第百六章 切崩し

「もったいぶらずに早く申せ」

「恐れ入ります。胎内川でございます。山から下ってきた川は海岸の丘にぶつかり、左右に分かれて荒川へ合流しています。その曲がり角から海まで四半里一キロしかございません」


「意外と短いのじゃなあ」

「ここを開削しますと胎内川は真っすぐ海へ注ぎます。合流していた荒川も水量が大幅に減りますので水位が下がります。洪水がおこる頻度も少なくなります」

「良いこと尽くめじゃないか」

「とうぜんながら沼地が農地にかわり、米の収穫量も劇的にあがるでしょう」

「それで揚北衆を釣るのじゃなあ」


「さいわい胎内川と荒川の流域は、平林城の色部氏、黒川城の黒川氏、そして味方となられた中条氏の拠点でございます」

「位置からすると揚北衆の真ん中あたりだな。ここを引き込むと、北と南に分断できるぞ」


「この工事が成功しますと、他の揚北衆も黙ってはおられません。我の土地にもとなびいてくるのは必定」

「話しをどう持ってゆく?」

「中条氏をとおして他のふたりに声をかけて頂きましょう。中条氏も、己にとって大きな利のある話しです。喜んで周旋してくれるでありましょう」


「どんな条件をつける?」

「まず臣従は当然のことでございます。そこにちょっと細工をしたいと存じます」

「細工とは?」

「新しくできた新田は、こちらが資金をだして実施しますので、直轄地となります。

今の所領にたいして五割の新田を授けると持ちかけます」


「だが今の所領など、こちらでは把握できぬぞ」

「ほんらいなら検地をして境界と面積を確定したいところですが、今の情勢では出来かねると思考いたします。それで自己申告させます。みな頭を悩ませると思いますよ。大きく申し出ると貰える土地は多くなりますが、税金に跳ね返ってきます。痛し痒しで、頭を抱えるでありましょう」


「先生は本当に悪知恵が働くのう。まあ、彼奴きやつらの困った顔を見たいものだ」

「新田は矩形のかたちに整然と作ります。これによって農作業の効率が各段とあがり、新しい植え方を普及させますと収穫量も倍増いたすと思います」

「新しい植え方とは?」

「畦を基準として、平行に一列で真っすぐ植えてゆきます。風通しが良くなり日も十分あたります。雑草の草刈りも、道具を改良して手間をおおきく省いてくれるでしょう。土起こしも馬をつかって作業も楽になる仕組みを考えます」


「整然とならんだ黄金色にかがやく稲穂のたれている姿が、何やら目に浮かんでくるようじゃ」

「一度それに慣れた農民は、今までの不整形な田の作業を嫌がるでしょう。耕地を整理して長方形の田に変えたいと必ず申し出てくると存じます。喜んで検地に賛成して

くれましょう。その田を見た他の農民も、ぜひ検地をやって欲しいと願ってくるやもしれませんぞ」


「はっ!はっ!はっ! 検地などやると言ったら、百姓一揆を覚悟せねばならぬ。それが農民から申し出てくると申すのか。これは愉快じゃ、愉快じゃ」

「検地を実施しますと面積と所有者や小作人など有益な情報を得ることができます。地図を作ることによって、しょうらいの無用な境界争いを防止できます」


 謙信が引退騒ぎを起こした原因のひとつに境界紛争が上げられる。そんな些少なことに、血眼になって争論をくりかえす家臣団に愛想が尽きたのかもしれない。もっとも家臣にとって土地は先祖伝来の大事なもの、尺土も譲れないとシャカリキになるのも理解できる。それを防ぐためにも検地は大事な作業だ。


 幸いなことに越後平野は平坦地が多い。他の国のように傾斜地を削り、盛って田をつくる棚田は必要ない。潟や沼地を埋め立てるので、新田は望む形で造成できる。


「話しを戻すが、工事には膨大な人手と時間を要するなあ。資金もじゅうぶん手当てしないと途中で投げ出す羽目に成りかねないぞ」


「はい、その為に銅貨の作製に準備をかけております。常備軍の経費、道路や河川の整備と銭のかかるものばかりです。基本的に新造貨ですべてを賄うつもりです。対外的な決済は、従前の金貨や銅貨でおこないます」


「しかし領内すべての収入と支出は新造の通貨をつかいます。領内で銭が循環する仕組みが回りはじめると、領民は便利さに気づきどんどん使ってくれます。最初は金と兌換する保証をつけねばならないかもしれません。越後の国は金や銀の有数な産出国です。金融不安におちいる可能性は皆無でありましょう。まだ手を付けておりませんが、佐渡には日本一といわれる金山が眠っております」


「では、どのように先を進めるつもりじゃ」

「軍師殿といっしょに、中条氏と面会をとってみます。ちょっと生々しい話しをしなければなりませんので、若殿にはご遠慮していただきたいと存じます」

「よし、わかった。そちらに任せる」


 家督相続の話しを持ち出さねばならぬ。まだ本人に動きを知らせたくない。


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