第九十話

 ウィリックの剣には重みが足りていなかった。

 だがそれも仕方のないこと。彼はまだ十五歳、日本人で考えるのならば高校生になったばかりの頃なのだ。


 一般的な日本の高校生を考えれば、学校に通って友達と遊び回りたまに少しだけ勉強を試みたり、好きな子の話をしたり、家に帰れば母親がご飯の用意をしていてくれる。

 彼も生まれる場所や身分が違えば、そういった幸せな時が送れたのかもしれない。

 凌馬も自身のことを考えると、高校生のときはバカをやったりいろいろ両親にも迷惑をかけたりそんな普通の高校生だった。


 だが、現実として彼はムーランス帝国の次期皇帝の第一継承権を持って生まれてしまったのだ。

 誰が悪いわけでもなくそれは逃れられぬ運命。

 凌馬も、これが如何にウィリックにとって酷なことであるのかは十分に分かる。

 それでも、彼以外には現状この役目は担うことができなかった。


 先程ウィリックの剣は重みが足りずに軽いといったが、それは想いが弱いというわけでは決してなかった。

 彼の覚悟は確かに本物だった。それは凌馬自身認めている。

 だからこそウィリックに懸けて、もしもの時は自分が全ての責任を引き受ける覚悟でここにいるのだから。


 剣に重みが足りないことの真実は、彼の持つ優しさや心の奥でそれでも父親を殺したくはないという心理的なブレーキが働いてしまったから。

 いくら覚悟を決めたといっても、正気のままでそう易々と行えることではない。父親殺しの業というものはそれほどに重いものなのだ。


 だが、凌馬はウィリックの手助けは絶対にしない。

 仮に彼が皇帝に殺されようともだ。

 そして、その結末を迎えたときは凌馬はなんの躊躇もせずに皇帝を殺す。

 それがウィリックに懸けた凌馬の責任だから。


 自らの失敗で傷付けさせてしまったリリアへの責任を取るためにも、凌馬はこの国の無益な戦争を是が非でも止めなくてはならない。

 その為に必要ならば一時的にこの国を支配し、次にこの国を任せるに足る人物を皇帝に選任するまでは、例え簒奪だと周囲に罵られようともやらなくてはならなかった。


 勿論、凌馬がそんな事を望んでいないのは周知の事実だろう。

 彼は国など支配しなくとも、金にも物にも困ることはないのだから。

 彼の望みは、ミウやナディたちとともにカイ、ソラ、ムラサキ、クレナイと旅を続けることができればそれだけで十分だった。

 むしろ、デメリットしかない権力者になどなりたいと思うはずがなかった。


「くだらん・・・くだらん、くだらん、実にくだらない時間だった。なんの覚悟もなくこのような場所までやって来て貴様は何がしたかったのだ? もう、時間の無駄だ。お前が剣を引いて立ち去るというのならば、今だけは見逃してやろう。裏切り者ともども、果てるがよい。」

 皇帝はつまらなそうに剣を下げると、ウィリックに対して興味を失せたように残りのメンバーの方を見ていた。


「貴様らもとんだ出来損ないの供に付いてきたものだ。同情するよ。だがこれが現実だ、理解したらさっさと消え失せろ。」

「お前は親の癖にコイツのことを全く分かっていないようだな。俺と同じく節穴と言うことか・・・。ウィリック、言われっぱなしのままなのか? お前が俺に見せた覚悟は何処へ行った?」

 凌馬は皇帝へと対峙すると、ウィリックに問い掛ける。


「ふんっ! ワシの目が節穴だと? よく言ったものだな小僧。こやつの何処にお前は期待しているというのだ? こやつは優秀な姉と比べられることから逃げ出し、その後はただワシの後継となるというだけで周囲から気を遣われるぬるま湯の中でぬくぬくと生きていただけの愚か者だ。」

 皇帝の言葉が謁見の間にこだまする。


 ウィリックは皇帝の言葉を否定できるだけのものを持っていなかった。

 あれだけ覚悟を決めたと思ったのに、いざ父親と剣を交えたときに心のどこかで躊躇してしまったのだ。

「シンディ、何故死んでしまったのだ。お前さえ居てくれれば他にはなにも要らないというのに・・・。」

 皇帝は周囲を無視するように、広間の天井を見上げるようにしてそうひとり呟いていた。


「こんなことなら認めるべきではなかった。この国の人々の平和と幸せのための活動などと、そんなくだらない・・・・・ことであの子の体に負担を掛けさせてしまった。城で大人しくしておれば病にも掛からなかったかもしれないのに・・・。」

 ピクッ。


 皇帝は後悔の言葉を呟いていた。

「国のことはワシに任せておけばよかったんだ。この国の民などお前が命を懸けてまで護るような価値など無いというのに。お前はただ、その可愛い笑顔をワシにだけ見せてくれてさえいればよかったのだ───。」

「──────消せ。」

 皇帝の言葉にウィリックの体が震えていた。


「何だ、まだ居たのか?」

「今の言葉・・・取り消せぇー!」

 ガキンッ! ザザザー!

 ウィリックの剣が皇帝の体を後方へと吹き飛ばす。


 それは今までのウィリックには無かった、先程の皇帝の剣と同様の気迫の籠った一振りであった。

「何が・・・。」

 さしもの皇帝も、自分の息子の豹変振りに困惑を隠せない様子。


「俺のことはどれだけ罵られようとも構わない。当然の報いというやつだからな。だが・・・、姉さんの夢を───死の直前まで願った想いを、『くだらない』ことなどとそんな事は誰にも言わせない───。それだけは誰にも絶対に言わせないぞ!」

 ウィリックの瞳には怒りの炎が灯っていた。


 ウィリックは元来優しい子どもであった。成長につれて周りからの冷たい視線や姉のこともあり、大分ひねくれた性格にはなってしまったが、その本質は変わってはいなかったのだ。

 彼が本当に怒りを覚えるときは、自分のことではなく何時だって家族や親しい人が傷付いたときだった。

 そして今、最も傷つけてはいけないシンディの夢をあろうことか父親に傷つけられてしまったのだ。

 彼女のことを一番に理解していなくてはならない父親によってだ。

 そんな事を許せるはずがなかった。


「姉さんがどんな気持ちで自分の想いを遺していったのか貴方はなにも分かっていない、いや、分かろうとすらしていない! 姉さんは自分の死期を悟ってなお、気にしていたのは自分のことではなく不甲斐ない俺のことやこの国の人々・・・そして、貴方のことだったんだぞ!」

「・・・・・・」


「姉さんはしっかりしていたように見えていても、まだ十六歳・・・これから先まだまだやりたいことだってたくさんあったはずなんだ。自分の夢を追い掛けること。親友ともっと仲良くなって何でも相談しあったり一緒に楽しい時間を過ごす。父上や母上とだってもっとずっと一緒に居たかったはずだ。そして、いつかは好きな人と恋に落ちて自分の子どもを産んで幸せな時間を送る───そんな当たり前の人生すら姉さんには許されなかったんだ!」

 謁見の間は沈黙に支配され、ウィリックの言葉だけがこだましていた。


「いつも人のことばかり心配して自分のことは後回しにしていた。そんな姉さんがそれでも最期に自分の夢を俺に託してきたんだ。その言葉を『くだらない』などと貴方に言う資格は断じてない!」

「ウィリック様・・・。」


 カチャ!

 ウィリックは剣を構え直すと、先程までとは打って変わって覚悟を決めた者のオーラを纏っていた。

 それは、リリアを救ったときに見せたウィリックと同じものであった。

 ようやく彼は最後の甘さを脱ぎ捨て、本物に成ろうとしていた。

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