、ダラダラと血が溢れて魔力の粒子となって消えていく。
『これよりラストフェイズを開始します』
アナウンスが流れる中、スコアが更新される。
19対20。
それを横目で見た後、キヨネは正面に目を向ける。
そこには、同じく腰のところで銃型デバイスを構えた少年の姿がある。それの意味することは一つであり、逃れられない結果だけが彼我の間に横たわっていた。
勝敗は決した。
負傷した右手から魔力がこぼれていくのを感じながら、遠宮キヨネは言った。
「行きなよ、鏑木くん」
「…………」
二人の決闘とは関係なく、試合は依然続いている。
ラストフェイズが開始してエネミーが召喚され始めた。これから三分間、エネミー射撃の時間が残っている。
キヨネの言葉に、コウヤは微かに迷う様子を見せる。
しかし、やがて彼は小さくうなずくと、さっと身を翻してエネミーが居る方へ走っていった。決闘の前に外したメインデバイスを拾おうとはしなかった。それは、彼なりの義理立てだったのかもしれない。
「気にしなくていいのに。馬鹿なやつ」
コウヤの霊子弾によって吹き飛ばされた右手は、手のひらがごっそり無くなっていた。これではデバイスを握るのは難しい。まだ左手は残っているので試合の続行自体は難しくないが、緊張の糸が切れてしまったので今から競い合うというのも奇妙な気分だった。
キヨネは右手をだらりと下げたまま、遠くに放り投げた騎銃型デバイスの近くまで歩み寄る。
今日は随分、このデバイスを雑に扱ってしまった。長年愛用している相棒なだけに、もしかしたら拗ねているかもしれない、などと戯れに思う。
――インハイ予選は勝敗が最重要であるが、得点もあるに越したことはない。
今の決闘で試合が終了していれば、19対20の一点差で鏑木コウヤの勝ちだった。しかし、互いの霊子体が残っている以上試合は継続される。
「…………」
今の決闘で、唯一フェアではなかった点があるとすると、それはコウヤにとってこの決闘は逆転の機会であるのに対して、キヨネにとっては自分を不利にするだけの提案だったことだ。
キヨネ自身は納得の上でやったことだったが、結果として勝ちを譲ったような構図に見えてしまうのは致し方ない。
「――負けた、か」
早撃ちを選択しておいて、速さで負けたのだ。それは言い訳のしようがない敗北だ。
泣きたくなるほど悔しいし、合図の瞬間に見た勝利の幻想を何度も思い返すくらい未練がましいが――けれど、不思議と怒りは湧いてこなかった。
フィールドに目を向ける。
遠くで魔力弾を撃つ音が聞こえる。エネミー相手に鏑木コウヤが奮闘しているのだろう。
その中心から逃げてきたのか、一体の小型エネミーがキヨネの居る通路の前に躍り出てきた。大型犬のような四足歩行のエネミーは、キヨネの姿を見ると一直線に襲ってきた。
それを、キヨネはためらいなく左手に持った騎銃型デバイスで撃った。
「――ま、これくらいは許してくれるよね」
小型エネミーを一体仕留めたキヨネは、ふぅ、と息を吐いてからぼんやりと空を眺めた。
鏑木コウヤVS遠宮キヨネ
スコア 28対21
勝者・鏑木コウヤ
※ ※ ※
オリエント魔法研究学院の敷地は広い。
多くの魔法学府がそうであるように、オリエントも同じ敷地内に大学部と大学院が入っており、敷地内には様々な施設が存在する。
インハイ予選が行われている競技場から、個人用ロッカーがある高等部校舎までは徒歩十五分弱の距離だ。走っても五分以上はかかるので、早く戻らないと、コウヤの四戦目の試合どころか、五戦目にすら間に合わない可能性がある。
だからキサキは決死の思いで走っているのだが――そういう時に限って、邪魔が入る。
例えばそれは、学部長や、取っている講義の教師。または実技科目で知り合った先輩。
誰もが何故か、キサキに声をかけてくる。
何故か?
そんな偶然が、あるものか。
「……ッ! 急いでますので!」
相手の目を視て、キサキはすぐに断りを入れて駆け出す。
もはや隠すことのない、濃い紫色。
虚飾まみれの言葉。
あいつらは敵だと、自身の眼がはっきりと言っている。
一時期は憎んだ『眼』だが、こういった時、この魔眼は全てをつまびらかにしてくれる。
背後から罵声に近い捨て台詞が飛んでくる。選択科目の教師に至っては、単位をやらないぞなどと脅しを口にしてきた。構うものか。そんな舌先三寸で評価が変わる科目など、こっちから願い下げだ。
そんなふうに、人をかき分けながら校舎まで走っていると。
校舎の入り口に一人の女子生徒が立ちふさがった。
「――止まりなよ、比良坂」
その女子生徒は、手首につけたデバイスに魔力を通すと、校舎の前に魔力で網を張って壁を作った。
霊子で編まれた格子状の網は、物理的に進行を妨げる。
小柄な体躯に、長い艶のある黒髪が特徴的な女子生徒だ。
つまらなそうな瞳が刺すようにキサキを見下している。小学生と見間違うくらいの小ささなのに、彼女が目の前に立ちふさがっているだけで、強い威圧感を覚える。
彼女のことをキサキは一方的に知っていた。
「……
「悪く思わないでくれよ。こっちも命令なんでね」
そう言って。
三年・忌部イノリは、比良坂キサキの前に立ちふさがった。
※ ※ ※
一方。
管理棟、サーバー室。
そこで、夕薙アキラと明里宗近は互いに油断なく向き合っていた。
アキラの登場に驚きの表情を浮かべた宗近は、すぐに事情を察したのか嘆息を漏らす。
「何をしてる、と聞くのは野暮だな」
「へぇ、驚かへんのやな」
「君の思惑など想像するだけ無駄だ。こうして会うのは数年ぶりだが、一度として君との再会に納得できた試しはない。いつだって、君は私の邪魔をしてくれる」
宗近は座っていた機器の前から立つと、身構えながら淡々という。
「君がここに入って来たということは、誰かが手引きをしたということか。卒業生とは言え、この管理棟は部外者立入禁止だ。となると、怪しいのは自然派ではない教師だが」
「相変わらず理解が早いなぁ、明里先輩。もちっと混乱しといてくれたらええのに」
生真面目そうな顔で状況を整理する宗近に対して、アキラは呆れたように苦笑いを浮かべる。
宗近の言う通り、アキラがこの管理棟のサーバー室に入れたのはオリエントの教師の手引き――もっとハッキリ言えば、伊勢木伊香教諭の協力によるものだった。
今日の試合。
鏑木コウヤに向けた何らかの不正が行われる可能性がある。その懸念自体は伊勢教諭も抱いていたため、自然派教師たちの不審な動きには注意を払っていた。
しかし、伊勢では学内の力関係的に、明確な不正であっても指摘した時点で握りつぶされる可能性がある。
そこで、部外者であるアキラが動くということで協力関係を結んでいたのだ。
アキラは予選開始の時間から、ずっと管理棟の近くで張り込んでいたのだが、その時に明里宗近が入っていくのを見ていた。
そして、コウヤのデバイスが破壊されたという報告を受けて、伊勢教諭から借りていた管理棟の入場カードを使って侵入を果たしたのだった。
「理解の早いパイセンやったら、今の状況、ようわかっとるよな?」
竹刀袋でポンポンと肩を叩きながら、アキラは挑発するように言う。
それに対して、宗近は嘲るように鼻を鳴らしながら答える。
「さて。それは君の不法侵入についてかね? 私はたまたま巡回で訪れた施設内で、部外者がセキュリティを突破してサーバー室に足を踏み入れたのを発見した、というのが事実であると認識しているが?」
「はっ。減らず口やなぁ」
くく、とくぐもった笑い声を上げてから、アキラは愉快そうに言う。
「セキュリティ突破? なんのことや? あいにくワイは、たまたま開いとった扉から入っただけや。開けっ放しの扉を不審に思うて、たまたま中を覗き込んだら、なんや荒らされた形跡があったもんやからな。物取りやったらあかんから、現行犯逮捕のために確認に入った善意の第三者や。確かに勝手に入ったんは不法侵入やけど、実はちゃぁんと学院の教師の許可も取っとる。ま、事後承諾にはなるけどな」
アキラの言葉に嘘はない。アキラが伊勢教諭から許可をもらっているのは確かだし、あとから彼女に口裏を合わせてもらって、不正の現場を押さえたという証言をして貰う予定だ。
ちなみにこの発言を正当化するために、ここに来るまでの道のりであえて通路に掃除用具などを散らかしてきた。
実際にはなんの意味もない工作だが、『部外者であるアキラが不審に思って様子を見る』くらいの理由付けにはなる程度の小細工だ。
「さて、そうやって入った部屋ん中で、なんと、不審なことをしとる教師が一人おった。これはあかん。実にあかん。何があかんって、サーバー室への個人デバイスの持ち込みは禁止やって規則を破っとるのがあかん」
ニヤニヤと笑いながら、アキラは更に一歩踏み込む。
魔法学府に限らず、情報社会である現代において、情報の取り扱いに関するコンプライアンスはどの組織においても厳しく取り締まられる。
そんな中、普段立ち入りが禁止されている施設内に、無断で私用の端末を持ち込んでいるという事実はそうそう看過されるものではない。
処罰が下ると同時に、前後の通信の記録は調べられる。
それは、隠しようのない不正の証拠だ。
「仮に通信記録になんも見つからんやったとしても、端末持ち込みだけでもコンプライアンス違反や。そうやろ。明里パイセン」
「……なるほど。学内の試合運営に賛同しない教師の差し金か。狙いは私だな?」
顔をこわばらせながら、宗近はジリジリと後退する。
見られたのが学内の他の教師であれば、握りつぶすことも出来ただろう。宗近の行動自体が教頭からの命令によるものなので、学内で収まる問題であれば最大限のフォローをしてくれるはずだ。だが――相手は部外者だ。
学内の権力が意味をなさない以上、アキラはためらいなく不正を糾弾するだろう。そうすれば、外部の公的権力である警察の介入が行われる。そうなれば、アキラの言葉の正当性は警察が証明してくれる。
不正が発覚した場合、真っ先に切り捨てられるのは宗近である。
それを踏まえた上で、彼はアキラを見ながら言う。
「ふん、まったく。雑なようで用意周到なのは昔から変わらない。嫌なやつだよ、君は」
「ギャハハ! なぁに、涼しい顔して裏であくどいことする先輩にはかなわんっすよ」
互いににこやかな表情で軽口を言い合うが、しかしその目は欠片も笑っていない。
夕薙アキラと明里宗近。
二人の関係は、簡単に言えば大学時代の先輩後輩の関係である。
アキラが入学した時に宗近は四回生で、同時期に軍事教練の講義を受けた同期でもある。
その軍事教練中に起きたちょっとした事故――訓練生の一人が死亡するという出来事があったことで、二人は互いに敵視するだけの関係を構築するに至った。
明里宗近は夕薙アキラのことを、油断ならない天敵だと認識し、
夕薙アキラは明里宗近のことを、排除すべき外敵だと思っている。
二人が同じ環境で過ごした期間は半年に満たないが――その事故は、今でも二人の間に決定的な確執を作っている。
会えば問答無用で殺し合いじみた争いをする程度には、二人の仲は険悪だ。
「さ、年貢の納め時やで、パイセン」
愉快そうに笑いながら、アキラは更ににじり寄る。伊勢教諭にはすでに連絡をしている。この現場に来るまであと数分と言ったところだろう。アキラの仕事としては、その数分をこうして牽制し続ければいいだけだ。
そうすれば少なくとも――今このときだけは、予選に出ている少年への不正は防げる。
その思惑を表に出さないまま歩み寄ったアキラだったが、その時、不意に宗近がなにかに気づいたように口元を歪める。
「ふむ、どうやら君は、本当に一人のようだな」
「だからどないしたっちゅうんや? 安心しぃ、すぐに学院の教師が――」
「いや。その必要はない」
アキラの言葉を遮るように、宗近は冷たい声で言った。
――その次に響いたのは、ヒビ割れたような声だった。
「どうせオマエは、コレから行方不明になるからダ」
ぐちゃり、と。
肉が潰れる音が響いた。
「……ぐ、ごほっ」
その音は、アキラの胸元から響いていた。
うめきながら視線を下にやったアキラは、驚愕に目を丸くする。
「な、……に」
包帯まみれのミイラ男だった。
いつの間に現れたのか。
全身に白い包帯を巻き付けた人影が、まるではじめからそこに居たかのように佇んでいた。
彼は無造作に手を伸ばしており、まるで豆腐でも貫くかのように、アキラの胸部に手のひらを埋め込んでいた。
人外の膂力は、アキラの胸元を完全に破壊していた。
「おま……えは……!」
「一人で来たのは不用心だったな、夕薙」
血反吐を吐きながら睨むアキラに、宗近は見下すような目で言い捨てた。
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