第105話 僕と私のタイムトラベル。
「……は?」
「お。おい…!?」
俺たちは学部長とアンセルメアの会話の一部始終を聞いた。それから少しの間を置いて、ハチスやネギシたちの悲鳴を聞いた。状況を判断する材料は、それだけで十分だった。
『あ…、ああああぁぁぁ!!!何…やってんだよアンセルメアあああぁぁ!!!』
『きゃあああああああぁぁぁぁ!!!!』
『いっ……!いやぁぁあああ!!!』
暴れて椅子がガタつく音。縄が軋む音。助けを呼ぶ声。名前を呼ぶ声。耐え難いほどの阿鼻叫喚の渦が、ノイズ交じりにスピーカーを経由して部屋全体に響き渡る。
「が、学部長…!?」
「あぁアルク君。余計な推察で希望を抱かれても困るのでな、今ここではっきりと断言しておこう。…アンセルメアはたった今死んだよ。私の命令通りにな。」
「……は!?」
「テメェ…!?今何て言いやがった…!!?」
咄嗟の勢いで学部長の服の襟を掴むライカ。だが学部長は口で説明するまでもなく彼女にスマホの映像を見せ、その惨状にライカは絶句する。
「っ……!!」
「ライカ!?」
「テメェは…、見んじゃねぇ…。」
俺が画面を覗こうとすると、ライカがスマホに電流を流して電源を落としてしまった。おかげでスピーカーから漏れる悲鳴は消えたが、彼女の余計な気遣いのせいで俺はなおさら気が気ではなくなった。
「…アレは私の言葉には絶対に逆らわん。そうなるよう育てた。さしずめ死因は舌を噛んでの窒息死だろう。」
なんの感情も見せず、狂気としか例えようのない言葉を淡々と述べ続ける学部長。頼んだわけでも、聞きたいわけでも、受け入れたい訳でもないのに。彼は俺に容赦なく現実を突き付ける。
「………。」
そう、アンセルメアが死んだ。たったそれだけの事だった。実際、俺と彼女は顔見知り程度の関係だし、別に死んで困るような事は一つもない。…だから悲しむ意味はないし、苦しむ理由もあるはずがない。
「ぁ……ぁ………。」
彼女と交わした些細な会話が、記憶の中で蘇る。思い出なんて何も無いはずなのに、気づけば泣いている俺がいた。人間の死ってのは、こんなにも悲しいものなのか。
何が父親の命令だ。そんなクソみたいな理由で死んでどうする。…ふざけるなよアンセルメア。こんな事になるくらいなら、あの時もっと君と会話をしておけば良かった。君のことをよく知っておけば、君と学部長とのしがらみだって解消出来たかもしれないのに。…そうすればこんな最期にはならなかったのかもしれないのに。
「…アルク君、そう悲嘆に暮れるな。」
慟哭する俺に学部長は言う。…タイムマシンに乗り、過去を変える事が出来る俺たちにとっては、人の死なぞ些細な問題でしかないのだと。
…理の通った話だった。確かに俺たちがタイムマシンに乗って過去へ飛び、マキハラの野望を阻止することが出来れば、当然アンセルメアの死も無かった事になる。そう考えれば、彼の言う通り人の死は些細な問題でしかない。
「当然、タイムマシンに乗らねば彼女は救えんよ。さあどうするかね?」
「……。」
「テメェ……。オレたちを時間旅行へ誘う為だけに…、アイツを死なせやがったってのかよ…!!」
憎悪に満ちた表情で学部長の襟元を掴み続けるライカ。それに対して学部長は、至って冷酷な眼差しで俺たちの意思決定を待っている。
「…あァやってやるよ腐れ外道…!!オレたちが…!このクソみてぇな三文芝居を無かったことにしてやるよ…!!」
最初に口を開いたのはライカだった。彼女は膝を付いてうなだれる俺の腕を引っ張り上げ、無理矢理にタイムマシン元へと連れて行く。引っ張られるだけの俺は、只々彼女の背中を見つめる事しか出来ない。
「アルクゥ!!テメェいつまで腰を抜かしてやがる!!オトコならシャキッとしやがれってんだ!!」
「……。」
反論すら、出来なかった。
*
タイムマシンへと向かう二人を尻目に、もう二人の決戦が始まった。
「………さあマキハラ君。勝負を再開しよう。」
「とんだ化け物ですね。貴方は。」
「はっはっは。君ほどではないがね。」
マキハラのジョークを聞き、大いに笑う学部長。彼は二対の短剣を構えて臨戦態勢へと移行しており。一方のマキハラは【能力創造能力】を用いて自らの腕を瞬時に修復し、棒立ちのまま赤い瞳で学部長の様子をうかがっている。
「遠慮する事はない。君から来たまえ。…それとも、"既に攻撃は完了している"のかね?」
学部長は両手に持つ短剣をナイフのようにくるくると回し、退屈そうにため息をつく。それを見たマキハラは肩を竦め、やれやれと手を振った。
「…ええ。既に何度も貴方を殺しましたよ。この目で創造した能力を使って、もう何度も何度も貴方を即死させました。」
そう言って、マキハラは赤い瞳の奥から学部長の姿を見る。彼は教授を殺す為に【静止した世界に入門する能力】を創造し、学部長を殺す為に【瞳に映した人物を即死させる能力】を創造した。だと言うのに、何度即死能力を発動させても学部長は死ななかった。
即死で死なないのならば不死身ではないかと考え、彼は不死身を殺す能力を手に入れた。それでも殺せないのは能力の不調か、あるいは特殊な制約に掛かっているのではないかと考え、次に彼はあらゆる制約を無視する能力を手に入れた。
これだけの能力を以てしても殺せないのは、もはや学部長が生や死を超越した概念のような存在に達しているのではないかという可能性を想定し、彼はそれすらも超越する、虚無の能力を手に入れた。
そして、もはや世界を消す事すら容易いほどの能力の数々を手に入れてから、ようやくマキハラは気付く。
「なるほど。貴方を殺す為には、"過去を改変する程の能力"が必要という訳ですか。」
「…だとしたら?」
「してやられましたよ。あと一歩の所で過去改変能力に手を出してしまうところでした。」
マキハラは赤い瞳を輝かせ、空中に無数の氷槍──女帝の極光【ゴーディアス・リヒトカイゼリン】を鍛造する。もはや律儀に学部長の相手をする必要は無い。今、この場で。直接。タイムマシンを破壊すればそれで全てが終わるのだから。
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全ての槍を展開し終え、静かに腕を上げるマキハラ。この腕を下ろせば彼の攻撃は完了し、放たれた絶対不可避の槍が瞬時にタイムマシンを串刺しにするだろう。たとえ学部長がどれだけの勢いで槍を粉々にしようと、この数の暴力には到底敵うはずがない。
「……。」
マキハラは赤い瞳を輝かせ、アルクとライカの頭上に浮かぶ数値を見る。プラス符号の存在しない二人は、間違いなく世界を跨ぐ可能性のあるグライダーだ。彼は与えられたロールをこなす為に、この二人の時間旅行を阻止しなくてはならない。
「何故、二人を殺さないのですか。」
氷槍の鏡面に映る白い影が呟く。確かに二人を殺せばロールは簡単に達成出来るだろう。だが、何をやっても完璧にこなしてしまうマキハラはとっくの昔から人殺しに飽きてしまっている。故に彼はグライダーの直接的な殺害ではなく、彼らの乗るタイムマシンを破壊する形でロールをこなそうとしているのだ。
「多少面倒でも、グライダーの死なない世界があってもいい。そんなくだらない理由だよ。」
「うん?独り言かね。」
学部長の老眼がマキハラを睨む。それに気づいたマキハラはそっと赤い瞳を閉じ、尋ねる。
「…さて学部長。貴方は何故、そこまでして歴史の改変を望むのですか?」
「滅びゆく未来を変える為だよ。そう言う君こそ何故私たちの邪魔をする?」
学部長が答え、尋ね返す。その言葉にマキハラは息を飲み、しばらくの沈黙の後にこう答えた。
「…"グライダー・ガン"。貴方はあと幾つの世界をエデンから追放すれば気が済むのですか。」
「人違いかね。私の名は"イルゼパト・クラインベルク"だ。」
名乗りを挙げた学部長は走る二人とタイムマシンを背に向け、肩を下ろして深く息を吐く。話の通じぬ狂人同士に、もはや無粋な対話は必要ない。ここから先はお互いの信念をお互いの力で押し付け合うだけの茶番劇だ。
*
「おいアルクぅ!!なんか光ってっぞ!!」
「……。」
ライカに腕を引っ張られ、俺たちは半壊したタイムマシンの内部に入り込む。転送装置の内部を囲う透明なガラスは派手に砕けており、飛び散った血の痕も残されていたが、青白い光を発する台座を見た様子だと、タイムマシンは今も正常に稼働しているようだ。
「……うぉああ!!?」
台座に乗ると、いきなり全身が光に包まれて慌て始めるライカ。俺の体も例外ではなく、青白く光る手のひらを顔の前にかざしてみると、指先から雪のような粒が下から上へと昇っている様子を見る事が出来た。…なんだか綺麗だ。こんな状況でなければもう少しマシな感想を言えたかもしれない。
光に包まれていく際中、ふと心配になった。気にしすぎかも知れないが、このタイムマシンの行き先はちゃんと過去に設定されているだろうか。それに、こんなにぶっ壊れても正常に動いてくれるのだろうか。
「…なあ、ライカ。俺たち過去に行けるのかな。」
「はぁ?行けるか?…じゃねえよ。行くんだろ。」
行く。…何の根拠もないライカの言葉に、俺は納得した。
「……そうだな。行こう。」
*
女帝の極光【ゴーディアス・リヒトカイゼリン】。
飛沫する無彩の彼岸【モノ・コースト】。
放たれた不可避の槍と、それを切り刻む灰色の境界線。決着は一瞬だった。
「…何故、動きが鈍ったのかね。」
「……くだらない、理由ですよ。」
マキハラはにやりと笑って血反吐を吐く。心臓に刺さった短剣も、首に刺さった短剣も、無限に再生する彼にとっては単なる無傷と変わらない。先ほどの掃射でタイムマシンを破壊する事は出来なかったが、彼は無尽蔵の魔力を用いればこの先何度でも槍を掃射する事が出来た。
だが、彼はもう何も行動を起こさない。時を止めて槍を飛ばせば今すぐにでもタイムマシンを破壊する事が出来るのに。それでも彼は何もせず、屍に慟哭する一人の青年の行く末を静かに見届けている。
それは、微かな後悔の眼差しだった。
*
「……ライ、カ…?」
俺の目の前でライカが倒れた。先ほどまで俺と会話していたはずのライカが倒れた。…血だらけの腹には氷槍の破片が突き刺さっている。血はにじんでいる。ライカの目が俺を見る。彼女は生きている。
聞き取れない。ライカが必死に口を開けて、俺に何かを伝えようとしているのに。彼女の吐く息は声になっていない。
大丈夫。そう聞こえた。心なしかライカの表情は笑っているように思えた。…何が大丈夫なんだ。大丈夫って言うならそんな傷自力で止血してすぐに立ち上がってくれ。立ち上がっていつものように勝気な言葉を吐いてくれ。
なあ、このクソみたいな三文芝居を無かった事にしてやるって言ったのはお前だろ?俺の腕を引っ張り上げたのだってお前だろ?そんなお前がどうしてここで死ぬんだよ。俺一人に歴史改変なんて大役任せるなよ。
「……ふざけんなよ、ライカ…!!」
怒りを込めてライカの手を握った。…まだ辛うじて温かい。こんな状況でもタイムマシンの台座は血まみれの彼女を茶化すかのように流れ出る鮮血を青白く輝かせている。
「……悪ぃ、な。」
ライカは血反吐を吐き、粗い呼吸で声帯を震わせて俺の言葉に応えた。…それは、少しも彼女らしくない言葉だった。
未来で待ってる。
光に包まれて消える寸前に、そう聞こえたような気がした。
俺は返事が出来なかった。
守れるかどうかも分からない、約束だったから。
*
真っ白な世界の中心。何もない花畑の上で、少年と少女がこことは違うどこか遠い世界の夜空を眺めている。
「彼、死ぬよ。」
「彼、死にますね。」
星を見た黒い服の少年が呟き、それに続いて白い服の少女が呟く。二人の声に感情はなく、その顔には表情も存在しない。
「繰り返す剣もないのに。」
「やり直す事も出来ないのに。」
「でも、ようやく前に進んだね。」
「ようやく前に進む事が出来ましたね。」
「あの光が、きっと彼を動かした。」
「あの光が、二人を巡り合わせました。」
「信じよう。」
「信じましょう。」
夜空に流れる一筋の光を見て、二人の子供は目を瞑った。
もう、行く末を見届ける意味はない。
確定した絶望に、せめてもの未知を。
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